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ノート:魚津弁

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本文の一部転記

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次の記述は本文に載せられていましたが、出典がないためノートページに移されました。本文に載せる際は出典を明記し、検証可能性を満たすようにしてください。これについての議論はノート:日本語の方言#出典のない記述の除去を参照してください。

呉東方言とは異なるものも存在する。

日本の文化の境界であるフォッサマグナ[要出典]と、富山県の文化の境界である富山市呉羽丘陵[要出典]の中間に位置するため、全国のさまざまな文化と独特の文化が入り混じった富山弁でも独特の方言[要出典]となっている。また、地形的にも山がせり出した形で文化が平野部に集中するため、市街地の文化も細かく分かれていて、東部、中部、西部では異なる思想[要出典]である。富山県は川や山を越えるたびに言葉やニュアンスが変化する。特に魚津では町内によって文化や思想が大きく異なる[要出典]ため、魚津弁にも数多くの種類が存在する。西からは関東や東海の文化が北陸経由で、東からは関東や東北の文化が信越経由で伝わって来る。その上、古語の名残ともいわれる言葉も方言に混ざっている。そのため、西日本東日本の中間的イントネーションに、魚津特有の語尾がつく形となる。この地域から多くの人が蝦夷地の開拓や漁業を行いに行ったため、現在も北海道にも同方言が点在する。また、この地域には大正初期から電車が走っており、当時はまだ汽車であった国鉄と並行していたため、この地域の高齢者の多くは今でもJRを「汽車」、地鉄(富山地方鉄道)を「電車」と呼ぶ。

--Henlly2010年5月1日 (土) 14:06 (UTC)一部マークアップ修正。--Henlly会話2017年9月13日 (水) 23:16 (UTC)[返信]

削除依頼の対処について

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本記事に関して削除依頼が出されていましたが、合意に至らなかったとして存続にて終了しました。御了承下さい。

(なお、以下はあくまで私見であり、ウィキペディア日本語版の管理者としての見解を示したわけではありません。)私は方言学に暗く、方言が方言として学術的に認められる条件などは分かりませんが、これが学術的な条件を満たさないのであれば、例えば、「富山弁について解説された書籍『○○』、『△△』などには魚津地方の言葉について言及はあるものの、これを独立した方言としては扱っていない」といった説明を加えることで、本記事の読者に注意を喚起することは可能なように思います。--Freetrashbox 2011年5月28日 (土) 09:06 (UTC)[返信]

うーん、この依頼をどうして存続で終了できるのか、正直理解できませんでした。ウィキペディアは多数決を採用していないとはいえ、存続票3に対し削除票5、しかも存続票には明確に出典な出典を伴うものは皆無です。sat666さんが提示したのは言語学とは縁もゆかりもない書籍での使用例が2件、「魚津弁」なる用語の定義が述べられているのかどうかもわからない自費出版による書籍が1件、タイトルに「富山県魚津市・入善町における方言語彙」という言葉はあるものの同じく「魚津弁」なる用語の定義が述べられているのかどうかわからない論文が1件です。あとは「おちんちんかく」という表現を扱っただけのテレビ番組と、(「魚津弁」ではなく)「魚津弁ラップ」なるものについてふれたウェブページが2件です。結局「魚津弁」なる概念について定義した資料は見つかっていないわけです。富山弁の執筆に携わった依頼者さんが出典がないと説明していてそれが覆されているわけでもないのに、敢えて少数意見の側に倒す必要性があったとは思えません。
魚津地方の言葉を富山県の他地域から区別して「魚津弁」と呼んでいる信頼できる資料がないのに、「魚津弁」という項目を立てるというのは、まさにウィキペディアでやってはいけないとされている独自研究にほかならないと思います。個人的には上の節に記されているような考察はたいへん興味深いと思うのですが、それはウィキペディアでやるべきことではないでしょう。Freetrashboxさんが例示されているような断り書きも、はっきりいって悪い例の典型だと思います。取り敢えず出典の明記を促すテンプレートを貼っておきますが、しばらく待っても改善しないようなら削除依頼を再提出するほかはないと思います。--sergei 2011年5月28日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
コメント 正直なところ、私も悩みました。先の依頼の中で、個人的には依頼者Henllyさんの意見が最も説得力があるように思いましたが、存続意見にももっともな点があり、コミュニティとして削除するとの合意がなされているようには思えませんでした。そのため、まずは加筆を促進するためにも、削除依頼を一旦終了させるべきではないかと考えました。しばらく後にも削除理由が解消されないようであれば、改めて削除依頼を出すのは構わないように思います。--Freetrashbox 2011年5月28日 (土) 15:51 (UTC)[返信]

