ノート:高橋留美子/archive2
統合提案
[編集]勝手なやつらの履歴を見ると、議論なく高橋留美子へのリダイレクト化が行われています。しかし、リダイレクト前の記事にはかなり内容があるので、単なるリダイレクト化ではなく高橋留美子への統合を提案します。--110.134.20.85 2018年11月8日 (木) 18:31 (UTC)
- コメント 長らく出典無しの独自研究であり、統合するに値する有益な記述は含まれていないものと判断します。単純リダイレクトで充分。--KoZ(会話) 2018年11月9日 (金) 01:10 (UTC)
- 反対 現状維持でいいと思います。リダイレクトされていたから戻して統合提案では理由が明確ではありません。高橋留美子記事の体裁を保つために別記事となっているようなので統合は不必要に思います。短編を全て統合しだすと体裁が崩れます。秀逸な記事でもこういった枝記事はあります。ググれば出典デビュー作「勝手なやつら」が「サンデーS」で再掲載 - MANTANWEBも出てくるような特筆性はあるようだし、全体をみての妥協としてこのままでいいと思います。もちろん出典が加えられるならしたほうがベターです。書き方は任せますので上記サイトも出典としてご利用ください。短編集もあるようなのでそれの一部としてまとめるとかはあり得ると思いますが、有用性がどの程度あるかは微妙です。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月9日 (金) 17:45 (UTC)
利用者:KoZさんは、「特筆性」あるいは「独自研究」の問題があるからリダイレクト化したと主張しておられます。しかし、KoZさんがリダイレクトされる直前の2015年2月9日 (月) 07:29 の記事をご確認いただけばわかるように、KoZさんはTemplate:特筆性あるいはTemplate:独自研究を使って問題解消のために協力を求める努力をすることなくリダイレクト化を行っておられます。したがって、KoZさんが行われたリダイレクト化は強引かつ不適切なものであり、一旦2015年2月9日 (月) 07:29の状態に戻して改めて「特筆性」あるいは「独自研究」について検討する必要があります。(私はそういう趣旨でこの提案をしています)なお、「特筆性」あるいは「独自研究」のテンプレートを貼って改善のための協力を求めたからと言ってすぐに解決するというものではありません。このことは他の「特筆性」テンプレートあるいは「独自研究」テンプレートが貼られた記事の履歴をご確認いただけばわかります。それと、「統合」も勝手なやつらをリダイレクトにすることに違いはないので、特筆性の問題は自動的に解消します。(KoZさんはテンプレートを貼る程度の努力すらしておられないわけですが・・・。)--110.134.20.85 2018年11月12日 (月) 13:07 (UTC)
(別の話なので別段落にしました)利用者:鶏のから揚げさんは「短編を全て統合しだすと体裁が崩れます。」と書いておられます。しかし、「勝手なやつら」は特別な作品なので、高橋留美子の中にこの作品のセクションを作って記載したからと言って、他の短編も同様の扱いにしなければいけないということにはなりません。したがって、鶏のから揚げさんのご主張は間違いです。なお、現在の勝手なやつらに書かれている内容をすべて高橋留美子に記載しなければならないと考えているわけではありません。統合の手続きとして、一旦全部記載する必要がありますが、その後高橋留美子の他のセクションとのバランスを考えて簡略化することについては(そもそも統合後の話であり統合自体と無関係な話なので)反対するつもりはありません。--110.134.20.85 2018年11月12日 (月) 13:07 (UTC)(「奴ら」を「やつら」に修正--110.134.20.85 2018年11月12日 (月) 13:12 (UTC))
- 返信 「勝手なやつらは特別な作品」ならばなおさら統合すべきではありません。漫画家と漫画作品は違うものであり、無理をして同一記事内に収める必要はありません。他の漫画家とその作品や、秀逸な作品と同じように分けるべきでしょう。取るに足らない作品なら一覧の中に書くだけでも良いかと思いますが、特別な作品(著者のデビュー作であり、ブレイクのきっかけになった作品)ならば分けるべきです。まだ記事に引用されてないようですが、上に貼ったような特筆性もあるわけですからね。このままこの提案を採用すると、特別な作品は独立記事がないのにより些末なものは単独記事があるといういびつな事態が生まれます。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月12日 (月) 14:24 (UTC)
- コメント プロジェクト:漫画#短編作品の扱いに準じて良いのでは? 「勝手なやつら」が「二次資料によって明確に特筆性を満たす作品」かどうか。デビュー作であることは作者記事で述べるべきことでしょうし、「再掲された」1点だと単独立項には弱いでしょう。--KoZ(会話) 2018年11月12日 (月) 23:34 (UTC)
