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ノート:高句麗/過去ログ2

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各ツングース系記事の言語系統項目の書き方案

[編集]

これまで難解で争いの絶えなかった“ツングース問題”ですが、このたびまとまりかけてきた気がするので、ある程度のフォーマットを作りましょう。互いに案を出し合っていただきたいので、112.138.46.198 氏,通りすがりの某氏,218.217.115.116氏はご参加ください。ここで決まったものはツングース系民族沃沮高句麗夫余粛慎挹婁勿吉靺鞨等の記事に(共通の書き方で)反映したいと思います。--トムル 2011年9月4日 (日) 15:57 (UTC)

トムル案

==言語系統== ←※「民族系統」ではない

中国史書では「~」と記されている(脚注には『史書名』○○伝「抜粋文」)。○○の言語系統については論争があって定説はないが(脚注)、諸説あるため、以下に挙げる。←※史料に書いてあることをまず書いてから諸説紹介

  • 説1(脚注)
  • 説2(脚注)  ←※諸説紹介は上から古い順
  • 説3(脚注)

上記のように諸説存在するが、近年の考古学調査により、~ということが有力となってきた(脚注)。 ←※最後に新説を紹介する

112.138.46.198案

粛慎系

==民族系統==

中国史書では「~」と記されている(脚注には『史書名』○○伝「抜粋文」)。(必要なら女真による文字記録とその研究結果も記載)

  • 言語に関する史書の記述と近代以降の研究結果や仮説(脚注)
  • 同じく史書の記述と解っている文化・習俗的な特徴(脚注)

===研究史===

幾つかの古アジア系に比定する仮説があった旨を書く

扶余系

==言語系統==

中国史書では「~」と記されている(脚注には『史書名』○○伝「抜粋文」)。

  • 仮説1(脚注)
  • 仮説2(脚注)

==文化的特徴==

中国史書では「~」と記されている(脚注には『史書名』○○伝「抜粋文」)。

  • 研究結果や仮説(脚注)
通りすがりの某案


218.217.115.116案
とりあえず、おかしさを感じている点をいくつか述べます。
①トムル氏の「言語系統」論について。出典によると学者は「民族」としています(護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族)。ですから「民族系統」で間違えはなく、「言語系統」と限定するのは編集者の独自研究ではないでしょうか?言語系統としたいならば、「民族系統」ではないとする多くの学者の出典をお願いしたいところです。
②-1、wikipediaにおける中立的観点とは、「多数派の意見は多数派のものとして、少数派の意見は少数派の意見として記載しろ」とあります。「扶余や高句麗をツングース系とする」ことは、すでに出典が出ているように多くの研究者の多数派の意見です。逆にそれを否定する見解はほぼ見られません。多数派と少数派を同等に並べる記載方法は、POVに引っかかります。まず、定説(多数派)を重点的に記載し、他にも説があるという書き方にすべきでしょう。それが中立的観点に適った記載方法だと思います。
②-2、「扶余はツングース」「高句麗はツングース」と、定説とまで言えるほど多くの出典が見つかる中で[1][2]、それに反する「扶余や高句麗をツングース系ではない」とか「ツングースとするのは古い説」とするには、「高句麗はツングースではない」「扶余はツングースではない」と直接述べられ、完全否定している最新(できればここ2年内)の多数の証拠が必要ですが、それも出されていません。wikipediaだけ他の事典と違うことを書くからには、それ相当な出典が必要です。 現状では112.138.46.198が出している研究(「挹婁(粛慎系)はツングース系」)しかなく、それをもって「高句麗はツングースではない」「扶余はツングースではない」とするのは独自研究です。粛慎系がツングースという説があることは日本の学者も述べていますが、それをもって「高句麗はツングースではない」「扶余はツングースではない」と言及する論はどこにも見られません。そもそも「挹婁(粛慎系)はツングース系」だから、「扶余はツングース系ではない」という編集者の独自見解は危険なのです。そんなことを言っている専門家はいないし、「粛慎系である勿吉もツングースだし、扶余もツングース」とする見解もあるのですから[3]。とにかく、現在出されている出典から見ると、多数の専門家から「高句麗はツングース」「扶余はツングース」と言われている事実を中心に書き、「挹婁(粛慎系)はツングース系」とする中国の研究もある、と出典のままの書き方をすることが方針に適った書き方ではないでしょうか。
扶余の「言語系統」の節のように、「説」がいくつか示されていますが、「ツングース語系説」以外、誰がその「説」を唱えているのか不明です。ちなみに「ツングースである」とはっきり述べている研究者の出典は三上次男だけでなく、いくらでも出せます。「非ツングース語系説」では、「ツングース系である女真族(現在の満族)の祖先が挹婁である」という研究結果はありますが、「扶余はツングースではない」と言及している出典はありません。「扶余はツングースではない」と書くことは編集者が勝手に連想した独自研究でしょう。また「日本語系説」を扶余の記事で書くべきものなのか疑問ですが、書くならば高句麗語自体の存在自体に疑義が出されている事も記載しなければ、POVです。112.138.46.198によって消されてしまいました[4]。その復活を求めます。また「モンゴル語系説」では一次資料をもとに、「これらの言語系統はモンゴル系になる。」などと編集者が勝手に解説しており、これも独自研究です。そのように述べている学者の出典を求めます。説を書く場合には、「誰がそれを述べているのか」をはっきり記載してください。一次資料や他のことを述べている出典(112.138.46.198が出している出典)をもとに編集者が勝手に連想して「説」として記載してしまっている例が多く見られ、それは独自研究に当たります。誰がその説を述べているのかをはっきり示せないのであれば、論争もないのに、ここの編集者が論争(説)を勝手に作り上げていることになってしまいます。--218.217.42.67 2011年9月4日 (日) 18:01 (UTC)

