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ノート:鳥井森鈴

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いくらなんでもひどすぎます

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客観的な記述はまだ目をつぶりますが、何らかの価値判断や分析や評価を下す記述については、頁数を含めた出典を提示するのが当然だと思います。「五城目町のシンボル的な里山である森山」「民謡だけではない幅広い芸を身につけて」「これを歌いこなせれば一人前の民謡歌手」「これを売り物にする」「上品な節回し」「あかぬけした秋田追分」「一躍全国的な人気民謡歌手」「芸の幅を広げて観衆を喜ばせた」「民謡界でも孤高の存在であった」など、明らかに何らかの価値判断や分析や評価を下す記述が散見されます。特に「地元で人気者」「五城目に根ざした」「孤高の存在」などといった表現は、出典を出さねば、執筆者の単なる個人的な価値判断、分析、評価、好みなのか、それともきちんとした出典がある記述なのかが、判断つかないと思います。——以上の署名の無いコメントは、114.49.57.138ノート/Whois)さんが 2012年6月28日 (木) 15:01 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]

たとえば、「日本民謡協会秋田県支部長なども務めたが、家業の農業を離れることはなく」「秋田県民謡界でも孤高の存在であった」とのことですが、前半の「日本民謡協会秋田県支部長なども務めたが、家業の農業を離れることはなく」というのは客観的な事実(もしくは事実と異なる記述)でしょうが、後半の「秋田県民謡界でも孤高の存在であった」という記述は明らかに価値判断を含んでいます。「孤高」と評したのは誰なのか、あるいは単に執筆者の個人的な分析なのか、全く理解できません。孤高とレッテル貼られていやな人もいるでしょうし、頁数含めた出典が明確に挙げられなければ、NGでしょう。もし参考文献にそのような記述があるなら、出典を提示したうえで、誰がそう評しているのかをはっきり書く必要がある。また、「一躍全国的な人気民謡歌手」とのことですが、レコードの販売は客観的に確認できたとしても、「全国的」なのかどうか「人気」なのかどうか、全く判断できません。。——以上の署名の無いコメントは、114.49.57.138ノート/Whois)さんが 2012年6月28日 (木) 15:12 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]

下にある出典は、少し検索しただけで内容まで確認できるものもあります。ページ数を含めた出典があった方がよいことは貴方のおっしゃるとおりですが、せめて出典を確認してからにしては如何でしょうか? 記事の内容のほぼ全てにわたり、出典に基づいていることがお分かりになると思います。出典の分量はそれほど多くもありませんし、貴方のような編集は極端に記事を読みにくくするものではないでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2012年6月29日 (金) 02:04 (UTC)[返信]
投稿元の文章にページ数がついていないためこのような投稿になっておりますが、作業が終わりましたら私自身も頁数など補遺の作業に加わりたいと思っております。また、私が言えた立場ではないのでしょうが、それにしても、このように多くの警告テンプレートを貼りつけられるような行いをされる方がいらっしゃるとは正直驚きました。記事の内容に適切でない点があると判断できるのであれば、それを解消する能力も持ち合わせているはずです。IP114.49.57.138さんには、そうした訂正ができないとご自分を蔑ますようなことをなさらず、より良い記事にするための編集にご協力を頂きたく、お願い申し上げます。最後になりますが、ろうさんには記事の補遺を行っていただき、本当にありがとうございます。--Bellcricket会話2012年6月29日 (金) 13:19 (UTC)[返信]
① 「投稿元の文章にページ数がついていないため」とのことですが、「投稿元の文章」というのはどこのページでしょうか? どこかのサブページとかサンドボックスなどにプロトタイプ的な記事が存在するのかもしれませんが、URLを書いてくださらないとどこのページなのか他の人にはわからないのですが・・・すみませんが、URLも併記してくださらないでしょうか。