- コメントデビュ作であることはこちらでももちろん述べるべきじゃないでしょうか?私がはじめに書いたとおり、短編集があるのでまとめるのはいい妥協案だと思いますよ。秀逸な記事の関連でも短編集に入っていないため、ろくな出典数がなくとも小枝となってしまっている記事はあるが、本件は短編集に入っているようなので、それを加味しても記事として十分に成り立つでしょう。門外漢の私が提案を読んで検索したらすぐ出てくるような出典さえ付けられていない、という努力が認められない段階での提案には疑問はありますし、とりあえず本提案には反対です。短編集をまとめるとなれば、議論や提案の手続きを改めるべきです。---鶏のから揚げ(会話) 2018年11月13日 (火) 23:41 (UTC)
- コメント 短編集記事にするとなると、初期短編集の『るーみっく・わーるど』(新装版『高橋留美子傑作短編集』)ですかねぇ。コンビニコミックだと『高橋留美子劇場 勝手なやつら編』なんてのもあるようですが。こういった短編の単独作品の取り扱いは、最近個人的にメンテしているCategory:藤子・F・不二雄のSF短編にある記事もそうですが、出典無しであらすじの出だしだけ、登場人物紹介だけといった記事が多数立項されており、頭が痛いところであります。--KoZ(会話) 2018年11月15日 (木) 00:06 (UTC)
コメント 静観するつもりでしたが、新たな議論も特に進展しそうではないようなので一応例も出しておきます。以下は一応私論といったところです。これが正しいとか他が間違っているとかいった話ではありません。なので本当に必要なら提案のようになさるのもいいでしょう。 桂正和は秀逸な記事#芸術にある作家です。桂正和#作品リストを見ると一覧にまとめられていますが、短編集にまとめられているものと、枝記事となっているものがあります。例えば超機動員ヴァンダー,プレゼント・フロム_LEMON。十分と言えるほどの出典はなくとも個別記事です。もちろん短編集にある方も出典は十分と言えるものではないと思います。しかし作者の記事の体裁を保つために分けられています。それによって秀逸な記事になっています。これらを作者のところに放り込めば体裁は崩れます。本件はそれと同じような格好です。作者と作品はある程度以上になれば分けるほうが自然に感じます。私がここに書いた出典は未だ加筆されてないようですが、それをしたとしても大差はないと思うので、こうした短編集にまとめるのも良いかもしれません(労力に見合うかは疑問です)。ここで言われているように特別な作品なら最低限の記述はあるべきだが、かと言ってこのまま作者記事に統合するとなると邪魔になる恐れが強いので、現状維持か短編集記事を作るか何かしらの方策を考えたほうが良いでしょう。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月19日 (月) 10:18 (UTC)
- 超機動員ヴァンダーもプレゼント・フロム_LEMONも連載作品なので、例としては不適当なのでは? 短編集なら桂正和コレクションの各話が独立記事になっているような状態を思い浮かべてみれば良いかと。--KoZ(会話) 2018年11月20日 (火) 05:25 (UTC)
- 秀逸な記事という限られた中から完全に同一ケースを探すのは難しいです。あくまで出典と記述分量のバランスということで例示しました。プロジェクトルールから言えば短編はなるべくまとめるとなるけど、この件でそれがどれだけ有益か?苦労に見合うかというところですね。わたしは始めからそれらを書いてますけど、やる価値がどれだけあるか? あと特筆性の部分は加筆しときましたのでこの件はもう終了でいいかと思います(短編集作成はまた別で)。なぜ門外漢の私がここまでやったのか疑問ではありますが、未だにここに貼った出典は貼られていませんので、目を通すついでに良いと思うところに貼っておいてください。ファンの目から見て良いように配置換えなどしていただいても構いませんので。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月20日 (火) 10:02 (UTC)
提案 出典をつけたりする作業をしていて思ったのですが、『うる星やつら』に統合してしまうのはどうでしょうか? 本作が『うる星やつら』の原案となったことは出典でも検証できますし、記事の量を考えても現在の『うる星やつら』の記事は30kBとそれほど大きいということもありません。高橋留美子への統合については異論もありますし、現在出典を付ける作業が行われているので、それで特筆性の担保をとって存続させる選択肢もあるかもしれませんが、元々短編の単独記事化は非推奨(ただし、特筆性を有する場合はその限りではない)(プロジェクト:漫画#短編作品の扱い参照)ですし、短編でまとめるにしても短編集『るーみっく・わーるど』は立項されていません。プロジェクト:漫画#短編作品の扱いにおいても「長編のベースとなった作品であれば、長編作品の記事内で扱い、長編記事の解説を充実させる。」という選択肢がありますし、記事量の少ない短編一本で存続させるよりもいいのではないでしょうか?--NA8C(会話) 2018年11月22日 (木) 11:52 (UTC)
- それらの条件が適用されるのは「ただし、単独でも二次資料によって明確に特筆性を満たす作品についてはこの限りではありません」これ以外の場合です。まぁ満たしているいないの判断ということでしょうが。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月22日 (木) 22:34 (UTC)