まず、粛慎挹婁勿吉靺鞨渤海等と穢貊高句麗夫余沃沮等はまた別の問題で。粛慎の系統は歴代史書にある通り往古から女真の祖先と理解されて異説などは無く、一時期一部から根拠の定かでない異端の説が出された程度、発掘調査の結果からもツングース以外に比定する仮説は研究史に書く程度で十分。扶余系に関しては、粛慎系とは言語と文化・習俗が異なる事を書き、あとは一般的な書き方でいいんじゃないですかね。--112.138.46.198 2011年9月5日 (月) 12:20 (UTC)

ip氏へ

  • ②多数派少数派は誰が判定するのか。扶余系≠ツングース説も同じく複数あるし、加えて史書ではツングース系の粛慎と言語が異なると記録され、同時代の社会形態や生活形態も異なる。
  • ③②に同じ、加えて扶余系の集団は現在に繋がる子孫が居ないので手掛かりも乏しく、仮説以上のものは出ていない。--112.138.46.198 2011年9月5日 (月) 12:30 (UTC)
②多くの学者の意見をカウントしたり、事典や書籍にどう書かれてあるのかを調査すれば多数派(主流派)の意見は何か?がわかると思います。少なくとも誰がどこでその意見や研究結果を述べているのか?をすべてしっかりと示し、読者にどれが主流派の意見か?を判断させる方法もあります。だからこそ、「高句麗=ツングース」「扶余=ツングース」とする多くの出典が提出されているのです。それを消し去ることは、読者が主流派の意見かどうかを判断する材料を消していることになり、完全なPOVになります。「扶余系≠ツングース」と主張している研究者がいるならば、どれだけの研究者がいるのか?どこで誰がそれを述べているのか?ここで提示してください。wikipediaだけ他の事典と違うことを書くからには、それ相当な出典が必要です。 また、「ツングース系の粛慎と言語が異なると記録され、同時代の社会形態や生活形態も異なる。」ことをもって「高句麗≠ツングース」「扶余≠ツングース」と言い切ることはできない。「粛慎系である勿吉もツングースだし、扶余もツングース」とする見解もあるのですから[5]。「高句麗≠ツングース」「扶余≠ツングース」と言っている研究者がいるならば、誰がどこで言っているのか?提示してください。同じようにwikipediaだけ他の事典と違うことを書くからには、それ相当な出典が必要です。 
③「仮説以上のものは出ていない」から何なのでしょうか?研究者が仮説を唱えているならば、それをしっかり載せれば良い。私は前回の③において「誰がその説を述べているのか、をはっきり示してください」と当たり前のことを言ったまでであり、現状では、一次資料から編集者が勝手に想像して解説されているので出典の提示と訂正を求めています。資料から編集者が想像して他の解説をすることは、独自研究ですからね。例えばアナタの出している出典では、「ツングース系である女真族(現在の満族)の祖先が挹婁である」という研究結果があり、それをそのまま書くことはできますが、それをもとに「高句麗はツングースではない」「扶余はツングースではない」とアナタが想像して出典先で言われていない解説を本文でしたら独自研究なのです。それを直接言及している出典の提示をお願いします。もちろん日本の出典もお願いします。wikipediaだけ他の事典と違うことを書くからには、それ相当な出典が必要です から。--115.176.59.31 2011年9月5日 (月) 16:23 (UTC)
仮説を載せるのは異論無いけど、扶余系をツングースとする仮説は研究史行きだね。「扶余系≠ツングース」とする研究者、班固、陳寿、魏収その他大勢、房玄齢杜如晦褚遂良李延寿その他、どの史書でも粛慎系と扶余系は言語が異なると記録している(時に異なるではなく、異なる)。115.176.59.31氏も認めている通り、粛慎系を女真の祖先とする記述の正しさは証明済み。また白鳥庫吉、朝克、楊保隆、ハスパトル、張太湘、威玉籤、楊虎、譚英杰、張泰湘、荻原眞子、植田博之などが扶余系と粛慎系の言語が異なるという記録を追認している。--112.138.46.198 2011年9月6日 (火) 14:44 (UTC)
ここは書き方案の項なので、言い争いは上(「扶余・高句麗をツングース民族とする見解に拘る方へ」)でお願いします。それでは、お答えします。
①誰しも間違いやすいですが、「ツングース系」というのは、言語系統を言う用語です(モンゴル系、テュルク系も同じ)。民族系統ではありません。たしか、どこかで「民族」という用語に関して論争があったと思います。「民族」というのは、言語ばかりではなく、習俗,人種,宗教など、包括的にいう用語なので、今回の議論とは違ってきます(もし最初から民族系統のことだったら、こんなに議論する必要はなかったでしょう)。「ツングース系民族」というのは「ツングース諸語を話す民族」という意味なので、護雅夫氏やその他の人も「民族系統」としてとらえていないはずです(おそらくどこにも「民族系統はツングース系」という文章はないはずですが…)。「民族系統」と言いたいのであれば、勿吉だったら「粛慎系」、高句麗だったら「濊系」になります。ちなみに「ツングース」というのが言語をいう概念であることは、シロコゴロフやトゥゴルコフ、その他の研究者が口酸っぱく言っています。ですので、「文化面で共通している」とか、「生活習慣が共通している」とか言っても、言語が違っていたらツングース系とは言えなくなる可能性もあるのです。
②「高句麗はツングースではない」「扶余はツングースではない」という記述はいろいろ調べた結果、今のところ見当たりませんので、濊系の言語に関してはツングース系であることを第一に書いていいと思います。
③おっしゃる通りにいたしましょう。「モンゴル系説」はいらないと思います。

--トムル 2011年9月6日 (火) 17:12 (UTC)

112.138.46.198氏へ。ですから、出典どおりに「史書では言語が異なるとされている」とは書けますが、そこから勝手に編集者が連想して「扶余系≠ツングース」と書いてはいけません。独自研究になってしまいますからね。もしそれを書きたいならば、それを直接言及している出典を出してくださいと言っています。もちろんその場合、単なる数個の出典ではなく、「高句麗や扶余=ツングース」とする多くの事典と違うことを書くわけですから、日本の研究書を含めて多くの確かな出典を期待しているということです。wikipediaだけ他の事典と違うことを書くからには、それ相当な出典が必要です。 --218.217.42.43 2011年9月6日 (火) 18:37 (UTC)
トムル氏へ。
①説明に納得しました。確かにツングースの定義は言語なので、「言語系統」にすることに同意します。
②③同意いただき、ありがとうございます。では、濊系ではツングースと言われていることを第一に書くこと、そして例えば夫余にある「非ツングース説」なんて唱えている者はいないので、削除させていただこうかと思います。「非ツングース説」ではなく「言語が異なる記録がある」という事実のみ書けば良いので、それだけ残すスタイルにしたいと思います。「モンゴル説」は削除の方向にしたいと思います。--218.217.42.43 2011年9月6日 (火) 18:37 (UTC)
112.138.46.198氏と218.217.42.43氏の議論がかみ合っていないので補足します。粛慎と扶余の言語が異なる事は分かりきっている事で(研究者ならなおさら)、誰も否定していません。問題なのは、「ツングースと考えられている粛慎と扶余の言語が異なる」が、何故「扶余はツングースではない」という解釈になるのかという証明です。論理が飛躍している。「ツングースと考えられている粛慎と扶余の言語が異なる」は、「扶余はツングースではない」を意味しません。同じツングース諸語で言語(方言)が異なっていたらどうするんでしょうか。--通りすがりの某 2011年9月6日 (火) 20:32 (UTC)
補足ありがとうございます。まさにその通りです。--218.217.42.43 2011年9月6日 (火) 20:47 (UTC)
同じツングース諸語で方言程度の違い程度の場合は、史書では「時に異なる」や「大同だが小異」という書き方をするんですよ、粛慎系と扶余系のように「特異」や異なるのようには書かない。
トムルへ、論外ですね。扶余系の言語は手掛かりがほとんど無く、取り敢えずの仮説しか存在しない、しかもその中でもツングース諸語・モンゴル諸語・トルコ諸語の3つとは離れた存在で古くに分かれたとされてる。「モンゴル語説」は史書にある記述、個人的には疑問ですが常々「史書史書」言ってるトムルが言うのはダブスタ。恣意的に過ぎる。加えて扶余系をツングースとする仮説はどれも根拠になる材料が提示されてないんですよ。--112.138.46.198 2011年9月8日 (木) 14:54 (UTC)
①「同じツングース諸語で方言程度の違い程度の場合は、史書では「時に異なる」や「大同だが小異」という書き方をするんですよ」と述べている専門家の出典をお願いします。あなたの判断は独自研究になりますので必要ありません。アナタは『「言語が異なる」は方言が有り得ない』という(専門家が直接それを言及している)証拠と、『「ツングースと考えられている粛慎と扶余の言語が異なる」は、「扶余はツングースではない」となる』という(専門家が直接それを言及している)証拠を提出しなければ、あなたの希望通りの記載を本文でおこなうことはできません。なぜなら、それはアナタが勝手に判断した見解となり、独自研究にあたってしまいますからね。-218.217.157.28 2011年9月8日 (木) 16:16 (UTC)