② 「作業が終わりましたら私自身も頁数など補遺の作業に加わりたいと思っております」とのことですが、本来なら頁数など出典情報を確認したうえで、記事を投稿するのが筋ではないでしょうか。そもそも手許に出典をおいて記事を書いているのでしょうか、記事を投稿するときにその出典情報を書くのは手間でもなんでもないでしょう。出典を確認しつついったん記事だけ投稿して、後になってからもう一回出典元を調査して頁数を記載する、というのでは、執筆する方にとっても手間がかかるでしょうし、閲覧者から見たら一時的にせよ出典情報がまったくわからない状態の記事しか読めないわけですから、双方にとってメリットはありません。そもそも「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:出典を明記する」にあるとおり、出典を提示するのは執筆者の義務ですから、それを怠って記事を先に投稿し、後から出典元についての調査を開始するというのは、三大方針を無視した行為だと思います。もちろん、法律ではないわけですし、そうせざるを得ない事情があるなら破ることも問題ないかもしれませんが、今回の記事においてそのような理由があるとも思えません。
③ 「私が言えた立場ではないのでしょうが」とのことですが、その点をおわかりなのでしたら、今後は「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:出典を明記する」を尊重していただきたく思います。
④ 「このように多くの警告テンプレートを貼りつけられるような行いをされる方がいらっしゃるとは正直驚きました」とのことですが、私にしてみますと、このような初版の内容で投稿しておきながら警告テンプレートを貼られるはずがないと思っている方がいらっしゃることに正直驚きました。
⑤ 「ろうさんには記事の補遺を行っていただき、本当にありがとうございます」とのことですが、Law somaさんは一生懸命探してくださったようで、このように出典がある程度整備された状況になりました。しかし、Law somaさんをもってしても出典が明らかにならなかった記述がございます。具体的には、「芸の幅を広げて」「観衆を喜ばせた」「秋田県民謡界でも孤高の存在であった」などという記述です。このノート冒頭でも指摘している通り、「孤高」と評したのは誰なのか全く理解できないなど、大きな問題を孕んでいる箇所です。「本当にありがとうございます」とおっしゃって話しを終わりになさろうとしているようですが、その点についてなんら言及なさらないのはなぜですか。やはり単なる独自研究だったということでしょうか。評価や価値判断、分析などを含む記述については、誰がそのように評しているのか明確にする必要があるため、出典は重要だと思います。もし単なる個人的な感想を盛り込んでいたのだとしたら、それは重大な問題だと思います。
※ これは「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:出典を明記する」を蔑ろにしていると指摘されかねない行為のようにも思えますので、ひじょうに重要な問題だと思います。ご回答しだいではコメント依頼などを検討いたします。——以上の署名の無いコメントは、114.48.172.142ノート/Whois)さんが 2012年7月1日 (日) 09:43 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]
Wikipedia:出典を明記するで「本文中に注釈を入れる方式」が推奨されていることはご指摘のとおりですが、今回の場合、私が示した脚注を見てお分かりのとおり、記事のほとんどを占める出典が五城目町の公式サイトの1コーナーとなっております。ですのでページ数自体がありませんので示すことはできません。また、今回Bellcricketさんが行った出典の示し方も同ガイドラインで「記事末尾に参考文献を記載する」として示されております。つまりは、「本文中に注釈を入れる方式」がより良いのだが、「記事末尾に参考文献を記載する」がダメではない、ということです。しかも今回の場合出典の分量も少なく、リンクも初版から貼られています。誰でも出典を確認し、「要出典」が必要かどうか判断できる状態にあったと思います。それでもコメント依頼を提出されるということでしたら、それは貴方の自由です。いずれ、全く出典を示していない訳でもない、しかもほとんどの記述の出典が示されている状況で、このような場合によっては嫌がらせとも受け止められかねない編集をされるというのは、多くの利用者によって編集されていくプロジェクトにおいては、ちょっと想定しにくいことでした。その辺は常識でお考え頂ければ幸いです。まずは、ご署名をされることからお願いします。--ろう(Law soma) D C 2012年7月2日 (月) 00:45 (UTC)[返信]
さん、出典調査ありがとうございます。refしていただいたので、どの記述がどの典拠に基づくのかがよくわかるようになり、信頼性が向上したと思います。さて、「出典が五城目町の公式サイトの1コーナーとなっております。ですのでページ数自体がありませんので示すことはできません」とのことですが、であればrefで頁数ではなく、当該ページのURLを提示するのがよいかとおもいます。また、「今回Bellcricketさんが行った出典の示し方も同ガイドラインで「記事末尾に参考文献を記載する」として示されております」との点はおっしゃるとおりですが、反面、この記事の初版には「五城目町のシンボル的な里山である森山」「民謡だけではない幅広い芸を身につけて」「これを歌いこなせれば一人前の民謡歌手」「これを売り物にする」「上品な節回し」「あかぬけした秋田追分」「一躍全国的な人気民謡歌手」「芸の幅を広げて観衆を喜ばせた」「民謡界でも孤高の存在であった」など、明らかに何らかの価値判断や分析や評価を下す記述が散見されます。