- 返信 「元々短編の単独記事化は非推奨(ただし、特筆性を有する場合はその限りではない)」と書いたとおり、それを承知した上での提案です。Wikipediaでは単独立項の条件として特筆性を一番重要視していますが、かといって特筆性があれば単独立項すべきという訳でもありません。「またある対象に特筆性が見つかった場合は、多くの場合ウィキペディアに記述できますが、ことごとく新規に独立記事を作成するだけが最良とは限りません。場合によっては既に記述されている、より包括的な項目内の情報として新たな節を設ける等、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。(Wikipedia:独立記事作成の目安)」とあります。本記事の場合、記事の分量も10kBに満たず、これ以上記事が育つ見込みも薄いと思われます。であれば、ということでの提案です。まぁ、提案の統合先が変わってしまうので、採用した場合、新たに『うる星やつら』との間で統合提案をしないといけませんが。--NA8C(会話) 2018年11月22日 (木) 23:49 (UTC)
- 失礼しました、ただのコピペではなく太字部分をしっかりと認識されていたということですね。しかしながらうる星やつらは肥大化に伴い分割しているのに、そこにわざわざ1作品の記述を統合する必要性はないと思います。それも承知の上で合意を反故にしてまでということでしたら、既に秀逸な記事から枝記事・小記事の例としてあげているものを見てみてください(プレゼント・フロム LEMON、超機動員ヴァンダー)。10kや16kぐらいで出典や分量から言えば問題ありません。逆に作品記事を著者記事に持っていくことで、合意によって作られた体裁が失われます。「特筆性があれば何でも別記事にすべきというわけではない」ということは私も人に説明したりしますので承知していますが、統合の要件は
統合の検討 以下に該当すると考えられる場合は、ページの統合を検討してみて下さい。
- 同一の概念や事物に関して、不注意などにより、別名でページが作られた場合
- 1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合
- 共通点のあるスタブが複数存在する場合 — Wikipedia:ページの分割と統合#ページの統合
- 1. 別作品であり同一ではない。原案とは言えるにしても私が引用した評価の記述を「節全てが『勝手なやつら』にかかるモノというのは無理がある」と仰ったぐらいには違う。2.「1つのページで説明すべき」とまではいえない。他の短編のように数行で収まっているような些末なものであれば可能。3. 否。です。現段階で何かしら変化を加えるとしたら、他で枝記事となっているものに削除依頼が出たときに短編集としてまとめるぐらいではないでしょうか?--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月23日 (金) 01:03 (UTC)
- 返信 反故なんて、偉く不穏当な言葉をお使いですね。まるで私がWPのルールを無視して勝手に統合でもするかのような言い草です。何のために提案をして議論をするという手段があるんでしょうか? 過去の合意は一切変更不可なんですか? そもそも『うる星やつら』が肥大化に伴い分割されたのは10年も前のことです。しかもただ分割するのではなく、可能な限り単独立項されている記事をまとめる方向で整理しています。Wikipedia内における記事分量に関する位置付けも変化しています。私はあくまでも目安としてそれぞれの記事の分量を書きましたが、分割と統合のノートでは分量で議論することを過去何度も否定しています。
- 統合の検討対象の要件に該当しない記事を統合してはいけない訳でもありません。先に書いたように「長編のベースとなった作品であれば、長編作品の記事内で扱い、長編記事の解説を充実させる。」という選択肢があり、十分関連性が高ければ議論の余地はあるのでは? と提案したのです。--NA8C(会話) 2018年11月25日 (日) 11:24 (UTC)
- 反故が不穏当でしょうか?失礼しました。では辞書での反故の定義に沿って言い換えましょう。うる星やつらが30k程なのは、議論において肥大化していることが認められ、それに伴い分割をして小記事を作ったからで、その状況の中、その合意に相反するような統合をする理由をしっかりとお示しください。過去の合意は変更可能ですよ。しかしそれに値する理由を具体的に書いてください。あれば私も賛成します。通常は当時と状態が大きく変わったとかですね。ただその時に自分ルールで考えないでください。WPで活動されたいならWPの方針ガイドラインに従いましょう。私は統合に値しない理由をしっかりとWPのガイドラインの引用を使い示しています。誠意ある議論者として示すべきことは示してください。私は引用でしっかりと「うる星やつらは肥大化に伴い分割している」と記述していますし、「合意を反故」と書いてますががなぜ拡大解釈しているのでしょうか?ちなみに登場人物はルールに沿ってまとめたり単独にされているようですので私は何も問題に思っておりませんので引き合いに出されてもただあるべき姿になっているなという感じです。そして作品に私も関連性がないとは思いません、私も書いている通り原案になっているのでしょう。しかしあなたは引用での評価を「勝手なやつら」を含む評価と解釈するのはおかしいとあなた自身が言っています。それほどに一体性、同一性はないということでしょう。まぁ些末でなくとも映画やアニメやゲームを1記事内で収めるべきだという立場から見ればそれでも統合すべきなんでしょうけどね。何にせよ具体的で明確な理由をお示しください。議論になりません。それがあるならそれを示せば済む話が空回りしています。私はWPに沿った記述をもうすでにしていますので建設的な議論をお願いします。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月25日 (日) 21:41 (UTC)
