ノート:魚雷
魚雷(ぎょらい)とは、
あら、こっちにこんなことかいていたか(恥ずかしい)。誤解はといておかねばならないが、ミッドウェーの4空母は全てが爆弾によって沈んだのではない。爆弾によって、戦闘不能になったというべきではなかろうか0null0 15:33 2003年10月3日 (UTC)
>開発当時の魚雷は非常に高価な兵器であり、
非常に高価なのは今だって同じでは? 同じモデルを量産したりする分安いかもしれないが。非常に高価で、試験や演習の度に実用弾頭を付けて吹っ飛ばすことが出来ないからこそ、第二次大戦の初期に各国で起爆装置の不良が露見したのではないですか。Ypacaraí 2004年9月9日 (木) 00:42 (UTC)、
魚雷の寸法や重量、素材については特筆すべきことはないのでしょうか。Hareno 2004年11月23日 (火) 09:14 (UTC)
大きさ・重さは書くべきかと。(素材については知らないので)というか、ポンプジェット推進の現代魚雷の記述もまだない。今から調べてきます。Los688 2004年11月23日 (火) 09:19 (UTC)
魚雷の弾頭って何が主流なんでしょうか。やっぱりHEATですかねえ?。当方陸物専門なんでよく知らないのですが。--牢人者 2006年12月3日 (日) 05:08 (UTC)
HEATになったのは、命中精度が向上したごく最近の魚雷だけです。いわゆる高性能爆薬のはず。--Los688 2006年12月3日 (日) 05:11 (UTC)
- HEATは殆ど無いでしょう。重装甲されているわけでもないし、艦底起爆で船体そのものを破壊するほうが理にかなっています。ただ炸薬は爆速より圧力を重視したタイプが使用されるので、陸上用の火器とは違いますよ--メルビル 2010年4月15日 (木) 23:58 (UTC)
- MK50は成形炸薬ですがな。潜水艦の耐圧船殻は装甲みたいなものです。対水上艦船用魚雷の方が、今は少数派ですよ。--Los688 2010年4月17日 (土) 16:39 (UTC)
巡航ミサイルの前身?
[編集]歴史的に、航空魚雷は巡航ミサイルの前身といえる。・・・・この記載は独自解釈や独自研究ではないでしょうか?--メルビル 2010年4月15日 (木) 23:58 (UTC)
- 出典を明記しました。この文は、航空魚雷から複写したものであり、その元は英語版 en:Aerial torpedo の先頭部分に同じ出典付きで載っています。
- 記事「航空魚雷」や「九一式魚雷」をお読みいただくと、空中での姿勢制御に高度な技術が使われていたことが分かると思います。最終的に入水するのは爆発の破壊力を空中に逃がさず浸水を期待したからであり、滑空したまま目標に当てることも(もしやれば)可能だったと思われます。 --Kazov 2010年4月18日 (日) 09:26 (UTC)
歴史の最初
[編集]歴史節の2段落目は、
- 魚雷はイワン・ルピス-ヴュキが設計した
- 1860年にオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世にリエカという港町で披露された
- 1864年にルピスはロバート・ホワイトヘッド(en:Robert Whitehead)に助けを求めた
- 1866年12月21日に世界で最初の魚雷を完成させた
となっています。普通に読み取れば「1860年に皇帝に魚雷を披露した6年後に世界最初の魚雷が完成した」となって意味不明に思います。当該範囲に要検証をつけました。--三ツ葉アロエ 2011年8月2日 (火) 23:34 (UTC)
- 出典としての用件は満たさない可能性が高いですが、ディスカバリーチャンネルの怪しい伝説では、火薬で水面を滑走して船に命中させる兵器が「最も古い魚雷」であるとして、実際にその魚雷を作成して船に命中させる実験がなされていました。もっと古い年代だったように思います。ニコニコ動画に(違法)アップロードされていましたから、興味があれば閲覧ください。なおこの番組に基づいた加筆の予定は(私には)ありません。--メルビル 2011年8月17日 (水) 08:24 (UTC)
- 2004年10月16日 (土) 08:48の版でこの記述が追加されていました。その時点の英語版からの訳出でした。確認したところ、誤訳だらけで、実際は以下のような記述でした。(「self-propelled」の訳は「自航式」が良いかもしれませんが、「魚雷が走る」と言いますので「自走式」と訳しました。)(その後「自航式」と訳されている例を見つけ、そちらのほうが良いような気がしましたので記事のほうは「自航式」に改めました。下記、7月に書いたものはそのまま残します。--月影(会話) 2014年1月26日 (日) 14:03 (UTC))
