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ノート:馬乳酒

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カルピスと馬乳酒

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カルピスはモンゴルのクリームのジュウヒ(ズーヒー)で馬乳酒とは全く関係ありません。Izayohi 2006年4月27日 (木) 22:43 (UTC)[返信]

カルピスの原料がクリームとは逆に乳脂肪分を除いた脱脂乳であること、1990年代後半の朝日新聞社の科学雑誌『SCIAS』の記事で、酵母による醗酵工程が当時ようやく企業秘密解除で公開されたことが紹介されていたことを考え合わせると、乳酒の系譜がカルピスの開発に深くかかわっていることは否定できないのではないかとも思えますが、いかがでしょう?

初稿の執筆者です。皆さんの修正、加筆に感謝します。カルピスのホームページでは「酸乳」とだけ書かれていて、確かに直接アイラグを示してはいません。アイラグ→カルピス説が書かれている資料はどれも伝聞形で公式なものではないようです。一方、ズーヒー説を裏付ける資料も私は見つけられませんでした。ただ[[1]]などをみてみるとズーヒーは生乳→クリーム→サワークリームを経て得られる発酵バターだということなので、ちょっとカルピスのイメージとは違うような気がします。今は「という説がある」という形にしておきましたが、ソースを示して頂ければ書き換えて頂いて構いません。宜しくお願いします。Tan--202.214.30.9 2006年4月28日 (金) 03:37 (UTC)[返信]

きちんとソースを明記して書くには、『SCIAS』の記事を探し出す必要があるんですが、今ちょっとそれだけのゆとりがないのと、すぐに手を出せないところにしまってあるので、現在の私の手には余ります。どなたか件の記事にすぐにアクセスできる方はいらっしゃいますでしょうか?--ウミユスリカ 2006年4月28日 (金) 09:38 (UTC)[返信]
ソースは三島 海雲が亡くなっている以上藪の中でしょう。とりあえずちょっと三島海雲記事を書こうと調べていたものでまとめてみます。その過程でどうも一部菌は共通するということなので上記は撤回することにします。Izayohi 2006年4月29日 (土) 05:24 (UTC)[返信]
  1. 三島海雲は内モンゴルでクリームと酸乳を食べた。
  2. チゲー馬乳酒の菌とカルピスは一部共通の乳酸菌を使用していた。
  3. カルピスと全く同じ工程のモンゴル乳製品はなかった。
  • 1のクリームについては、ネット上の三島海雲関係では本人は食べたのはかめにいれていた牛乳をすくった「ジュウヒ」といっていたようです。この「ジュウヒ」は、その音(後の醍醐味合資会社の経緯)などから『乳利用の民族誌』(Ethnorraphical aspects of dairying in Non-European societies 中央法規出版 ISBN 4-8058-0959-0)にある、ジョーヒー(jookei、ジョッへ、外モンゴルではズーヒー:牛乳を布で濾こし「かめ」に入れ2~3日放置。乳酸発酵し分離した微酸味のかゆ状クリームで来客用の上等なもの)と推測され、[2]にもあるとおり馬乳酒とともに薬用に用いられており、当時体調を崩したとされる三島海雲に食べさせて当然のもののようです。(なおバターはジョーヒーを加工して作るそうです。)
  • 3の製造工程ですがカルピスの製造工程は、どうもネットの三島海雲関係でみると以下の経過から生まれたもののようで(現在も製造工程の基本は同じ、なお菌は製品の菌を繰り返し使用)、馬乳酒とは原料と工程が異なるものになったようです。
    • 1916年(大正5年)38歳、上京し、「ジョウヒ」を「醍醐味」「醍醐素」と名づけ、醍醐味合資会社を設立、文京区本郷の牛乳店に間借りして製造、雑誌『実業之日本』で「醍醐味」を紹介、販売し東京中の評判となったが、酪農家が少なく、クリーム(原料牛乳の1/10)の原材料である大量の牛乳を確保不能で注文に製造が追いつかず、販売中止。1917年(大正7年)、クリームを取った後の脱脂乳から乳酸菌入りのキャラメルを開発。ラクトー株式会社(カルピスの前身)を1917年10月設立。だが夏に店頭でキャラメルが溶け、ほとんど全てが返品された。次に脱脂乳を利用した食品開発として、脱脂乳を発酵させてみるとシャンパンのような味がするが酸味が強すぎた。脱脂乳に砂糖を入れたまま忘れてしまい翌日に飲んだらうまかった。さらに2~3日寝かせてみると、うまみが増す。空気中の酵母が混入発酵したためである。