数値を含む記述や分析や評価など評論的な記述など、議論を呼びかねないところにはrefを付けたほうがよいかと思います。「つまりは、「本文中に注釈を入れる方式」がより良いのだが、「記事末尾に参考文献を記載する」がダメではない、ということです(中略)それでもコメント依頼を提出されるということでしたら、それは貴方の自由です」とのことですが、少し勘違いをされていないでしょうか。⑤についてよくお読みいただきたいのですが、「記事末尾に参考文献を記載する」がだめだからコメント依頼をするのではありません。--ほーのりしま——以上の署名の無いコメントは、114.48.160.154ノート/Whois)さんが 2012年7月5日 (木) 23:38 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]
あて先が不明ですが、おそらく私宛と推察しましたのでお答えします。
  1. 「当該ページのURL」は末尾に掲載されておりました
  2. 「よいかと思います」レベルでコメント依頼を出されるというお考えは分かりました。
  3. 5つの理由の合わせ技でコメント依頼されるとばかり思っておりましたが、丸5(機種依存文字はできればお避け下さい。記事に関してはガイドラインもございます。)のみの該当でもコメント依頼に値するとお考えだということを認識しました。
私からは以上です。--ろう(Law soma) D C 2012年7月6日 (金) 00:26 (UTC)[返信]
Bellcricketさん、①、②、⑤についてお答えくださいますと助かります。--ほーのりしま——以上の署名の無いコメントは、114.48.160.154ノート/Whois)さんが 2012年7月5日 (木) 23:38 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]
質問1、2について。元の文章は「利用者:Bell gjm」と「Wikipedia:お知らせ『秋田県五城目町におけるウィキペディアでの記事執筆について』」で説明されているとおり、五城目町における事業の一環として作成されたもので、Web上にはありません。参考資料については明示されているのですから、「出典情報を確認した上で、記事を投稿する」という流れは満たしています。5については、まずご自身で出典を検証してください。検証された上でなおおかしいと考えられるのであれば、それから話し合いましょう。--Bellcricket会話2012年7月6日 (金) 02:56 (UTC)[返信]
(1) Bellcricketさんが言っている「元の文章は「利用者:Bell gjm」と「Wikipedia:お知らせ『秋田県五城目町におけるウィキペディアでの記事執筆について』」で説明されているとおり、五城目町における事業の一環として作成されたもの」の件ですが、そうしますとBellcricketさんは「五城目町における事業の一環として作成されたもの」(=Webページではない)を参考にしつつ初版を執筆なされた、との理解でよろしいでしょうか。(当方、サンドボックスか何かかと思ってしまっていました。失礼しました)
(2) Bellcricketさんは「5については、まずご自身で出典を検証してください」と反論なさっていますが、なぜ執筆者本人が出典元を挙げることができないのでしょうか。「芸の幅を広げて」「観衆を喜ばせた」「秋田県民謡界でも孤高の存在であった」との記述の出典元を一言説明すればそれで済む話だと思うのですが。せめて書名を挙げていただきたいのですが、それすら難しいでしょうか。『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』か『すばらしい先輩たち 第3集』か『秋田人名大辞典』のどれかですよね。なぜ頑なに拒むのでしょうか。この記事で書かれている人物は存命中ではありませんが、遺族の方は当然まだ存命中でしょうし、「芸の幅を広げて」「観衆を喜ばせた」については遺族が問題視することはないと思いますが、勝手に「孤高の存在」呼ばわりされるのは気分を害する可能性もあり、誰がそのように評しているのか明確にする意味でも出典をrefで挙げるべきだと思うのですが。それとも、refで挙げられない何か事情がおありですか。--ほーのりしま——以上の署名の無いコメントは、111.191.66.2ノート/Whois)さんが 2012-07-06T12:18:30 (UTC)‎ に投稿したものです(Bellcricket会話)による付記)。
もう一度お聞きします。(1)、(2)についてお答えください。特に(1)については、ウィキペディアにおいては極めて重大な問題だと思います。包み隠さずご回答ください。--ほーのりしま——以上の署名の無いコメントは、114.48.161.21ノート/Whois)さんが 2012-07-19T03:18:31 (UTC)‎ に投稿したものです(Bellcricket会話)による付記)。