>ツングース語・モンゴル語・トルコ語の間には対応関係のある語が一定割合あるので、高句麗語とツングース語に類似語があっても上記3つの言語と近縁関係にあるとは認められても、それ以上の事は。

よく調べてとしか言いようがありませんね。

>同じツングース諸語で方言程度の違い程度の場合は、史書では「時に異なる」や「大同だが小異」という書き方をするんですよ、粛慎系と扶余系のように「特異」や異なるのようには書かない。

何が出典なのか存じ上げませんが、主観的・抽象的で学術的論証とは言えませんね。せいぜい「ツングースではないかもしれない」が限界で「ツングースではない」と断定は出来ない。本当に同じツングースで異なっていたらどうするんでしょうか。佐々木史郎氏は「ツングース系にはいくつかの民族(言語)があります。夫余はツングース系の中の一つの民族(言語)だった可能性があるということです」と仰っていました。ツングース系にはいくつか言語があるんですね。いずれにしろ史書に言語が異なると書いてあっても学術的検証を加えないとそれがツングースではないを意味するのかという確証は得られないわけですが。

>扶余系をツングースとする仮説はどれも根拠になる材料が提示されてないんですよ

貴方は、扶余系をツングースではないとする出典すら提示していないのに。--通りすがりの某 2011年9月14日 (水) 21:19 (UTC)

とりあえず、今のところの高句麗言語系統の書き方をまとめます。(※<>は脚注)

==言語系統==

高句麗の言語について、中国の史書には「言語諸事の多くは夫余と同じ」<『三国』魏書烏丸鮮卑東夷伝高句麗の条「東夷舊語以為夫餘別種,言語諸事,多與夫餘同,其性氣衣服有異。」>、「東夷は互いに夫余の別種と伝えるため、言語法則の多くは同じ」<『後漢書』東夷列伝高句驪の条「東夷相傳以為夫餘別種,故言語法則多同」>と記されており、夫余の言語とほぼ同じであることがわかる。しかし、この言語が現在で言うどの系統に属すのかについては以下の仮説がある。

  • ツングース系説…現在の日本でポピュラーな説であり<『世界史B用語集』(2008年、山川出版社)「【高句麗】中国東北地方東南部におこったツングース系貊族の国。『Yahoo!百科事典』「【濊貊】(前略)貊を貊種族の総称と解する説もある。前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。南出喜久治「私の見解では、高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であつて、韓民族の民族国家ではないと考へている。>、古くは白鳥庫吉が史料に残されているわずかな語彙をもとに比較研究し、濊系の言語(高句麗語も含む)は多量のツングース系言語に少量のモンゴル系言語が混ざった雑種と考え<白鳥庫吉『穢貊は果たして何民族と見做すべきか』>、現在でも比較言語学に基づいて高句麗=ツングース系説を唱える学者がいる<板橋義三『高句麗語の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる』(2003年)、アレキサンダー・ボビン&長田俊樹編『日本語系統論の現在』(pp.131-185)高句麗語とツングース語族とは言語接触によって共通する語彙が生じた可能性が高いことを指摘したが、高句麗=ツングース族説を積極的に支持しているわけではない。>
  • 夫余・韓系説…1966年、李基文が『三国史記』記載の高句麗地名からかなりの語彙を抽出し、朝鮮語,日本語,ツングース語との比較を試みたところ、高句麗語が朝鮮語と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語を持ち、ツングース語とも若干の一致をみせるとして、ツングース系言語よりも朝鮮・日本語に近い言語であると主張した<三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p169>

いずれにしても、現時点での高句麗語の研究材料が少ないため、仮説に留まっているのが現状である。

いかがでしょうか?--トムル 2011年9月8日 (木) 15:31 (UTC)