- 返信 「反故」という言葉は、「約束を反故にする」や「契約を反故にする」といった用法で使うことが多く、通常かなりマイナスイメージで使う言葉です。それを相手に使った場合、それ相応の反応になるのは当然です。
- 「引用での評価を「勝手なやつら」を含む評価と解釈するのはおかしいとあなた自身が言っています」。言っておりません。「当該節の冒頭がデビュー作の『勝手なやつら』についての記述から入っているからといって、節全てが『勝手なやつら』にかかるモノというのは無理がある」及び「仮に『うる星やつら』の原案だから『勝手なやつら』も評論に含むのだとしても、それは『勝手なやつら』そのものの評価とは言い難く」と言ったのです。全く意味が違います。
- 私は別にこの形で統合しろとは一言も言ってませんよ。元々私が議論に参加した時点で、貴方が出典を色々とつけておられたので、書きはしませんでしたが単独記事として存続させることに賛成の意を持っていました。ただ、当初「高橋留美子」への統合案が提示され、その後の議論の状況ややりとりを通じ、じゃあこういうのはどうですか? と提案したのです。別に無理に統合する必要もありません。--NA8C(会話) 2018年11月26日 (月) 15:26 (UTC)
- そうですか。単独記事を維持することに賛成だったんですね。ただそういう表現がない以上私にはそれを知るすべはありませんでした。私からすれば統合の件に関してのNA8Cさんのはじめての発言が「統合提案」、ということは立項の現状が妥協的であれ適切でないと判断していると思うほかありませんでしたし、その発想が特におかしいとも思いません。その点はご理解ください。そして過去の合意に目を通していた私は、「その経緯や現状別記事であるという点を解消し、同一記事で語るべきとまでは言えないものを統合し、肥大化を招くこと」はマイナスかと感じたので反対いたしました。あなたは一つの記事でなるべく色々網羅されていて欲しいという立場のようですからここは私と噛み合うことはないでしょう。しかしながら別記事のまま存続に賛同の意を初めて示されたので、「賛同だが一応の他の検討し得る他の案も提示してみたんだ」という点は了承いたしました。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月27日 (火) 04:12 (UTC)
『勝手なやつら』評価節部分の記述について
[編集]統合提案と論点が違うため、該当部分を新たな節に切り離します。--NA8C(会話) 2018年11月22日 (木) 11:34 (UTC) 本議論は上の「統合提案」から切り離したため、このノートで議論していますが、『勝手なやつら』に関する議論です。--NA8C(会話) 2018年11月24日 (土) 15:01 (UTC)
- 本論と違うところで大変恐縮なのですが、鶏のから揚げさんの追記された部分に手を入れさせていただいたところ、著作権的に大丈夫か? と気になりました。まず、吾妻ひでお氏の辺りは高橋留美子#来歴からのほぼコピペですし、アイズナー賞の記事を出典とした部分も記事からいくらか間引いているものの、コピペに近いと感じます。この程度なら大丈夫なのでしょうか?--NA8C(会話) 2018年11月20日 (火) 15:38 (UTC)
- 細かい修正や出典の加筆もやられたのですね。ありがとうございます。来歴からのコピペについては要約欄に「~から一部転記」と書こうとしてたがボタンを間違って押してしまいました。というか誤字を見つけたので今ほど校正ついでにその旨を記載しておきました。大きな問題があると思うなら差し戻していただいて構いません。アイズナーの件は「そういう評価をしている」という事実を書きつつ、何でそうなのかという当時のわかりやすい背景なども書きつつ削ったつもりです。個人的な独自研究を入れるわけにも行かないし、これ以上削るとそこらへんが損なわれると思いましたが、より改善していただけるならお願いします。出典を調べるに当たり高橋氏が「自分でいらないところを見つけて削るのは難しい」みたいなことを言っているのを見ましたがそういった類だと思うので可能なら構いません。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月20日 (火) 22:36 (UTC)
- 返信 吾妻ひでお氏の部分の履歴継承について確認しました。アイズナー賞の部分は一部を削ったり置き換えたりしていますが、文章の構成はほぼそのままです。私もこれで大丈夫なのか判断がつかないので、念の為、 著作権侵害にあたるかどうか判定困難な場合として著作権問題調査依頼をして保険を掛けた方がいいかもしれません。版指定削除になった場合に困らない様、一旦当該記事部分を落とした版を作成(吾妻氏の部分も巻き込んでしまいますが…)し、改めて問題がない形で書き起こすのがいいかもしれません。あくまでも懸念なので、この程度ならば問題ないということであれば、それはそれでいいのですが。
- あと、当該文章の『ドラえもん』以降については、『勝手なやつら』の評価というより高橋先生への評価にあたると思うので、独自研究にならない様、一部利用しつつ前後を変えたりして構成を変え、アイズナー賞の出典ベースの文章から下の様な案を考えてみました。小手先ですが、どうでしょうか?