1は既に「秋田県五城目町におけるウィキペディアでの記事執筆について」で説明したとおりですし、2も出典の補遺を行いました。次はあなたの番です。ぜひ出典となった資料を確認され、記述が出典に基づくものであるとご確認ください。--Bellcricket会話2012年7月19日 (木) 03:59 (UTC)[返信]
すみません、(1)についてもう一度お聞きします。Bellcricketさんは「1は既に「秋田県五城目町におけるウィキペディアでの記事執筆について」で説明したとおりです」といっていますが、その「秋田県五城目町におけるウィキペディアでの記事執筆について」を見ますと「記事は『五城目町のほこり すばらしき先輩たち』等、検証可能性を満たす出典を基に、方針について十分に配慮しているとのことです。」と書かれています。しかし、この文章は秋田県五城目町についての文章でして、Bellcricketさん自身が何を出典にして執筆したかについては全く触れられてないように見えますが……。Bellcricketさんも「『五城目町のほこり すばらしき先輩たち』」を出典にした、と理解してよいですか? それとも、Bellcricketさんが参考にしたのは「『五城目町のほこり すばらしき先輩たち』」以外の書籍なのでしょうか……。というか、何故自分が出典にしたソースをここまで隠そうとするのか理解できません。隠蔽しようとしないで正直に回答してはいかがでしょうか。--ほーのりしま——以上の署名の無いコメントは、111.188.33.233ノート/Whois)さんが 2012-07-19T20:56:16‎ に投稿したものです( (UTC)Bellcricket会話)による付記)。
Wikipedia:署名」をご覧になって、署名は正しい形で行っていただきたいものです。隠蔽も何も、お知らせに書いてあるとおり、私が担当しているのは、文章をウィキペディアに投稿する作業のみです。もともとの文章は私でない方が書いたものです。そして、もとの文章にrefタグをつける作業も済み、出典という観点では問題は解決したはずです。私からは、以上です。--Bellcricket会話2012年7月19日 (木) 22:36 (UTC)[返信]
なるほど、つまり、
① Bellcricketさん以外の人が、『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』『すばらしい先輩たち 第3集』『秋田人名大辞典』を出典として某資料を執筆
② Bellcricketさんが、①の某資料を参考に、ウィキペディアに執筆
ということですね。そうしますと、Bellcricketさんが実際に参照したのは①の資料のはずです。しかし、Bellcricketさんは参考文献として『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』『すばらしい先輩たち 第3集』『秋田人名大辞典』の3つを挙げていますね。この3つは、①の資料内に参考文献として挙げられていた書籍だということでしょうか。ということは、Bellcricketさんは①の文章を出典として執筆したにもかかわらず、それを記事内に明記せず、それどころか自分で直接は参照しなかった『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』『すばらしい先輩たち 第3集』『秋田人名大辞典』を参考文献として挙げた訳ですね。出典の偽装は重大な問題ですが、悪びれることなく発言しているのはいかがなものでしょうか。
出典元のそのまた出典元を、あたかも自分が直接参照したかのように出典として挙げるのは、明確に禁止されています。大学生でも知っている論文執筆の基本中の基本です。出典を重視するウィキペディアにおいて、自分が出典とした資料を記事内に明記しないどころか、自分が直接参照していない資料を出典元であるかのように記載するのは、極めて悪質な出典ロンダリングだと思いますが、どのようにお考えですか? ——以上の署名の無いコメントは、114.48.140.52ノート/Whois)さんが 2012-07-20T03:34:13 に投稿したものです(Ks aka 98会話)による付記)。
Bellcricketさん以外の人が、『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』『すばらしい先輩たち 第3集』『秋田人名大辞典』を出典としてウィキペディアに投稿したい原稿を執筆し、リンク先も含めて経緯とアカウントの役割を明示した上でBell gjmが初版をウィキペディアに投稿した、ということですね。「出典の偽装」「あたかも自分が直接参照したかのように出典として挙げる」「出典ロンダリング」と称するのは、経緯を理解していないということなのでしょう。
  • Bellcricketさんが初版の直接の執筆者ではないことは既に示されているお知らせ[1]利用者:Bell gjmから明らかにされています。ウィキペディアの編集に不慣れな人たちがいて、しかし貢献をしたいと考えているという状況では、当人たちの許諾を得ていれば、慣れている人が操作を担うことは、ウィキペディアの発展を考えるうえでは、必要になってくるものでしょう。