以下の点で反対。
①前から言っていますが、出典を減らすことに反対。出典が減っています。一般的とするからには、多くの研究者に言われていることを示しておく必要性があります。
②ツングース説のすべての元が、白鳥庫吉の説となっているような書き方ですが、それを証明する証拠はないものと思われます。そういう説を唱えた人もいる、と白鳥の話を記載ならば良いですが、まるでツングース説のすべての元が白鳥庫吉の説とする書き方は独自研究になるものと思われます。もしかしたら、出典に出ている研究者は他の角度からの分析から高句麗・扶余はツングースという説を唱えているかもしれず、勝手に白鳥の説がすべての元であるかのような書き方は賛成できません。
③112.138.46.198のように、史書の「言語が異なる」をもとに、粛慎系をツングース、高句麗、扶余はツングースではないという独自研究を唱える輩がいるので、それについてはっきりと書く。つまり、史書では粛慎系と「言語が異なる」と記されているが、専門家は「粛慎系も高句麗も扶余もツングース」としている事実を記載する。史書の「言語が異なる」を元に扶余や高句麗をツングース系ではないという判断を研究者はしていないという重要なものですからね。
④「夫余・韓系説」とやらを載せるならば、段落を開けるのではなく、そこに高句麗語がそもそも疑義が出されている不確かなものであるという見解があることを併記する必要を感じている。
以上から提案文には反対を申しておきます。--218.217.157.28 2011年9月8日 (木) 16:16 (UTC)
一応賛成。史書に文化や言語の違いは記録されてますが、手掛かりが少ない以上は扶余系をツングース的なものとする仮説も併記(決して有力でも説得力があるわけでもなく)する、へ考えを変更。 粛慎系に前提の崩れている変な仮説をつらつら載せるのは反対。--112.138.46.198 2011年9月9日 (金) 10:24 (UTC)
218.217.157.28氏へ。
①足りない出典がありましたら、お手数ですが、もう一度挙げてください。
②私が調べた限りそんな感じがしましたが(例えば、下中直人『新訂増補 朝鮮を知る事典』(1986年、平凡社)「【濊貊】彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。《村山正雄》」)、「言葉を濁せ」とおっしゃるのならそうします。
③「言語が異なる」をもとに、粛慎系をツングース、高句麗、扶余はツングースではないというのは必ずしも独自研究ではないですが、「専門家は粛慎系も高句麗も扶余もツングース」としていることを脚注にて示しましょう。
④「高句麗語がそもそも疑義が出されている不確かなものであるという見解がある」のは何に書かれているのですか?
--トムル 2011年9月10日 (土) 12:35 (UTC)
お邪魔します。私も218.217.157.28サンに同意。
トムルさんへ。
①脚注6.[6]より出典が減っていることは明らかです。わざわざ減らす理由がわかりません。
②村山がそう言ってるだけで、それを定説にはできないのではないでしょうか。それを定説とするには、それが多数派の意見だとする証明が必要だと思います。学者のツングース説のすべての元が白鳥とすることは現状ではできないと思います。誰がツングース説を唱えているのか、事実のみを記載すればよいと思います。そして現在の本文では[7]それができていると思います。それを曖昧にするとは言わないでしょう。
③史書の「言語が異なる」をもとに、粛慎系をツングース、高句麗、扶余はツングースではないと主張している研究者は誰ですか?その出典が出ないのであれば、それを本文で書くことは編集者の意見であり、独自研究です。「専門家は粛慎系も高句麗も扶余もツングース」としていることを脚注にせず、本文で書くことを求めます。史書の「言語が異なる」をわざわざ書くならば、研究者の見解はどうなのかを脚注でわかりにくくするのではなく、しっかりと併記する必要があると思います。
④私が知っているところでは、「金東昭:韓国語変遷史」や「金芳漢: 1985年」。--Space1 2011年9月13日 (火) 22:30 (UTC)
こんばんわ。私も112.138.46.198殿に同意。複数の出典があるのに信頼性の低い出典を更に追加する必要が無い。史書の記録を元に高句麗、扶余はツングースではないとしている研究者には高凱軍・朝克・楊保隆などがいます。専門家は高句麗や扶余をツングース系とはしていません、材料が乏しいのでツングース系ではないか?とする仮説がある段階です、また高句麗や扶余を非ツングース系とみる専門家も上記の通りいます。--112.138.46.198 2011年9月14日 (水) 10:06 (UTC)
①どうも私はああいった出典が好きではないのですが(なぜそうなのかが述べられていない出典)、多くの人が望むのであればそうせざるを得ないのでしょうね。
②白鳥庫吉の論説以外の「濊系=ツングース系説」および「粛慎系=ツングース系説」はどこが源なのか、ご存知の方お願いします。
③112.138.46.198氏の挙げたように存在するようです。
④了解しました。もしよろしければもっと詳しくお教えください。
--トムル 2011年9月14日 (水) 15:19 (UTC)
①広辞苑や世界史小辞典のような匿名記事は載せる必要はないと思います。Yahoo!百科事典や角川世界史辞典のような署名記事は載せるべきだと考えます。脚注でツングース説を唱えている識者の実名をノート:ツングース系民族#歴史上ツングースに関する書籍リストから挙げれば良いと思います。
③「高句麗、扶余はツングースではないとしている研究者には高凱軍・朝克・楊保隆などがいます」では検証可能性を満たしていないので、著者名『書籍名』(発行年、発行所名)ページ数「抜粋文(例:○○はツングースではない)」で出典を明記してください。それとノート:ツングース系民族#歴史上ツングースに関する書籍リストにも出典を書き足してください。112.138.46.198氏は過去に、「扶余系≠ツングースとする研究者、班固、陳寿、魏収その他大勢、房玄齢杜如晦褚遂良李延寿」「参考文献に挙げていた『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』では、高句麗や扶余・濊系の言語はツングース語でないと明言している」と書いている為半信半疑なんです。
④私はこの分野は詳しくないのですが代わりに回答すると、高句麗語を地名学的に再興するとは、訓読地名表記と音読地名表記を対比させるのですが、当時は漢字しか存在しないので、意味に基づく地名表記と発音に基づく地名表記の両方に漢字を使わざるを得ないため、どちらの地名が意味と発音を担っているのかが確定できず、全ての漢字には意味及び発音がある為音読地名にも訓読地名にもなり、音読地名を訓読地名と間違っていたら幽霊語である可能性がある、という事らしいです。板橋義三九州大学教授は、最近塚本勲『日本語と朝鮮語の起源』では高句麗地名から高句麗語を考えることに関して異なった意見を述べています、と仰っていましたから詳しく載っていると思います。
ところで、ここまでを総括して重要なのは、現在高句麗は中国の国家か朝鮮の国家かという帰属をめぐって論争になってますが、①支持者の多いツングース説②112.138.46.198氏(扶余は現在に繋がる子孫が存在しない)や池上二良氏の系統不明説はあるけど、朝鮮系説は日本人では見当たらないんですね。--通りすがりの某 2011年9月14日 (水) 21:19 (UTC)
Space1氏の同意と説明に感謝。112.138.46.198は自分に同意しているが、何をしているのかな?そのような行為はブロック対象ですよ。
トムル氏へ。
①、通りすがりの某氏と同じく、少なくとも署名付百科事典は全部残すべきです。研究者の見解ですから。また、署名のない百科事典でさえも【そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。】とされていることを一応示しておきます。
②「濊系=ツングース系説」および「粛慎系=ツングース系説」の源を本文で書こうとしている人はいないので、出典提出の義務はないと思われます(もちろんそれがわかればスバラシイが)。本文で書かれるのは「濊系=ツングース系説」および「粛慎系=ツングース系説」の両者をツングースとしている研究者がいるという事実のみですから、その出典が提出されていれば問題はないでしょう(そしてそれは提出されている)。白鳥庫吉の論が日本におけるツングース説のすべてのモトという出典はないため、現在のところ記載することはできませんよね。
