ノート:高橋お伝
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日本最後の斬首
[編集]この項では1879年(明治12年)1月31日の高橋お伝の斬首を日本最後の斬首刑としていますが、山田浅右衛門をメインに扱ったウェブページの中にはその2年後の1881年(明治14年)7月24日に強盗殺人犯の巌尾竹次郎と川口国蔵への執行を最後としている所も幾つかあります。詳しく調べてはいませんが、こちらが正しいのではないでしょうか? --Kamitani 2007年11月10日 (土) 03:37 (UTC)
- なにぶん明治初期のことですので、両説併記ということではいかがでしょうか? --Tokyo Watcher 2007年11月10日 (土) 06:17 (UTC)
- 1881年(明治14年)7月24日は浅右衛門が斬首刑廃止で廃役となった日です。この日に処刑をしたかは不明。廃役の根拠は、岩波書店『近代日本総合年表』(1968年、86頁)。最近のことですので出典が出るのを一応は待ってみましょう。私もお伝が最後の処刑対象というのをどこかで読んだ気がします。--Memosa 2007年11月10日 (土) 10:24 (UTC)
- 一応、お伝が斬首の最後というのが一応定説として通っているように思います。--Tokyo Watcher 2007年11月11日 (日) 00:44 (UTC)
- 情報 法学者・重松一義の著書『日本刑罰史年表』(雄山閣出版、1972年)、同『大江戸暗黒街 八百八町の犯罪と刑罰』(柏書房、2005年)にはお伝の斬首刑は「わが国女囚最後の斬首刑」とありました。特に後者の『大江戸〜』の「歴代首斬り浅右衛門の略系」の項では山田朝右衛門吉亮が斬首した死刑囚の例をお伝を含め6例具体的に挙げており、明治14年7月24日の巌尾竹次郎と川口国蔵を吉亮による最後の斬首、翌明治15年1月1日の旧刑法制定を斬首刑廃止としています。高橋お伝は早くから講談・芝居・小説等々のネタになっているため脚色が含まれた書籍も多くあるのではないでしょうか? --Kamitani 2007年11月11日 (日) 10:36 (UTC)
- ご指摘の通りかもしれません。貴重な情報ありがとう御座いました。--Tokyo Watcher 2007年11月11日 (日) 10:43 (UTC)
- ご指摘の著書の方が説得力がありますので、当方が浅薄に付けた本文の注を削除しておきます。ご加筆を伏してお願い申し上げます。--Memosa 2007年11月11日 (日) 12:27 (UTC)