本文の一部転記2

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魚津弁は、魚津市周辺や新川広域圏で多く話されている。 魚津は、北日本東日本西日本の文化が混在する地域であるため、方言や文化は独特である。アクセントは東京式アクセント東北式アクセント東海式アクセント京阪式アクセントなどの中間的なものから混ざったもの、偏ったものから独自のものまで様々である。例えば、「山」では東京式や東北式と同じく「ま」にアクセントがくるが、「犬」では東海式や京阪式と同じく「い」にアクセントにくる。また、「なんで」は、東京式では「な」に、京阪式では「で」にアクセントが来るのに対して、この地域ではアクセントがなく一定である(気持ちとして、音程は一定であるが、「な」が強い)。単語の一部は西関東方言の影響も受けている。魚津弁は他の富山弁とは異なる点が多いが、具体的には北陸方言呉東方言との近似性が強い(いわゆる垂井式アクセントである)。富山方言の影響を強く受けているが、シとス・ジとズの混同があり、東北地方との何らかの関連の要素があったと思われる。新潟や長野方言と共通する言葉も存在する。また、北海道との貿易の影響で、北海道地域には現在も魚津方言の一部が残っている。方言とイントネーション共に、西部へ行くほど富山弁西日本)寄りの魚津弁であり、東部は新潟北日本東日本)寄りの魚津弁である。新川弁も混在するほか、富山市とは異なる方言や魚津市外では通じない方言も存在する。市内でも地区ごとに異なった方言を用いることが多く、現在でも方言が混在し続けている。近年は方言を使用する人が減っている。ある程度のイントネーションは残っているが、戦後生まれ(特に現代の若者)の世代は標準語の影響を受けた言葉を使用する。 かつては、「だ(○○だ)」の意味で、山岳部は「だ(○○だ)」「である(○○である)」、沿岸部は「じゃ(○○じゃ)」などを用いていた。現在は昭和戦後生まれ以降の殆どの人は「や(○○や)」を用いる(戦前生まれ世代では混在している人もいる)か、若しくはいずれも用いない(「したろ」=「しただろ」、「いいねか」=「いいじゃないか」、「嫌にか」=「嫌じゃないか」の様に)。また明治期頃までは、接続詞の「から(するから)」の意味で「けん(するけん)」や「けぇ(するけぇ)」(海側)、「がで(するがで)」「で(するで)」(山側の富山寄り)も存在していた様だが、現在は専ら「から(するから)」のみである。 言葉や味などを日本全体と比較すると、文化全体を通してこのエリアは移り変わりが特殊であるといえる。近年はメディアや交通機関の発展で標準語が流入しつつ、金沢→高岡→富山と伝わってきた西日本方言(○○やん)などの流入もあり、長い歴史の中で時間を掛けて発達してきた本来の魚津弁が失われつつあり(他の方言との融合化)、あらゆる手段を用いて急速な保存と受け継ぎが必要とされている。[要出典]

上記記述を本文から除去しました。ながらく出典がなく、独自研究と思われるためです。ことさら「魚津弁」の特異性を強調した文章になっていますが、「犬」「山」「なんで」のアクセント、シとス・ジとズの混同、その他語法についての記述を読むと、いずれもほとんど富山弁と変わらず、「魚津弁」だけがそうなのだと思わせるような文章はミスリードと思われます。--Henlly3839会話2018年4月16日 (月) 08:36 (UTC)[返信]