③、通りすがりの某氏が仰るように、「高句麗、扶余はツングースではない」とはっきり明言している出典ならば、正確に記載する必要があることと、112.138.46.198は過去に述べたことと矛盾があり、本当に出典先でそのようなことを述べられているのか信じることができない。
④Space1氏に感謝します。私もそれが高句麗語に疑義が出されている文献の代表的なものだと思います。--218.217.38.142 2011年9月15日 (木) 17:26 (UTC)
通りすがりの某氏へ
③何度かノートに書いているので、それを参照。歴代史書の編纂者は夫余系の言語とツングースである粛慎系の言語が異なると記しているので、夫余語≠ツングース諸語とする材料にはならないとしても、夫余語≠ツングース諸語とする仮説の根拠には十分なる。『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』にも、高句麗や扶余・濊系の言語をツングース系ではないとする記述はあって、もっとも④の通り三国史記にある高句麗の地名を高句麗語だと仮定しての話で、結論も朝鮮語に最も近いとする韓国人学者の仮説の引用とあり眉唾っぽいですが。また、両唐書では北夫余の子孫を自称した達末婁の言語は奚などのモンゴル系と同じと記されてる、これも全面的に信じていいのか疑問ではあるけど。--119.83.179.123 2011年9月15日 (木) 19:10 (UTC)
夫余語≠ツングース諸語とする仮説の根拠として十分とならないでしょ。「言葉が異なる」の意味が方言ではないという証明をしないと「十分」といえないわけで。「ユウ婁」における君の記述によると、編集者の一人である三上って「夫余や高句麗をツングース系」として「挹婁人をツングースではない」としている論者じゃないの?「高句麗や扶余・濊系の言語をツングース系ではないとする記述はあって」って何ページで誰が言ってるんですか?前後も含めて正確に引用してくれませんか?--218.217.41.207 2011年9月16日 (金) 01:56 (UTC)
高凱軍に関しては、P1「ツングースの概念の内包と外延に対して新たに整理しました~中略~前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代り靺鞨、遼~元時代の女真、明末以降の満州族、オウンク族、ハテツ族などの各時代の部族集団及び民族を含むものである」P47「挹婁一様、是高麗其他民族対粛慎的一種称謂。《三国志東夷伝》挹婁在扶余東北千余里~其人形似扶余、言語不与扶余、句麗同」という出典は提出されましたが、粛慎系はツングース及びツングースである粛慎系と扶余は言語が異なるという出典であって、扶余はツングースではないという出典ではありません。独自研究に抵触するか否かはさておき、それではせいぜい「扶余はツングースではない可能性がある」が限界で「扶余はツングースではない」と断定は出来ない。確証がないわけですから。佐々木史郎氏は「ツングース系にはいくつかの民族(言語)があります。夫余はツングース系の中の一つの民族(言語)だった可能性があるということです」と仰っています。ツングースと一言で言っても実はいくつか言語があるんですね。だから残念ながら、粛慎系はツングース及びツングースである粛慎系と扶余は言語が異なるという証拠だけでは夫余はツングースではないと証明出来ない。その事は「夫余はツングースではない」と主張してきた119.83.179.123氏自身が一番理解(実感)しているのでは。--通りすがりの某 2011年9月16日 (金) 19:16 (UTC)
119.83.179.123の「粛慎系はツングース及びツングースである粛慎系」と「扶余は言語が異なる」という出典から「扶余はツングースではない」と編集者が勝手に結論を導き出す行為は、完全に特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になっていますよね。--218.217.41.207 2011年9月16日 (金) 19:42 (UTC)
付記:他でもない119.83.179.123氏自身が「粛慎系=ツングースの肯定が直接に濊系=ツングースを否定しないのが面倒[8]」と書かれているではありませんか。まさに、119.83.179.123氏の仰るとおり「粛慎系=ツングースの肯定が直接に濊系=ツングースを否定しない」のです。--通りすがりの某 2011年9月16日 (金) 21:36 (UTC)
通りすがりちゃん、人の話聞いてる? 2011年9月9日 (金) 10:24の書き込みを読むこと。
218.217.41.207へ、夫余語≠ツングース諸語とする仮説の根拠としては十分過ぎるほど十分、何故なら夫余語=ツングース諸語とする仮説に十分な根拠が無いから。手掛かりが乏しく夫余系言語の研究はほとんど進んでない。一応、穢貊系と粛慎系は文化も大きく異なる、とはいえ夫余系が隣接する中原の文明から大きな影響を受けて変化した可能性もある。--119.83.177.83 2011年9月17日 (土) 09:42 (UTC)
だからさ、「夫余語≠ツングース諸語とする仮説」ってのは誰の仮説なのよ?それを直接言及している出典が出ないのならば、君が勝手に仮説にしたもので、それはに特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成であることが明らかであり、独自研究は本文で記載でいない。--218.217.41.207 2011年9月18日 (日) 00:40 (UTC)
金田一春彦とかベックウィズとか白鳥庫吉とか板橋義三とか新村出とか村山七郎とか、どれも根拠薄弱だけど、穢貊系をツングースとする仮説も同様に根拠薄弱。--112.138.149.226 2011年9月18日 (日) 19:43 (UTC)
回答になっていませんよ。「夫余語≠ツングース諸語とする仮説」は誰の仮説なのか日本語の出典を示してください。--218.217.41.207 2011年9月19日 (月) 00:49 (UTC)
「金田一春彦とか~根拠薄弱」→そんなことを言ったらあなたの挙げたものも根拠薄弱になりますよ。我々には資料批判の権利はありません。--トムル 2011年9月19日 (月) 04:24 (UTC)
回答しましたよ、日本語読めない?金田一春彦とかベックウィズとか白鳥庫吉とか板橋義三とか新村出とか村山七郎などの研究者は、復元したとする高句麗語をツングース語よりも日本語に近いとしている。
根拠薄弱にはなりませんよ、出土物と手掛かりが乏しい中でのただの仮定の話は同じ説得力を持ち得ない。トムルさんはその程度の自明の理を理解していないのかな?資料批判と資料の内容判断を混同する、よくある詭弁--112.138.149.226 2011年9月19日 (月) 13:48 (UTC)
君は「粛慎系はツングース及びツングースである粛慎系」と「扶余は言語が異なる」という出典から「扶余はツングースではない」としていたわけだが、その説明によると「扶余はツングースではない」とする根拠を変えたんですか?今度は、「復元したとする高句麗語をツングース語よりも日本語に近い」と論評した研究者がいることをもって「扶余はツングースではない」の根拠にしているようですが、しかしこれも同じように「扶余はツングースではない」とか、「高句麗はツングースではない」とは主張しているものではありません。あくまで「復元したとする高句麗語が、ツングース語よりも日本語に共通する部分が多かったと述べた研究者がいる」というだけです。--218.226.121.140 2011年9月20日 (火) 02:38 (UTC)
これはまたおかしな事を言う。トムルさん等の意見に一応賛同して、穢貊系集団に関する色々な仮説を並列する案を推すと表明したのを、あなたも読んでいる筈です。何を言いたいのか理解出来ませんが、どういう意味でしょうか?「高句麗語がツングース語よりも日本語に共通する部分が多かったと述べた研究者がいる」は、夫余語≠ツングース諸語とする「仮説」を唱える研修者がいる、と同義ですよ。--112.138.149.226 2011年9月20日 (火) 12:00 (UTC)

