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ノート:高山登久太郎

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「中川芳太郎は、旧制第三高等学校の出身であったため、滋賀県県庁や大津市市役所の幹部職員に同級生がいた」との記述について

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中川芳太郎は実在したヤクザであり「中川芳太郎(中川組初代)芳山法観信士 昭和四十八年二月十六日歿 行年七十五歳 中川組初代 中川芳太郎、明治三十二年生。京都の親分いろは二代目長谷川房次郎の盃をうけて子分となり、後年中川組初代として関西屈指の親分となり」云々との記載が藤田五郎『公安大要覧』(笠倉出版社、1983年)488頁にあります。しかし、このヤクザの中川芳太郎が三高出だったとの典拠を発見することができません。

愛知県出身の中川芳太郎(1882-1939)という三高出の英文学者と混同しているのではないでしょうか。なぜなら、国立国会図書館デジタルコレクションで旧制三高の在籍者の名簿が公開されていますが、その中に登場する中川芳太郎はことごとく本籍が愛知県で、前述の英文学者と経歴が一致しているからです。--240D:F:C08:0:CDAB:B4F:8BE8:49CC 2024年3月6日 (水) 15:35 (UTC)[返信]