- 最初の自走式の魚雷のプロトタイプは、Ivan Lupiis-Vukicによって作られた。彼は元クロアチア海軍の技術士官で、オーストリア・ハンガリー海軍に仕えていた。設計は1860に港町Rijekaでフランツ・ヨーゼフに披露された。Robert Whitehead、英国のエンジニア・起業家だが、トリエステ港で海軍のプロジェクトに従事していたため、1864年にLupisは発明を完全なものとするために彼と契約した。これは、初の自航式の魚雷Minenschiffとして実を結び、1866/12/21の帝国海軍委員会で公式に発表された。
- ただ、こちらの内容は英語版も正しくなかったようで、現在はだいぶ改訂されています。また、誤訳も多かったため、本日、最新の英語版の該当箇所の記述で置き換え、要検証を削除しました。なお、英語版でどのような書き換えが行われた結果現在の記述になったのかについては、履歴を追うことができませんでした。
- 置き換えに際し、下記の変更を行いました。
- 私の編集前の日本語版には、南北戦争中の "torpedo" についての記載がありましたが、誤解が含まれていたこと、日本語の "魚雷" とは異なることから、削除しました。誤解の内容は「電気式」を「電池を動力とする」と捉えてしまっていたことです。実際には当時の機雷は漂うだけで自走せず、電気は起爆に用いられていました。ちなみに、メルビルさんのおっしゃられる怪しい伝説についても英語版に記載がありました (en:MythBusters_(2011_season)#Episode_164_.E2.80.93_Torpedo_Tastic)。ディスカバリー・チャンネルは黎明期の "torpedo" を "魚雷" と訳したようですね。日本語では "魚雷" と言えば、黎明期や南北戦争期のものではなく、自走式で水面下を走るものを指すと思います。
- また「日清戦争で使用された軍艦は、最速艦でこそ23ノットが出たものの、鈍足艦も多かったので艦隊運動の際は最高速度に限度があり、(約30ノットの) 魚雷を避けることは困難であった。」との記述は、英語版にも見られなかったため削除しました。削除すべき理由としては、①もしも魚雷が船舶を充分に上回る速度が出せなければ、航行中の船舶を沈める兵器として成立しないことは自明であること、②第二次世界大戦中には戦艦の25ノット程度に対し魚雷は50ノット程度のため、日清戦争中よりも速度差が大きくなっているにもかかわらず、当時戦艦が魚雷を避けるのは困難だったとは聞かないこと、があります。ちなみに現行の英語版では、「定遠が日本の度重なる攻撃により被雷した。当時の魚雷攻撃は肉薄しなければ実行できなかったため、攻撃する側に非常に大きな危険があった。」という記述があります。想像するに、威海衛の戦いでは外洋でなく湾内だったため小型の水雷艇が使用可能で、小型の標的は砲撃で狙いにくいため、(速度差ではなく) 肉薄されたことが理由で戦艦側が回避しえなかったものと思われます。
- 以上、よろしくお願いします。--月影(会話) 2013年7月21日 (日) 05:15 (UTC)
- 2004年10月16日 (土) 08:48の版でこの記述が追加されていました。その時点の英語版からの訳出でした。確認したところ、誤訳だらけで、実際は以下のような記述でした。(「self-propelled」の訳は「自航式」が良いかもしれませんが、「魚雷が走る」と言いますので「自走式」と訳しました。)(その後「自航式」と訳されている例を見つけ、そちらのほうが良いような気がしましたので記事のほうは「自航式」に改めました。下記、7月に書いたものはそのまま残します。--月影(会話) 2014年1月26日 (日) 14:03 (UTC))
短魚雷だけがホーミングするかのような記述
[編集]「魚雷の種類と直径」節内で「短魚雷は誘導兵器であり、誘導魚雷を指して短魚雷と呼ぶ場合もある」と書かれてますが、近代の魚雷は短魚雷だけでなく長魚雷もホーミング機能を持った”誘導兵器”だと思います。ホーミングに関して両者の違いの1つは、短魚雷はどちらかと言うと照準を定めての直射はせずにホーミングに頼ることが多いのに対して、長魚雷は直射で用いられるのが多い…という事ではないでしょうか? つまり、長魚雷も必要ならホーミングできるが、その機能を使わないケースが多いというだけ。 さらに言えば、長魚雷の多く(ほとんど全て?)が有線誘導機能を備えているので、それをほとんど備えない短魚雷よりも”誘導兵器である”と言えそうに思います。 また、「誘導魚雷」のことを「短魚雷」と呼ぶって、なにか違うように思うのですが……。--110.44.68.133 2016年12月28日 (水) 02:19 (UTC)