一つ質問ですが、女真と共通性のある出土物がでてきて民族系統が同じとわかっても、言語系統が同じといえるのですか?--トムル 2011年9月20日 (火) 14:15 (UTC)

私は、112.138.149.226氏が「高句麗、扶余はツングースではないとしている研究者には高凱軍・朝克・楊保隆などがいます」と仰ったので、提出された高凱軍の出典は「粛慎はツングース」「ツングースである粛慎と扶余は言語が異なる」という出典であって「扶余はツングースではない」という出典ではないと言いたかったのですが。--通りすがりの某 2011年9月20日 (火) 20:41 (UTC)
112.138.149.226へ。だから、「高句麗語がツングース語よりも日本語に共通する部分が多かったと述べた研究者がいる」と出典そのままの記載はできるよ。ただしここから「扶余はツングースではない」とか、「高句麗はツングースではない」という編集者独自の解説をつけ加えてしまうと、それは独自研究になるんで、本文で書くことはできないということ。おわかりかな?で、高句麗語のことを書くならば、その言語が不確かなものであるとする出典ある学者の反論があるので、それも同時に載せてNPOVとします。--218.226.121.140 2011年9月21日 (水) 01:38 (UTC)
トムルへ。女真族が居住していた地域の年代ごとの地層から出土した、6世紀から12世紀に至る住居や日用品・武器など広範に渡る連続性が確認されている事は、入手された書籍によって確認済みかと思いますが。なぜ「共通性のある」という読み手を誤解させる表現をあえて使ったのか、ご説明願えますかね?
通りすがりの某氏へ、高凱軍に関しては夫余・挹婁勿吉時代の文化にはっきりした差異がある事を以て穢貊系の集団をツングースから除いています、が、夫余については仮説に過ぎないので、私の態度は誤りだったかなと思い直し、トムルさんの案に賛成したわけです。
3人目。それは当にあなたの要求していた夫余語≠ツングース諸語とする仮説に当たる、それを以て「扶余はツングースではない」とすべきだ、などとは誰も書いていない。曲解しないように--112.138.166.212 2011年9月21日 (水) 11:09 (UTC)
「高句麗語がツングース語よりも日本語に共通する部分が多かったと述べた研究者がいる」が「夫余語≠ツングース諸語とする仮説」に当たるかどうかはわからない。高句麗語なるものとツングース語が共通する部分もあったわけで。「高句麗語がツングース語よりも日本語に共通する部分が多かった」ことをモトに、それが「夫余語≠ツングース諸語とする仮説である」と述べている研究者はいない。現在本文に書ける事は、出典が出ている「高句麗語がツングース語よりも日本語に共通する部分が多かったと述べた研究者がいる」まで。「夫余語≠ツングース諸語とする仮説である」は本文で書けません。--218.226.121.140 2011年9月21日 (水) 12:37 (UTC)
112.138.166.212氏へ。「共通性」は「連続性」の誤りです。とにかく私が言いたかったのは、文化的連続性があったとしても、言語系統は連続するのかを聞きたかったのです。まあ、これは聞きたかっただけなので、聞き流してもいいですが。それより112.138.166.212氏はやはり「挹婁=古アジア説」は否定されたと思いますか?「ツングース説」と併記してはだめですか?
218.226.121.140氏へ。三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p169「彼(李基文)によると、アルタイ諸語と朝鮮語の間に動名詞語尾と若干の曲用語尾について一致が見られるという。また、語彙の比較においては、かなりの一致が朝鮮語とアルタイ諸語に共通して見出され、そのうち、朝鮮語とツングース諸語の間に語彙の一致がもっとも多く、ついでモンゴル諸語との間にも興味深い一致が見出され、チュルク語との間には一致するものが非常に少ないという。(中略)こうした状況のなかで、李基文は『三国史記』所載の高句麗地名からかなりの語彙を抽出し「高句麗語」としてとらえ、朝鮮語、日本語、ツングース語との比較を試みた(1966年)。そして、高句麗語が、朝鮮語(新羅、中世語)と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語をもち、ツングース語とも若干の一致例をみせるとし、アルタイ祖語が夫餘・韓共通語とチュルク、モンゴル、ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫餘語とに分かれ、ついで原始夫餘語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとして、高句麗語は日本語と朝鮮語との親縁関係をつなぐミッシング・リングの位置を占めると主張した。《梅田博之》《李基文「韓国語形成史」(『韓国文化史大系Ⅴ.言語・文化史』)ソウル1967 p21-122、李基文「高句麗の言語とその特徴」(『白山学報』4号)1968(中村完訳、『韓』第10号 東京韓国研究院 1972;池田次郎・大野晋編『論集 日本文化の起源5 日本人種論・言語学』平凡社 1973 p594-627)》」つまり、李基文の仮説では夫余・高句麗語はアルタイ諸語ではあるものの、ツングース諸語ではないとしています。あと、朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(1996年、東方書店)「渤海国の公用語は靺鞨語(支配者層)、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系」というのもあります。--トムル 2011年9月21日 (水) 14:35 (UTC)
挹婁=古アジア説は流石にもう無理でしょう。消去すると色々宜しくない反応が起こるのは理解出来たので、記載して注釈ではなく括弧書きの注記を入れるのは如何ですか? 個人的には、言語が入れ替わるか上書きされる大きな出来事が起きた場合、後者でも文化はある程度変容するものだと思ってます。
218.226.121.140へ、新村出とそれを受けた村山七郎は「高句麗語は系統上、非常に日本語に近い言語である。と結論しても、大きな誤りは無いであろう。」としており、夫余語≠ツングース諸語とする仮説を唱える研究者もいる。また上記の研究者も高句麗語がツングース語よりも日本語に近いとしている以上、高句麗語がツングース諸語であり同時に日本語であると言い張るのは無理筋。--112.138.166.212 2011年9月21日 (水) 17:09 (UTC)