- 統合されるのか、リダイレクト化されるのか、存続になるのかはまだ議論中なので、もしかしたら無駄になるかもしれませんが、それはそれとして記事の状態を少しでも改善しておくのはいいことかと思います。--NA8C(会話) 2018年11月21日 (水) 13:44 (UTC)
- 文の構造が似るのはなるべく改変をせず独自研究を避けるためです。必要な箇所を削ったり構造を変えると意味合いを改変・広げる可能性もあるので。代案文を読むと私には作品の評価よりも高橋氏の評価、というかただの事実の説明のようにも見えます。著者記事に入れるのは異論ないですが、作品記事では後段に関しては削るべきではないと思います。出典元が同じ節に記述していることにならうべきです。あくまで本件では主題は作品なので作品をなるべく主語にした記述の分量があるべきかなと。単語で言うと「宣伝文句」としてしまうと「掲載時に銘打たれた」という事実から若干広がりをもたせてしまいます。デビュー前からそういう宣伝広告をやっていたという印象を生みかねません。実際にあったかもしれないし、なかったかもしれない。なのでそこは元のままでいいと思います。著者の比較ではなく作品の話なので「藤子不二雄」はなくてもいいと思いますがあっても問題ないでしょう。引用元では省いてますが、説明したほうがふさわしいと思うなら加筆してください。その後は評価の節を削っているようですけど、それだと作品の評価ではなく高橋氏のデビューに関する話というだけになってしまいます。本作もうる星やつらの原案と言える作品なので、そこはこの作品もこの評価に含まれてると考えて問題ないでしょう。引用元でもうる星やつらに限定した記述はしていません。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月21日 (水) 21:44 (UTC)
- 返信 「宣伝文句」ってそこまで気になりますか? デビュー作掲載時に作品を読んでもらうために雑誌側が打ったものですし、記事中で「センセーショナルなデビュー」と言ってるくらいなので「宣伝文句」と言っても問題はなさそうですが、まあ違うと言うのであれば原点どおり「銘打つ」のままでいい思います。どちらかと言うと「センセーショナル」を「革新的」へ置き換えた方が言葉の意味が変わっていて違和感がありますけど。一応今回の提案の趣旨は、出典の記事をなるべく生かす方向で著作権問題の疑義を無くしたいので、なるべく原点の文章から遠ざけようというモノでした。「藤子不二雄」もその観点からの挿入です。前回述べたとおり小手先ですが。
- まぁしかし、ご指摘のとおり、このままでは高橋先生の評価になってしまいますね。というか、そもそもこの出典記事が「高橋留美子」についての記事であり、当該節の冒頭がデビュー作の『勝手なやつら』についての記述から入っているからといって、節全てが『勝手なやつら』にかかるモノというのは無理があるのではないでしょうか。節中盤で『うる星やつら』に言及しており、それを受けた後半の「類や性別を超えた恋愛劇を描き出した。」という部分は『勝手なやつら』には当てはまりません。仮に『うる星やつら』の原案だから『勝手なやつら』も評論に含むのだとしても、それは『勝手なやつら』そのものの評価とは言い難く、やはり「高橋留美子」の評価の文章になります。当該節の中で『勝手なやつら』そのものの評価と言えるのは、デビュー作掲載時に銘打たれた「SF快作」くらいじゃないですかね。そう考えると、「〜コミック大賞佳作を受賞。」と「掲載した雑誌の〜」の間に【『週間少年サンデー』は本作を「SF快作」と銘打って掲載した。】をこの出典を付けて挟むくらいがいいのではないでしょうか? これなら独自研究にならず、著作権的に問題にならないでしょう。ある程度の文章量を記載したいと言う気持ちもわかりますが、単一の原典からまとまった量を引っ張ろうとすると、どうしても著作権上の疑義が生じてしまいます。Wikipediaは自分が著作権を持つ文章を書けと言っているのですから、やはりそこは十分注意して書くべきかと思います。--NA8C(会話) 2018年11月22日 (木) 19:42 (UTC)
- 商品に銘打っただけではなく、そのような宣伝活動が実際に有ったことが示されれば問題ないと思います。むしろそれも書くべきです。センセーショナルについてはおっしゃる通り苦慮した点です。意図としては「センセーショナル」は人々の関心を強く集めたとか、感情を惹きつけたみたいな意味がありますが、これについては物差しがない物であり、誇大表現的な要素を抑えつつ、しかし当時としてそういう状態が珍しい・新しいということは事実として確からしいと思うので表現を変えました。原文ままでも、より良い表現でも変えてもらって構いません。このような苦慮からも分かっていただけると思いますがそのままコピー転載ではなく、解釈をした上でWP的な表現に直してはいます。歌詞などでよく著作権問題がおきますがそれらはほとんど丸写しです。そして「勝手なやつらに限定した評価ではない」のは同意であり、これに関しては「SF要素を踏まえた評価」として出典元で触れている「勝手なやつら」「うる星やつら」「高橋留美子」いずれにも併記していいかなと思います。そしてこの意見を聞いて、記述する際に「直後に『うる星やつら』の連載を開始した」が省くべき部分ではなかったと気づいたので、藤子不二雄とともに加筆しておきます。私自身がすべての記事の体裁を考え全てに適切に記述するまでの熱意がないので、とりあえずここに書いておけばファンや熱意ある方が適切に転記もしくは出典を元に加筆してくれるとの期待もあります。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月22日 (木) 22:01 (UTC)
インデントを戻します。
- 返信 例えばですが、ある商品に「業界初」とか銘打ってあった場合、それは宣伝文句になりませんか? 商品に銘打つっていうのは、その商品を売らんが為にするものです。本の帯に「○○万部突破!」なんて書いてあるのも同様です。要は気を引くために書く訳ですから、その行為そのものが宣伝活動になります。商品に限らず肩書きや二つ名を持つというものは、権威付けの他にも周りの関心を集めるための手段であり、売り出す為の宣伝行為にもなります。「センセーショナル」を「革新的」と置き換えたのも苦慮の結果なのは理解できますが、色々な状況を合成した結果であれば、それは独自研究になるのではないでしょうか?
