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ノート:高階哲夫

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「時計台の鐘」が作られた時期については、従来1922年(大正11年)と言われており、また1921年(大正10年)説も有力であったところ、「十二年九月 札幌」と書かれた楽譜が佐々木靖章氏によって発見されたことから、1923年(大正12年)の作品ではないかという考えが浮上し(『北海道新聞』2001年2月2日夕刊12頁)、その線で大正12年説を主張したのが前川公美夫『響け「時計台の鐘」』(亜璃西社、2001年)ということになります。現在、札幌市時計台の「時計台の鐘」展示コーナーには「作曲年代は、これまで大正11年(1922年)とする説もありましたが、近年、専門家の実証的な研究により大正12年(1923年)であることが有力となっています」というパネルが掲示されています。したがって『響け「時計台の鐘」』を参考文献に入れる以上、この説に触れないわけにはいかないと思います。同書では、大正11年新婚時に札幌に里帰りした(演奏会でとは言っていない)際にできたとする満寿の発言(同書p.89、p.164『読売新聞』昭和38年10月23日夕刊道内版「北方人脈」第39回)や、関谷園(満寿の妹)の「大正10年説」(同書p.87-88)もある中で、これらを採用せず大正12年説を主張しているわけで(pp.90-91)、中立的な観点からは諸説を併記すべきではないかと考えます。--C2BK会話2022年3月25日 (金) 07:00 (UTC)[返信]

ありがとうございます。出典を再確認の後、諸説併記の方向で改訂内容を検討してみたいと思います。--逃亡者会話2022年3月26日 (土) 03:25 (UTC)[返信]