私もこちらの版に賛成です。ところで、これまでをまとめると以下のようになる。

  • ツングース系説…現在の日本でポピュラーな説であり、支持者が多い。
  • 朝鮮・韓系説…李基文が『三国史記』の高句麗地名から語彙を抽出し、朝鮮語・日本語・ツングース語との比較を試みたところ、朝鮮語と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語を持ち、ツングース語とも若干の一致をみせるとして朝鮮語に近い言語であるとした。
  • 古アジア系説…朱国忱・魏国忠は「靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系」であるとした。
  • 系統不明説…池上二良は「(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない」とした。--通りすがりの某 2011年9月22日 (木) 08:25 (UTC)
いよいよまとまってきたんじゃないでしょうか。それでは、高句麗の言語系統の項はこちらの版をベースに、足りない出典を加えて補完することにし、あとは各ツングース系記事(粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨、濊、夫余、沃沮)の言語系統の項でも同じような多論併記で記載することでいいですか?詳しくは各記事のノートページで。--トムル 2011年9月22日 (木) 14:29 (UTC)
通りすがりの某の案は論外、話にならない。朝鮮人による朝鮮・韓系説を載せるならば、当然に日本人の唱えた日本語説も載せないといけない。個人的に疑問なのはともかくとして
上記の版も無いですね、どの研究者も「ツングース系である」とはせず、「ツングース系である」と主張する程度の確度の高くない仮説なのだから、誤誘導する書き方にするのは意図を疑う。粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨に関しては、正しくない旨を明記してツングース系以外に仮定した説を載せればいいんじゃないでしょうか。--112.138.166.212 2011年9月22日 (木) 20:36 (UTC)
基本的に通りすがりの某氏の案に賛成。ただし、「朝鮮・韓系説」の部分は『三国史記』の高句麗地名から語彙を抽出したというそもそもの高句麗語は、「金東昭:韓国語変遷史」や「金芳漢: 1985年」により、高句麗語が出せれていることも付け加えることで賛成する。--218.226.121.140 2011年9月23日 (金) 00:12 (UTC)
通りすがりの某氏の記述で問題はないと思います。ツングース説を東北工程の一環であるとして全力でひている韓国の研究者が存在する限りはこれ以上の書き方はできないと思います。ただ112.138.166.212氏のような韓国系説全力否定者もいるので、今回の妥協案が成立したところで今後の編集合戦は回避できないとも予想していますが… --Yonoemon 2011年9月23日 (金) 01:06 (UTC)
112.138.166.212氏へ。
高句麗=日本語説なんて聞いた事がないけど。ノート:ツングース系民族#歴史上ツングースに関する書籍リストにも日本語説を唱えている研究者はいない。高句麗語はツングースより上代日本語との方が類似語の割合が大きい事を指摘している板橋義三氏も、ツングース説を積極的に支持しているわけではないだけで、ツングース説を否定していない。ましてや日本語説なんて唱えていません。夫余に「日本語は高句麗語で判明している数詞4つすべてにおいて日本語との間で一定の音韻的共通性が認められるとして、日本語の起源として考える研究者も存在する」って書いてありますけど、言うなれば、高句麗=日本語説ではなくて、日本語=アルタイ起源説でしょ?--通りすがりの某 2011年9月23日 (金) 06:22 (UTC)
『日本語および高句麗語の数詞』で村山七郎が日本語説を唱えていますよ。それに繋がる新村出も似た意見。
通りすがりの某と、特にYonoemonは、李基文が「朝鮮語に近い言語である」とした事を引いて朝鮮・韓系説を載せろ、と主張するにも拘らず、新村出及び村山七郎が「非常に日本語に近い言語である」とした事実を引用して日本語系説を載せる事を全力で拒絶する。誰が見ても二重基準で、南北時代国を信奉する立場なのは明白。218.226.121.140さんの案のように、再構築された高句麗語に疑義が出されている事を注記して日本語=高句麗語説を載せる事に賛成。--112.138.166.212 2011年9月23日 (金) 10:24 (UTC)
村山七郎が高句麗=日本語説を唱えていたなんて初耳。というのも、河野六郎・村山七郎・服部四郎の三氏が高句麗=ツングース説を支持している代表的言語学者だから。日本語の起源にも、『魏志東夷伝や後漢書などから推測すると、三世紀後半に鴨緑江以北を本拠地としていた夫余・高句麗の言語がツングース系だった可能性は高い(村山説: 1979年)』って村山七郎がツングース説を支持していた事が書かれている。同じく日本語の起源『朝鮮の歴史書三国史記に記された高句麗の故地名の音訓併用表記から推測される、いわゆる高句麗語が、日本語と組織的に顕著な類似性を示す事を初めて指摘したのは、新村出である(1916年)。新村は、「三」「五」「七」「十」の4つの数詞が日本語と類似することなどを指摘したが、日本語アルタイ起源説と関連させてこの類似を更に深く追究したのは、李基文(1961-1967年)、村山七郎(1961-1963年)である。』って書いてある。新村出と村山七郎は日本語アルタイ起源説を追究したのであって、それが高句麗=日本語説になるのだろうか?--通りすがりの某 2011年9月23日 (金) 21:08 (UTC)
112.138.166.212は今度は自説「高句麗=日本語説」ですか?韓国起源説も大概にせい(笑)。とうとうメッキが剥がれてきた感を受ける。--218.226.121.140 2011年9月24日 (土) 06:54 (UTC)
通りすがりの某が「初耳」という理由で、村山七郎が『日本語および高句麗語の数詞』において主張した「高句麗語は系統上、非常に日本語に近い言語である。と結論しても、大きな誤りは無いであろう。」とする仮説を排除することは、当然できない。日本では際物の韓系朝鮮系説を載せたがる、通りすがりの某的な編集方針からすればね
  • 218.226.121.140は特に説明も無く「高句麗語=日本語説」を以て「韓国起源説も大概に~」との中傷を行ったが、高句麗領の大部分は満州に在り、高句麗語を彼の主張通りツングース諸語だと仮定し、日本研究者の多くが高句麗と韓国の繋がりを認定していない事を念頭に置くと、218.226.121.140が如何に不可解な事を書いているかが解る。
  • つまり、218.226.121.140の意識の中では、明らかに高句麗人を今の韓国人に連続させている。いよいよ正体がバレてきた--112.138.157.112 2011年9月24日 (土) 07:21 (UTC)
村山が本当にそう言っているなら、記載できるが、主張に矛盾があるので、通りすがりの某の挙げた村山の主張も載せておかないとだめだな。渤海は日本の研究者も韓国史とするのは異論が出ているが、高句麗は朝鮮の歴史ってのが一般的だが?何を言ってんだ?「高句麗は朝鮮古代の国名」井上秀雄 。誤魔化して起源説を押し通そうとしてもダメよ。--218.226.121.140 2011年9月24日 (土) 07:48 (UTC)
確かに日本語説はあるようだ。『日本語学とアルタイ語学』明治書院によると、村山は高句麗語-百済語-日本語を同じグループにし、違うグループとして新羅語-韓国語グループと論じたことがあるようです。この出典からすると、村山の論は高句麗語を朝鮮語と近いとする「朝鮮・韓系説」を否定しているものにもなっている。また、清瀬義三郎則府は、高句麗語はツングース系で且つ日本語、百済語に近く、韓国語はそれらと遠く、新羅語と近いとしている。これも「朝鮮・韓系説」を否定している論でもある。日本語説はあるようで載せてもいいかもしれない。もちろんこれらは高句麗語の「朝鮮・韓系説」を否定しているものであることも示して。--218.226.121.140 2011年9月24日 (土) 08:41 (UTC)
みなさん、よく調べもしないで人の意見を否定しないように。互いの意見にいちゃもんつけることよりも、どうしたら合意できるのかを考えてください。あと、勿吉の記事でなぜ編集合戦がおきるのでしょうか?書き込みはまずノートを通してからにしてください。直接書いたら編集合戦になるのは当たり前です。--トムル 2011年9月24日 (土) 10:15 (UTC)
112.138.166.21211氏に南北国時代論信奉者と断定されてしまいました。こういった言動を行うから編集合戦になり、ノートでも収拾が付かなくなりつつある現状を以って当該IPユーザーには猛省を促したいですね。この問題については極限してしまえば「よく分からない古代言語の系統分類」という問題なので、学術的な評価を別にしてしまえばどのような仮説でも成立します。だからこそ最低限の記述のみとし、議論は「東北工程」(「高句麗の言語系統に関する学説」という新規項目でもいいと思いますが)に誘導し、編集合戦となりうる議論を誘導し「高句麗」をこのような泥沼論争から独立させようと提案してのですがね。あと218.226.121.140氏の断定する高句麗を朝鮮史と断定する方針にも反対ですね。中国系の義勇軍が参戦した場合、編集合戦に突入する危惧が考慮されます。このへんは「満州史」程度に記載して、東北工程への誘導が無難でしょう。--Yonoemon 2011年9月24日 (土) 11:12 (UTC)
ツングースってのが最もポピュラーなので、それは書き、他の色々な説は他へまわすなら賛同しますが、一切記載しないということは反対です。また、東北工程の記事にまわすならば、東北工程では言語系統に関するあらゆる説を紹介した記載はないので、あらためて記載する必要はあるかもしれません。
112.138.166.212(t-comIP氏)はモンゴルの高麗侵攻での多重アカウント行為で無期限ブロックされており、コチラに出てきたらブロック破りということを皆様に認識しておいていただきたい。--218.226.121.140 2011年9月25日 (日) 02:59 (UTC)
私としては、218.226.121.140さんの2011年9月24日 (土) 08:41 (UTC)と直前の意見に賛成。確かにどのような仮説でも成り立ち、決定的な論が出そうにないのはその通りでも、現代の出来事ではないのだからわざわざ除外する必要が無い。112.138.166.212(ただしt-comではなく神奈川のOCNね)こと--112.139.93.17 2011年9月25日 (日) 12:06 (UTC)


