ノート:駄菓子屋
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駄菓子と駄菓子屋の相互記述転記に関する提案
[編集]駄菓子と駄菓子屋の記述において、菓子名など内容の重複が多く見受けられます。しかし駄菓子屋が菓子以外の玩具も販売していることを考えると統合が適当とは思えませんので、食品の駄菓子そのものについては「駄菓子」の項目に、その他販売方法についてなどは「駄菓子屋」の項目にそれぞれ転記させたいと思っておりますが、いかがでしょうか?ウェルワィ 2006年7月26日 (水) 05:00 (UTC)
駄菓子屋の歴史について 概要への追記の提案
[編集]明治中期に松原岩五郎という人が記したルポルタージュ「最暗黒の東京」において、「文久店」と呼ばれる業態の商店についての記述があります。そこでは文久店の客は下等社会の子供達であり、その扱う商品は 『豆鉄砲、笛、喇叭、花火、福袋、福菓子、鉛貨、酸漿等の遊戯品より落花生、一文菓子、桂枝、糖水、焼蜆、杏、巻鮨、砂糖漬等の食品に至るまで、小児によッて望まるる千種万様奇々妙々么微を極めたる』 ものであると。さらにこの主の商店の多くは『四十歳以上の老女』によって経営されているのだとされています。 これらの様態は我々が駄菓子屋と呼ぶ商店に重なるものであり、それが今日の駄菓子屋であるとは断定しないまでも、明治中期において同様の業態の商店の名前として「文久店」の名前を概要に書き加えることは無益ではないと思われるのですが、いかがでしょうか。 --RaC 2007年8月1日 (水) 18:08 (UTC)
- どうやら国立国会図書館のデジタルアーカイブで著作権切れ図書(明治時代発行で、著者も70年以上前に没している)として公開されているようですね。今ちょっと見た限りでは同記述のページがどこになるか判らなかったのですが、おそらくは初期の駄菓子屋の形態を記した貴重な資料の一つではないかと思います。著作権も切れているということもあり、該当部分(もちろん、明治時代の原著のほうをですが)を出典付きで全文公開することすら可能だと思います(Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#投稿してよいもの)。ただ当時の文章体だと難解になるので、適時注釈は必要そうですけど。一つの源流として、「歴史」の節を文中に特設して記述してみるってのは如何でしょうか。--夜飛(話/歴) 2007年8月1日 (水) 20:16 (UTC)