- と、言葉一つ一つの話は置いておきます。追記されて、より原典の文章に近付いてしまいましたね。やはり私は危ういと思います。著作権問題は、コピペだけでなく、言葉尻を変えたり言葉を置き換えたりしたもの、更には構成が変更されていても元の文章を彷彿とさせるものであれば該当してきます。だから私がやった文章の前後を入れ替えたりして構成を変えたものも小手先と言っています。今回の該当文章も著作権問題の「c)単なる転載ではなく、再構成などがされているもの (元になった作品の表現の本質的な特徴が感得できれば、翻案であり、著作権(の一種の翻案権)侵害である可能性がある。感得できないほどに変更されていれば、複製や翻案にあたらない可能性がある)」に該当する可能性が高いと思います。が、出典付きでも同じように判断するのか、わたしには白黒の判断がつきません。今後のためにも、やはりここは一度著作権問題調査依頼をかけて、他の方達の意見を聴いてはっきりさせたいと思います。--NA8C(会話) 2018年11月24日 (土) 11:26 (UTC)
- 一先ず著作権にかかる部分の議論節をノート:勝手なやつらに新設しました。--NA8C(会話) 2018年11月24日 (土) 15:42 (UTC)
- なりません。気を惹くとしても販売物に掲載しているだけです。宣伝文句と言うならそれとは別に宣伝行為に値する広く世に広める、喧伝する行為があるはずです。実際にあったかもしれませんが、あるなら出典をどうぞ。実際にあるなら私は特にこだわりはないのでそれを加筆すればいいと思います。ないなら拡大解釈させる言葉に置き換え改変してはいけません。独自研究にはらないでしょう。私は自分の解釈を足してはいません。WP的でない誇大表現要素を削り取ったことがそれほど問題でしょうか?当時としては珍しいというのが独自研究でしょうか?なら他のより良い表現を見つけて改善提案してください。問題があると思うなら元の言葉にしてもらっても構いません。上でも既にその様に書いています。問題があるならあるで除去し他の文言になるだけ。なければこのままになるだけ。私はどちらでも一向に構いません。なぜならもとより書いているように私はこの著者に特別な感情はなく、ただ世で言われていることをWP的フィルターを通してまとめればいいと思っているだけですから。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月25日 (日) 03:50 (UTC)
- 返信 国語辞典にすら書いてあることですよ(“国語辞典オンライン”. 2018年11月25日閲覧。、“全辞書検索JLogos「ベネッセ国語辞典 電子特別編集版」”. 2018年11月25日閲覧。)。出典にある言葉が誇大表現だった場合、その出典にて表現された旨書くのはWikipediaとして問題はありませんが、それを意味の違う別の誇大表現に置き換えるのは問題です。貴方は「当時としてそういう状態が珍しい・新しいということは事実として確からしいと思う」と書いています。思った結果としてその意味の違う別の言葉を使用したのなら独自研究になります。せめて類義語に置き換えるべきです。
- 上にも書きましたが、当該文書については著作権侵害の疑義を持っています。杞憂に済めばいいのですが、そうでないのなら当該文書そのものを削除する必要が出てきます。--NA8C(会話) 2018年11月25日 (日) 05:56 (UTC)
- はい。しかし反論になってないようですが?
① 銘を刻む。 ② 名目をつける。もっともらしい名目をかかげる。 「環境にやさしいと-・った商品」 — 大辞林 第三版、https://kotobank.jp/word/%E9%8A%98%E6%89%93%E3%81%A4-642859
[動タ五]《「銘を打つ」から》特別に名目をかかげる。称する — デジタル大辞泉、https://kotobank.jp/word/%E9%8A%98%E6%89%93%E3%81%A4-642859
- 記事に書いてあるとおり銘打たれたのは間違いない。私も確認してきました。もしあなたの引用元の「また」を無視してそれ以降を読んで「宣伝が有ったはずだ」は成り立ちませんからね?そうである場合もあるが、なぜ前者である可能性を排除してるんですか?他の辞書では宣伝のためと定義していません。銘打つの語源からしてもそれが妥当でしょう。宣伝行為があったのなら出典を早く示してください。無駄な議論になります。ただそれさえすればそう書くことになんの問題もありませんし、書くべきでしょう。私は事実に基づくならどちらでも良いです。私は「銘打つ」を変えていませんが?それ以外でも「WP的ではない誇大表現を抑える表現に変えた」と書いています。「他にふさわしい言葉があるなら変えてもらって構いません」とも書いています。なのでもちろん削除することになっても一向に構いません。より望ましい表現にすればいいだけです。もし問題があるならセンセーショナルと書いてもらっても構いません。
- 引用元に書いてある「銘打つ」ではダメで。別の意味の含みも持つ「宣伝文句」でなければならない理由を示してください。もうこういったことを書くのも4回目です。そろそろ具体的にお願いします。具体的理由(事実)があるなら私はそれに基づいた記述を何ら否定しませんので。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月25日 (日) 21:25 (UTC)
- 返信
最初に。リンク間違ってますよ。 - 一先ず、「なぜ前者である可能性を排除してるんですか?」ですが、前者の可能性があるとは思っていないからです。辞書にもあるように、通常「銘打つ」と言えば、作品に作者名や作品名を刻むことで、それが辞書に書かれている第一意です。今議論しているところで言えば『勝手なやつら』という作品名や作者が「高橋留美子」であることを記載することがそれに当たります。もし作品名が『SF快作 勝手なやつら』というなら前者でしょうけどね。しかし、今回気にしている「SF快作」はそれとは違います。これは「本邦初公開」とか「完全新作」とかと同じで、作品名とは違い、いわゆるキャッチコピーです。貴方は「気を惹くとしても販売物に掲載しているだけです」と仰いましたが、「パッケージ」がただ商品を包むモノで、販売促進になんら効果のないものだと本当に認識されているのでしょうか? 違いますよね? 制作者側はいかにその商品を売るかを考えてパッケージデザインをします。それそのものが販促・宣伝行為なのです。少しでも気を惹くというのが大事なのです。販売側はパッケージに、少しでも売れるよう、場合によっては法律違反になるような、最大限の宣伝効果を持つデザインや文言を入れます。食品であれば、おいしそうに見える写真を付けたり、商品名と別に「国産」とか「コラーゲンたっぷり」なんて銘打つのもそれです。それどころか、商品名さえもいかに売れる名前を付けるかに苦慮している訳です。もし本当に「気を惹くとしても販売物に掲載しているだけです」というのであれば、「景品表示法」などいらないのではないでしょうか?