話がまとまってきたのではないでしょうか。

コチラの版をもとに、日本語説を含めた各説を列記した以下の文案で異論なければ、これで行きたいと思います。

==言語系統==

中国や朝鮮の史書では扶余等と同じ民族と記され[2]、その起源伝説の類似点からも、扶余と同じ民族と見られることが多い[3]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されている。墓制に関しては扶余と高句麗の違いは歴然としている[4]ものの、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を夫余の同種とみていたことが判る。なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・濊・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。 この扶余系民族の言語系統については、魏書・列伝八十八、北史・巻九十四ほか高句麗に言及した全ての史書において、モンゴル系民族(鮮卑→北魏、契丹→遼)と区別しており、またツングース系とされる粛慎の後裔で女真の祖先とされる挹婁は、「夫余と容貌は似ているが言語は異なる」と『後漢書』や『三国志』に記されている。

言語系統に関しては、以下の諸説が存在している。

  • ツングース系説…日本のが学説や事典では、粛慎系の靺鞨や勿吉とともに夫余もツングース系であるとされており[5]、高句麗を建国した夫余はツングース系民族であるとし、高句麗はツングース系であるとする見解が多く存在している[6]。現在の日本でポピュラーな説であり、支持者が多い。
  • 朝鮮・韓系説…李基文が『三国史記』の高句麗地名から語彙を抽出し、朝鮮語・日本語・ツングース語との比較を試みたところ、朝鮮語と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語を持ち、ツングース語とも若干の一致をみせるとして朝鮮語に近い言語であるとした。しかし村山七郎清瀬義三郎則府は、高句麗語と朝鮮語は遠いことを示し(『日本語学とアルタイ語学』明治書院)、また、そもそも高句麗語の存在や不正確さも指摘もされており、そうした高句麗語をもとに展開した仮説である(「金東昭:韓国語変遷史」や「金芳漢: 1985年」。--)。
  • 古アジア系説…朱国忱・魏国忠は「靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系」であるとした。
  • 系統不明説…池上二良は「(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない」とした。--
  • 日本語系統説…村山七郎や清瀬義三郎則府は高句麗語はツングース系とした上で百済語、日本語と同系統としており、朝鮮語とは遠いことを示している(『日本語学とアルタイ語学』明治書院)。

--218.226.121.140 2011年9月27日 (火) 02:10 (UTC)

基本的に賛成です。ところで、散々高句麗はツングースではないと主張してきた112.139.93.17氏は無期限投稿ブロック者なんでしょ?--通りすがりの某 2011年9月30日 (金) 14:27 (UTC)

高句麗は↑これでいいと思います。粛慎系の各記事(挹婁勿吉靺鞨)の言語系統の書き方についてはノート:勿吉で合意したので、それを各記事に反映させます(保護解除後に)。濊系(夫余ワイ人沃沮)の言語系統の書き方についても、それぞれのノートに案を出しているので、みなさん意見をください。--トムル 2011年9月30日 (金) 14:49 (UTC)
では異論がないようですので、保護解除後、この文で行きたいと思います。保護解除の方法がわからないので、できる方がいらしたら、お願いします。112.139.93.17氏はかなり以前からのブロック破り者だったようです[9]。--218.226.121.140 2011年10月1日 (土) 11:38 (UTC)
まとまったようで何より。あと、キチガイ管理者の偏執したページを触ったら警告も無く突然一発無期限ブロックされただけだからねw キチガイ管理者自身がソックパペットしまくってるし、ブロック破りは何の問題も無い、というよりむしろ積極的に破らないといけない。112.139.93.17こと--112.138.36.73 2011年10月2日 (日) 07:48 (UTC)