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ノート:鳥飼恒男

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独自研究の恐れ

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ページ全体が親族にしか知りえないような情報の羅列になっています。親族がページを作成することは客観性・中立性・独自研究の排除というウィキペディアの三大方針のいずれにも反する可能性が高いことからより慎重であるべきですし[[1]]、またウィキペディアの方針で慎重であっても客観的に考証不能な事象は事実であっても記載してはなりません[[2]]。--流木の上 2010年1月11日 (月) 06:54 (UTC)[返信]

江寧部隊というのが突破口になるのかもしれませんが、この部分も鳥飼大佐と関連付けられる書籍情報がないのであれば、最悪削除依頼、になるやもしれません・・・。--ポコポコ 2010年3月22日 (月) 04:50 (UTC)[返信]
外山を引きましたが、ここに書かれていたことは、41年に件の部隊の学生隊長就任と、43年に連隊長になったということだけです。(最終的には隊長になったことは江寧部隊であげた別資料でありましたが、それでも隊長になった、以上の記述はほとんどありません。)福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年には項目が見当たりません。秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』はまだ未確認。--ポコポコ 2010年5月29日 (土) 18:21 (UTC)[返信]
『日本陸海軍総合事典』には見当たらず。ただし、非売品ながら『江寧部隊史 : 支那派遣軍特務教育隊』という本があるらしく国会図書館に所蔵があるそうです。そちらに何かしら情報があるかもしれません。私からは以上です。--ポコポコ 2010年6月1日 (火) 10:00 (UTC)[返信]