  • 記事の内容と出典との整合性については、ウィキペディアでは検証可能性が求められ、それが満たされた形で記事が作られているのですから、誰でも出典を参照し、整合性に疑義があれば修正することができます。用いられている「あきた」87号や「すばらしき先輩たち」は、誰でも参照できますし、ウェブで公開されているのですから、参照は容易です。「あきた」87号と「すばらしき先輩たち」のウェブ版は、少なくとも加筆時にぼくも確認しています。Bellcricketとしての編集[2]を見れば、Bellcricketさんが『秋田人名大辞典』も参照されていることが分かります。--Ks aka 98会話2012年7月20日 (金) 04:54 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんのコメントについて、2点指摘します。
① 「リンク先も含めて経緯とアカウントの役割を明示した上でBell gjmが初版をウィキペディアに投稿した、ということですね
⇒ Bellcricketさんは、この記事において「リンク先も含めて経緯とアカウントの役割を」一切明らかにしていません。少なくとも、こちらのノートには一切書いておらず、お知らせへのリンクを貼ることすら怠っており、他人からの指摘を受けてやっと貼っただけです。初版の要約欄にもお知らせへのリンクが貼られていません。したがって、何も明らかにすることなく投稿しています。事前にお知らせで意見表明しているといきがったところで、この記事のノートや要約欄からお知らせに対してリンクしておかなければ、この記事の閲覧者にはお知らせにたどり着けないのですから何の意味もありません。最低限、初版投稿時の要約欄にお知らせへのリンクをはる、または、初版投稿時にノートにお知らせへのリンクを貼る、のは必須ではないでしょうか。ウィキペディア上の全てのアカウントがBellcricketさんの発言に逐一耳を傾けているわけではないのですから。リンク貼らないことには始まらないと思いますがいかがですか。Bellcricketさんは「ウィキペディアを閲覧する者は、Bellcricketさんの今までの発言を事前に逐一ちぇっくしておくのが当然」とおごりたかぶっているのかもしれませんが、それはいくらなんでも通用しません。
② 「初版の直接の執筆者ではないことは既に示されているお知らせや利用者:Bell gjmから明らかにされています
⇒ 上記①同様。アカウントページやお知らせページで一回告知したからよい、というわけにはいかんでしょ。少なくともノートくらいには何か書くなりリンクは必要ではないでしょうか。
③ 「ウィキペディアの編集に不慣れな人たちがいて、しかし貢献をしたいと考えているという状況では、当人たちの許諾を得ていれば、慣れている人が操作を担うこと
⇒ もし「記事の文章を下書きする人」と「ウィキペディアに投稿する人」が2人で役割分担しアカウントを使いまわしているなら、共有アカウントですからブロック対象です。(※もちろん「記事の文章を下書きする人」が何らかの資料の形でまとめており、「ウィキペディアに投稿する人」がその資料を出典として投稿した・・・のであれば、通常の執筆者と大差ないわけですから、特に投稿ブロックにはあたらないと思います。ただ、「記事の文章を下書きする人」がウィキペディアの投稿のためだけに下書きをかき、それを「ウィキペディアに投稿する人」が代行投稿しているのであれば、何らかの問題を孕む気がしますが)
④ 「Bellcricketさんが『秋田人名大辞典』も参照されていることが分かります
⇒ 参照なさっているのが事実なら、出典として使っていないものを出典と偽ったわけではありませんから、それは問題ないですね。「出典ロンダリング」というのはいいすぎでした。ただ、最もメインで参照した出典を記事中で明示しないのは、明らかにおかしいのではないでしょうか。「Bellcricketさん以外の人が、『あきた 通巻87号/碑の周辺(6)』『すばらしい先輩たち 第3集』『秋田人名大辞典』を出典として某資料を執筆」したなら、最低限その資料のタイトルや著者名を書くべきでしょう。それを書かずして、メイン以外の出典元のみ表記するのは出典元の隠蔽であることになんらの違いはありません。
ただ、お知らせには、Bellcricketさんが代理で投稿することが明確にはかかれてないような気がしますけれども。「加えて、先方がWikiの文法に不慣れであるということから、一部投稿作業についても私に依頼されております」としか書いてないので、「加えて、先方がWikiの文法に不慣れであるということから、一部投稿作業についても私が●●という別アカウントにて代理で投稿します」くらい書いておけばいいのに。依頼されたことは書いてあるが、その依頼を承諾したのか、別アカウントで投稿するならアカウント名はなんというのか、という最も重要な情報が抜け落ちており、片手落ちといわざるを得ません。--以上の署名のないコメントは、111.188.0.172会話/Whois)さんが 2012年7月20日 (金) 11:44 (UTC) に投稿したものです(49.135.49.3による付記)。[返信]