- ところで、私「引用元に書いてある「銘打つ」ではダメ」とは一言も言ってませんよ。私も比較的最初の方で「違うと言うのであれば原点どおり「銘打つ」のままでいい思います。」と言っていますし、第2案として「【『週間少年サンデー』は本作を「SF快作」と銘打って掲載した。】」という文言を提示しています。ただ貴方が持つ「宣伝」という言葉への認識に強烈な違和感があるから申し上げていたのです。恐らく貴方と私のものの考え方や認識に大きな隔たりがあるのでしょうし、私の説得力のなさも大きな原因でしょう。私が上に書いたようなことには貴方は納得しないでしょうしね。どうも貴方は私が言っていないことも言ったと認識するようですし、貴方と上手く議論できる気がしません。この議論での私の発言はここで一旦終わりにしておきます。--NA8C(会話) 2018年11月26日 (月) 17:17 (UTC) (事実誤認部分を取消し--NA8C(会話) 2018年11月27日 (火) 10:26 (UTC))
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- わかりました。今後はこの件で出典なしに参加しないで下さい。何度も聞いていますが出てきません。現時点ではそれのないものは不要です。
- リンクは間違ってませんよ。リンクが同じなのはどちらもそこに載っているからです。引用の形式上そうなってるだけです。冷静になってちゃんと下までスクロールしてみてくださいね…。ここに来た理由も私のアカウントから来たのでしょうが、何に無駄な力を使っているんですか?あなたは他の件でも引用先をしっかりと確認せず評論の部分を見逃し「プレスリリースの引用だけだ」と仰っていて、後で間違いを認めていましたね。しっかりと確認してから議論に参加してください。議論が空回りし無駄になります。あなたが言ってるよう「銘打つ」でもいいなら問題ないですね。今度は「販促」ですか。「銘打つ」ことで、その陳列された商品を見た者に対して目をひく効果(≠宣伝行為)があることは否定していませんが、商品を陳列する以外の「販売促進行為」があったんですか?あるなら出典付きでどうぞ。歓迎いたします。「銘打つ」のままであなたの意図したい事は十分反映されています。しかし広告行為・販促行為があったような書き方にするなら具体的な出典を添えてください。事実ならそれを書くことに始めから一度たりとも反対していません。それどころか書くべきと申し上げています。
- 上とも重複しますが私の理解と相違ない下に挙げる「宣伝」の意味に準じる行為があるなら出典付きで書いてください。あるなら記述をすることを一切拒みませんし、上でも拒んでいません。というか記述すべきといっています。
- しかしNA8Cさんが引用した国語辞典オンラインには宣伝の記載がありませんね。2018年09月時点から更新がなく収録数も「21702」とかなり少ない。個人運営のサイトでしょうか?どうやら信頼の置ける辞書を元にしたというより「銘打つ 宣伝」で検索して上位の方から使えそうなものを引用したといったところでしょう。もしそうだとすればそのようなWP的でない物をよく議論の場に出してきたものです。
「宣伝」(こちらに該当する検索結果は見つかりませんでした。収録されていない言葉です。) — 国語辞典オンライン、https://kokugo.jitenon.jp/
それ以外のサイトだと
宣伝とは製品の便益を多くの人に理解させるために広く情報を伝えることをいう。 — ブランド用語集、https://kotobank.jp/word/%E5%AE%A3%E4%BC%9D-22693
せん‐でん【宣伝】
- 1 商品の効能や主義・主張などに対する理解・賛同を求めて、広く伝え知らせること。「新聞を使ってーする」
- 2 事実以上に、また、事実を曲げて言いふらすこと。「自分の手柄のようにしてまわる」」 — デジタル大辞泉、https://kotobank.jp/word/%E5%AE%A3%E4%BC%9D-22693
せんでん【宣伝】
- ① 主義・主張や商品などに関する知識・効能を広く人々に説明し、理解を得ようとすること。 「テレビを通じて-する」
- ② 実際より大げさに言い触らすこと。 「あることないこと-する」 — 大辞林 第三版、https://kotobank.jp/word/%E5%AE%A3%E4%BC%9D-22693
- 【1】物事の存在や特質を多くの人に知らせ広めること。「―販売」
- 【2】(事実以上に)大げさに言いふらすこと。{類}喧伝(けんでん) — 「 ベネッセ国語辞典 電子特別編集版 」、http://www.jlogos.com/d001/705160180.html
- こういった行為があるなら出典付きでお願いしいます。大変歓迎します。--鶏のから揚げ(会話) 2018年11月26日 (月) 23:01 (UTC)
