ノート:鬼
この記事は2009年2月15日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
ダイダラボッチと九鬼嘉隆
[編集]いずれもその昔なんでもかんでも志摩市へリンクさせようとした方の記述で、まじめに検証するだけ無駄な事例でしかないと思いますし、これまでもこのような例で典拠を示さず戻そうとする人が度々現れたのですがそれはさておき。
ダイダラボッチをGoogleで検索しますと5万件以上出ますが、「"一つ目の鬼神"」の検索結果はWikipediaのコピーサイトだけです。一つ目のダイダラボッチというと三重県志摩市大王町の民話が有名ですが、そこでは鬼神とはされていません。以上より「別名 一つ目の鬼神」とする説があるにしても定説でないのは明らかですから、ダイダラボッチの方で「誰々は一つ目の鬼神と呼んでいる」と加筆するのはよいとしても、鬼に掲載するのは極めて不適切でしょう。
九鬼嘉隆さんですが、「くかみ」と読む説はおそらく「九鬼文書」との混同で誤りですし、鬼が座右の銘というのは意味不明です。へんてこりんな座右の銘に典拠があるにしても「具体的な鬼(または鬼とされた人間)」に該当しませんのでこれまた掲載は不適切です。
ということで除去します。Wikipediaに数あるデタラメを残そうとするのではなく、除去する方向でのご協力をお願いします。--N yotarou 2007年10月14日 (日) 10:07 (UTC)
はじめからそういった具合で除去の根拠を明確に示してくれれば問題は無かったのですが、概要の記述について「と思う」やら「いらない」やら、単なる主観を根拠にしたように取れる子めかした表現があったので違和感がありました。上記に関しては異論ありませんので除去で結構です。--61.45.90.202 2007年10月14日 (日) 18:56 (UTC)
「鬼将軍」について
[編集]「独自の研究」として削除されましたが、これは(出典はすぐに思い出せませんが)高島俊男氏の著作からの引用です。まさか、高島氏の言説を独自の研究という人はそういないでしょう。また、その他にもこのようなHPがあるので、必ずしも独自の研究とはいえないと思います。--Tomzo 2008年4月30日 (水) 12:52 (UTC)
文禄・慶長の役の際に、加藤清正が朝鮮の民衆から「鬼上官」と呼ばれていた、というエピソードがあります。いま手元にないので確かめられませんが、たしか海音寺潮五郎の『武将列伝』に、「中国では『鬼』は死者の霊魂を表す言葉であり、日本語の『鬼将軍』というような勇猛なイメージではなく、『幽霊将軍』という方が近い。清正の特徴的な烏帽子兜の形状が、朝鮮で死者を埋葬する際にかぶせる頭巾と似ていたので、このように呼ばれたのではないか」という旨の推察があったと記憶しています。もしかしたら、件の日本軍の「鬼将軍」のエピソードは、清正のエピソードが伝播の過程で変形した、あるいは、清正のエピソードを元に故意に創作されたものかもしれません。-116.83.70.119 2008年11月14日 (金) 11:29 (UTC)
考察のセクション
[編集]国文学者や歴史学者がどうしたこうしたというあたり、ごちゃごちゃして読みにくいと思うのは自分だけでしょうか。きれいに書き直してくれるとありがたいです。--202.215.4.72 2010年11月12日 (金) 09:51 (UTC)
- こんにちは。差し当たり該当節にTemplate:内容過剰を貼らせていただきました。ご指摘の箇所は『民話の世界』(すばる書房)を出典とした一連の記述のことと思われますが、図書館でこの資料を確認したいと思いますので、コメントはもうしばらくお待ちください。--逃亡者 2010年11月26日 (金) 23:05 (UTC)
- 確認が遅れました。該当箇所の出典は、すばる書房『民話の世界』260-263頁ですが、これは座談会であり、複数の出席者がその場で考えたことをあれこれ言い合っているような企画ですので、これをひとつの文章にまとめたことで、文章が入り組んで読みにくくなったようです。私見ですがこうした形式の資料を百科事典的文章にまとめるにはかなり文章力を要するかと思われます(私も偉そうに指摘できるほど文章力を持っているわけではないですが)。
- また「鬼の考察」の第3段落目あたり「鬼を特定のイメージで語ることは困難」とする意見は、他の書籍でも同様のことが書かれていてまったく同感なのですが、それでいて『民話の世界』の該当節で「鬼の本質は鬼」のように鬼のことを決めつけるのはどうかな?と思います。そもそも『民話の世界』でのこの座談会は書籍の題名にも示されているように、民話における鬼について語り合っているので、民話の鬼の姿をもって鬼の本質を決めつけてしまうのは危険でしょう。また書籍で○○○という人物が「△△△は□□□である」と述べている場合「○○○は△△△が□□□だと述べている」と書くならまだしも「○○○が言うように、△△△は□□□である」と書くことにも問題を感じます。
- もう一つ、「また鬼神という思想」以降はほとんど、原文では「~と思う」「~じゃないか」「気がする」「~と思う」といった推測的というか、語尾を濁した文で述べられていますので、これを「~である」と断定的に書いてしまうのもどうかと考えています。--逃亡者 2011年1月9日 (日) 01:30 (UTC)
- すでに1年近く経っていますので、差当り『民話の世界』を出典とした記述のうち、上記理由で不適当としてコメントアウトした個所を除去させていただきました。なんとかテンプレート指摘の問題をクリアした状態にまで持っていきたく、ずっと資料を調べていましたが、これだけの大ネタは困難です……。--逃亡者 2011年12月26日 (月) 20:20 (UTC)
鬼の正体説の節を追加させて下さい!
[編集]既存のページは鬼が想像の産物であるというものに偏っているきらいがないでしょうか。そこで、実体説を2つ、よく知られたものを追加させて下さい。俗説の部分も一部ありますが、それはそれで良く知られている訳ですから、百科事典に載せるに問題はないでしょう。もっとも白人説にしろ、科学的根拠も出て来ているので、比較的重要なテーマと思います。
また、鬼の語源として、「おぬ」である、と断言するのは誤りと思います。小学館の日本大百科全書、鬼の項目でも、との説もある、として処理していますし、古い文献が出典でも、あれは一説らしので、記事中断定的記述の所を修正します。--Tanayuka(会話) 2016年11月12日 (土) 02:16 (UTC)