◆失礼ながら横から口を挟みます。出典が包括的に明示されている状況で、出典たる資料を閲覧した上で<ref></ref>を別の人が付することは推奨されこそすれ非難されることではありません。また、初版の直接の執筆者の原稿を出典と称したとしても、実際にその更なる出典を確認した上で<ref></ref>を付けることも同様です。どうも、114.48.140.52さんはウィキペディアの方針類をよくご存じないように思われます。--ろう(Law soma) D C 2012年7月20日 (金) 05:39 (UTC)[返信]
最もメインとして参照した出典を記事中で明示しないのは、明らかにおかしいのではないでしょうか。
たとえば、中学の教科書一冊のみを参考に記事を書いた場合、その教科書の巻末に挙げられていた参考書およそ数十冊の書名一覧をまるまるコピって「出典」として挙げるのは、明らかにルール違反ですよね? 今回のBellcricketさんの行為は、Bellcricketさん以外の人が執筆した某資料を出典としているのに、記事内にて出典元としてその資料名を記載しておらず、さらにその資料が挙げている参考文献を、あたかも自分が参考したかのように偽って「参考文献」として列挙したため、明らかな問題行動だと思われ、その点を指摘したしだいです。ただ、Ks aka 98さんから、Bellcricketさんが参考文献としてあげた書籍を実際に確認していた痕跡があると指摘されたので、「その資料が挙げている参考文献を、あたかも自分が参考したかのように偽って「参考文献」として列挙した」という事実はないようですので、その点は問題ないと思います(本当に執筆前にBellcricketさんが自身で確認していたかは、極めて疑わしいと思いますが、うそだという証拠がない以上やむをえないです)。しかし、一番メインで参照した参考文献を秘匿し、それ以外の文献だけを参考文献として提示するのは、明らかにルール違反ではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、111.188.0.172会話/Whois)さんが 2012年7月20日 (金) 11:44 (UTC) に投稿したものです(49.135.49.3による付記)。[返信]
論点は114.49.57.138さん曰く「いくらなんでもひどすぎ」る記事内容からBellcricket(副アカウント Bell gjm)さんの執筆行為へと移っているようです。既に記事本文自体には検証可能性を確保する十分な脚注が補記されたように見受けられますし、これ以上このノートページに於いてこのままの流れで議論しても鳥井森鈴の記事内容の向上には寄与しないと思えます。Bellcricket(副アカウント Bell gjm)さんの執筆行為に重大な問題があったとお感じならば、利用者の行為についてのコメント依頼を立項して、そこへ議論の場を移してはいかがでしょうか(Bell gjmさんの記事立項は鳥井森鈴だけではなく多数に及んでいるため(特別:投稿記録/Bell_gjm))。--49.135.49.3 2012年7月21日 (土) 01:28 (UTC)[返信]

大言壮語では

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この人物は歌手だそうですから、日本語版の正式なガイドライン「Wikipedia:特筆性 (音楽)」に基づいて判断することになりそうです。字面だけ見ると当然削除対象になるかもしれませんが・・・。この記事の初版には「全国的な人気民謡歌手」とかかれており、全国的に有名な歌手であるかのような記載がありますが、出典元は秋田関連のものばかり。義民とか篤農家などであれば地元の出典のみになるのは理解できますが、「全国的な人気民謡歌手」のような日本全国に名を轟かせたような人ならば、全国的な出典が提示されてあたりまえでは。——以上の署名の無いコメントは、114.48.172.142ノート/Whois)さんが 2012年7月1日 (日) 10:11 (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。[返信]

amazonで検索すると5件引っかかります。元々SP盤で活躍した人であることを考えるとこの程度でしょう。全国的に発売されていただろうことは容易に推察できますから、当時の民謡に関する書籍があれば見つかるものと思います。ただ、秋田関連のものといいながら、公共団体の出版物を否定されるような発言をされても困ります。Wikipediaは現代音楽データベースでもなければ、サブカルペディアでもありません。--ろう(Law soma) D C 2012年7月4日 (水) 04:08 (UTC)[返信]
(補足)国立国会図書館にレコードがありました。もう少し出典が見つかったら、本文に加筆します。--ろう(Law soma) D C 2012年7月4日 (水) 04:24 (UTC)[返信]