まず、謝罪を。色々と失礼な物言いをしました。すみません。ちょっとヒートアップし過ぎました。 発言を一旦やめると言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに発言することをお許しください。ただの負けず嫌いなので、鼻で笑っていただいて結構です。ただ、議論を蒸し返すつもりはなく、「銘打つ」をどうこうするつもりはありません。せっかくの機会なので書籍ベースでいくつか調べてみました。お目汚しかとは思いますが、あくまでも参考として。
まず「銘打つ」について。
めい う・つ[銘打つ](自五)〈名前/名目〉をつける。「慈善(ジゼン)事業と–」
— 三省堂国語辞典 第七版【小型版】、P1516
こちらには「宣伝」の文字は含まれず。
めい-う・つ【銘打つ】(他五)タ(ト)・チ(ツ)・ツ・ツ・テ・テ(美術・工芸品などにその作者名をきざむ、名をしるすの意から)宣伝のために、物事に特別な名をつける。「郷土名産と–・った織物」
— 旺文社 国語辞典 第十一版 小型版、P1447
めい-う・つ【銘打つ】≪自五≫[宣伝のために]品物に特別な名前をつける。称する。「極上品と–・つ」
— 学研 現代新国語辞典 改訂第六版 小型版、P1420
めい-う・つ【銘打つ】動詞・五段・他特別に名をつけて宣伝する。 ◎日本一と銘打つ品。 ◎わくわくキャンペーンと銘打つ。 類>称する。
— ベネッセ表現読解国語辞典、P1175
こちらの3辞典は「宣伝」がメインの様な記述になっていました。 ちなみにちらっと見た広辞苑第七版には「宣伝」の文字はなしです。 「宣伝」の文字を含む辞典を探した結果なので、結果は偏っています。辞書の格の差は私にはわかりません。ご指摘いただいた出典元の信頼性については今後肝に命じます。面白いのは、同じ出版社が複数辞書を出版していても、編集者が違うため、必ずしも同じような表現ではないことです。
ついでに、「宣伝」について。
せんでん[宣伝](名・他サ)主張や事実を広く一般(イッパン)の人々に知らせて理解・共鳴させること。「選挙の–カー・誇大(コダイ)–」
— 三省堂国語辞典 第七版【小型版】、P825
せん-でん【宣伝】(名・他スル)①主張や商品価値などを広く人々に知らせて、理解・共鳴・支持を得ようとすること。ピーアール。「–カー」「テレビで–する」
②物事を大げさに言いふらすこと。「あることないこと–してまわる」
— 旺文社 国語辞典 第十一版 小型版、P837
せん-でん【宣伝】≪名・他サ≫❶主義・主張や商品の特質などを説明して、多くの人の理解・共鳴を得るように働きかけること。プロパガンダ。ピーアール。「–効果」 類語 広告
❷ある物事を大げさに言いふらすこと。→類義語の使い分け「広告・宣伝」
— 学研 現代新国語辞典 改訂第六版 小型版、P815
せん-でん【宣伝】名詞 動詞・サ変・他❶(ある考えや商品の価値などを)多くの人々に理解してもらえるように広く知らせ、説明すること。 ◎テレビで新製品を宣伝する。◎宣伝効果。 外 コマーシャル。ピーアール。
❷大げさに言い触らすこと。 ◎二人の仲を宣伝する。◎不況宣伝。
— ベネッセ表現読解国語辞典、P689
これはどれにも私が意図するような記述はありませんでした。
あと、辞書ではありませんが、
商品パッケージのデザインプロセスのうち、商品企画やデザイン調査後に行われる基礎デザインでは、商品コンセプトに基づいて商品のロゴや宣伝文句の色を決定し、これらを効果的な位置に配置する作業が行われる。 — 堀井千夏 商品パッケージにおけるデザイン戦略のための評価手法、経営情報研究第19巻第2号(2012年2月),65
- https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181128003226.pdf?id=ART0009956420
堀井千夏という方は摂南大学の教授だそうで、この論文を書かれた頃は准教授だったようです。この先生の評価はわかりませんが、これもあくまで参考で。--NA8C(会話) 2018年11月27日 (火) 17:58 (UTC)
- 今後の参考にはさせていただきます。と同時に、拝読していた、書き込みを認識していたという意味で一言一応付けておきます。--鶏のから揚げ(会話) 2018年12月9日 (日) 05:46 (UTC)
雑
[編集]同年「犬夜叉」の連載を開始。かねてより興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素をほとんど無くし戦闘とシリアスな路線を取っている。
↑ほとんど無くしというのは適切な表現とは思えないのですが、話の展開でシリアスな回とギャグの回があるとも思うのですが --125.53.203.103 2009年2月6日 (金) 17:55 (UTC)