(ガイドラインについて)WP:MUS#音楽家・音楽グループの5に準ずるべきかと。当時いわゆるアルバムはありません。--ろう(Law soma) D C 2012年7月4日 (水) 06:54 (UTC)[返信]
Law somaさん、情報ありがとうございます。、国立国会図書館の情報により、レコードが複数発売されたことは間違いないということですね。レーベルを確認する限り「Wikipedia:特筆性 (音楽)」の「5. 2枚以上のアルバムをメジャー・レーベル(または重要なインディーズ・レーベル)から発表している」に該当しそうですので、「Wikipedia:特筆性 (音楽)」の基準はクリアしていることに同意いたします。--114.48.105.4 2012年7月5日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
ただ、全国で発売されたことが明らかだからといって、それを理由に「全国的な人気民謡歌手」と主張するのは根拠が薄いと思います。Law somaさんのご指摘により「全国的に発売されていただろうことは容易に推察でき」るとは思いますが、だからといって「全国的な人気」があるのかは何とも言いがたいと思います。「何枚もレコードを出しているのだから全国的な人気があるはずだ」というのは、単なる個人的な分析に基づく推測に過ぎず、独自研究ですし。--114.48.105.4 2012年7月5日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
「秋田関連のものといいながら、公共団体の出版物を否定されるような発言をされても困ります」とのことですが、別に秋田県の公共団体の出版物を否定しているわけではありません。もし、上の文章内に「公共団体の出版物を否定されるような発言」があるのでしたら謝りますが、そのような意図でいったつもりはありませんので、そのところはご理解してください。気にしているのは、秋田県内で出版発行された出典数件しか出てこないのであれば、「全国的な人気民謡歌手」とは思えないからです。要は「全国的な人気」といううのはおおげさで、「地元五城目では知る人ぞ知る有名人」程度なのではないか……と思うからです。「全国的な人気民謡歌手」といっているわけですから、仮に歌舞伎でたとえると「出雲阿国」クラスということなのだと思いますが、本当に「全国的な人気」があるなら秋田県外の複数の出典元がないとおかしいのでは。義民とか篤農家なら地域に尽くしたわけですから「地元文献しか出てこないが特筆性がある」という主張に同意する余地はありますが、「全国的な人気民謡歌手」であるにもかかわらず地元文献のみというのは不可解です。--114.48.105.4 2012年7月5日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
なるほど、確かにそういった考えもできるかもしれません。しかし、大正から昭和期にかけて文壇で絶賛されながらも、その後つい最近まで忘れ去られていた金子みすゞの例もある中で、「全国的な人気があるならば、出典も全国的に存在する」というお考えはあまりに早計で、それこそ推測の域を出ないのでは。信頼できない情報源からの情報源であったならともかく、出典の出所が限られているためという、方針などの裏付けが無い理由で、出典に基づく記述を否定されても、果たしてどのようにお答えすればよろしいのでしょうか。--Bellcricket会話2012年7月5日 (木) 14:38 (UTC)[返信]
横から失礼します。出典が明記されており、その出典の執筆者発行者の身元も確かとあっては、事ここにいたっての114.48.105.4さんの2012年7月5日 (木) 13:01 (UTC)のコメントは、引っ込みがつかなくなっての難癖付けにしか見えません。真実論争はWikipediaの推奨するところではないでしょう。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」。--49.135.73.178 2012年7月5日 (木) 17:28 (UTC)[返信]

加筆について

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五城目町のプロジェクトとは別に、記事にちょっと興味を持ったので、調べてみました。

  • 『あきた』ほかのデータベース検索ができたので、関係しそうな記事から加筆をしました。脚注の書式はうまくそろえられていません。すみません。
  • ネットで手に入りそうな資料はざっと見て、関連資料のところに挙げたようなものがあるみたいなんですが、地元でないと得るのが難しそうです。魁の記事くらいは、時間に余裕ができたらNDLで探してみようかと思っています。
  • SP関係は、昭和館の資料を見ることができたので、索引から拾いました。肝心のコロムビア盤「秋田追分」が出てきませんが、NDLの昭和館の資料も抜けがけっこうあります。SPはまあだいたいこんなもんです。LP/CDでの復刻もあるようですが、そっちは追っていません。--Ks aka 98会話2012年7月8日 (日) 09:20 (UTC)[返信]