ノート:飛騨川バス転落事故
一連の行為について
[編集]IP氏が行っている一連の編集行為ですが、如何なる理由で行われているのか、回答をお願いします。中部電力の行動を執拗に消したり、参考文献を除去するというのは「松中屋」、「さあやん」、「NMOMO」、「特急五条」の各氏と全く同じ行為です。そして何れもこの人のソックパペットとして無期限ブロックを受けています。あなたも同じ利用者ではないですか?理由のない一連の行為は荒らし行為以外の何者でもありません。別のIP氏が暴言を吐いたのは良くありませんが、理由無き執拗な改変は非難されても仕方ないでしょう。--河川一等兵 2008年8月21日 (木) 09:56 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんにあるとおり、wikipediaは中部電力の宣伝を行う場ではありません。したがって、事故の記事はともかく、特定の私企業に関する事項の記述は望ましくないと考えます。なおIP210.188.50.182 は私ですが、それ以前のユーザーは私ではありません。--Erre 2008年8月22日 (金) 03:10 (UTC)署名追加
- 中部電力の宣伝ではないし、事実を淡々と書いているだけです。それと年表を滅茶苦茶にしたままというのもどうでしょう。Erreさんも前記4氏と同様飛騨川バス転落事故しか編集記録がありません。しかもIP氏との関連を否定していますがほとんど同じ編集傾向。とにかく、見ている限りではあなたの発言には何ら説得力がないと言わざるを得ません。従って、差し戻させて頂きます。--河川一等兵 2008年8月22日 (金) 12:13 (UTC)
- (追記)Wikipedia:管理者伝言板/荒らし、及びWikipedia:進行中の荒らし行為に報告させていただきました。事の正邪の判断は、管理者がしてくれるでしょう。--河川一等兵 2008年8月22日 (金) 12:47 (UTC)
- 事実であれば何でも書いてよいといわけではありません。百科事典にとって真に必要な記載であるかどうかを考える必要があります。基本的な方針にあるとおり、中立的な観点を守らなくてはなりません。河川一等兵氏の記述は、一私企業の貢献を不必要に誇張しており、不適切な記述と判断せざる得ません。--124.84.175.254 2008年8月23日 (土) 00:04 (UTC)
- (追記)Wikipedia:管理者伝言板/荒らし、及びWikipedia:進行中の荒らし行為に報告させていただきました。事の正邪の判断は、管理者がしてくれるでしょう。--河川一等兵 2008年8月22日 (金) 12:47 (UTC)
- Erra氏に同意します。河川一等兵が中部電力から何か貰っているのか、あるいは関係者かもしれませんが、バカ高い電気料金を市民に押し付けてるんだから、こんな百科事典サイトなど使わなくても、テレビならシーエムなりでいくらでも、お宅の仰るところの「社会貢献」とやらは宣伝できるのではないでしょうか?--以上の発言は利用者:Panpakapkan(会話 / 投稿記録 / 記録)氏によるものです。--河川一等兵 2008年8月29日 (金) 22:37 (UTC)
(インデント戻し)「IP氏との関連を否定」などしておりません。IP210.188.50.182 は私であるとはっきり書いております。--Erre 2008年8月23日 (土) 00:26 (UTC)
- IP氏とErre氏の関連に関する点については発言を撤回いたします。ですが基本的な線は何ら変わるものではありません。それとErre氏に賛成する意見が出てきたようですが、これもまた当記事にしか出没していない。こんな奇怪なことがあるでしょうか。さらに言えば、私は中部電力の関係者ではないことを申し添えておきます。ましてやカネをもらうなど・・・名誉毀損も甚だしいですね。「不必要に誇張」と言われますが、捜索活動における中部電力の役割はこの記事を書く上で不可分なものですから、書いたまでです。
- 何れにしましても、既に荒らしとして報告させて頂いております。あなたが如何に第三者を装った発言で議論を撹乱しようとも、淡々と差し戻させて頂くという私の考えは揺るがないものです。前にも申しました通り、事の正邪は管理者の方々が判断されるでしょう。あなたがたには「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉を贈らせて頂きます。--河川一等兵 2008年8月23日 (土) 05:23 (UTC)
- 議論の最中に相手を荒らし呼ばわりすることこそ、荒らしです。こんな決め付けをされてしまっては、そもそも議論する気がなくなります。そのような発言は厳に慎んでください。--Erre 2008年8月23日 (土) 09:35 (UTC)
- また岐阜県防災局のページにもこの事故のことは書かれておりますが、ここに中部電力の文言は一切出てきません。それはwikipedia同様中立性を重視する公的機関は一私企業の活動を書くべきでないとの方針によるものであると考えられます。--Erre 2008年8月24日 (日) 22:38 (UTC)
- (コメント)電力会社の救助活動云々を記述すること自体が、私企業の援助になるというErre氏の主張には違和感を感じます。JR福知山線脱線事故の記事にも私企業による救助の事が書いています(もっとも団体と個人は人数が多いので書いていませんが)。本当に、必要以上に誇張する、あるいは虚偽の事項を書いたのなら問題が生じますし、修正の必要があります。しかしながらErre氏が私企業の宣伝を排除すると称して出典を削除する行動はいかがなものかとおもいます。それに『特定の私企業に関する事項の記述は望ましくないと考えます』というのであれば、全ての私企業及び芸能人の記述は存在すら不可となるように受け取れるのですがいかがなものでしょうか?--Carpkazu 2008年8月26日 (火) 15:04 (UTC)
- 40周忌を迎えたおり、事故から学ぶという危機管理の姿勢が薄くなっているように感じます。事故の経緯について、かなり書き込んできた立場としては、各種の修正や補筆はありがたく思いますが、事故原因をなかば「運転士」(運転手)と特定したような8月20日の加筆はいかがなものでしょうか。保護がかかっているので見解を加えることは遠慮しますが、裁判所ですら結論を出せなかった事故原因を、項目としてわざわざ立てて推断を加えるのは疑問に感じます。なお、私は旧岡崎観光など事故にかかわった機関とは無縁の者です。中部電力の取り組みを記した河川一等兵さんからは多くのことを学ばせていただきました。事故後は中部電力のみならず、自衛隊、警察、消防、自治体といった多方面の組織が捜索に関与していますが、水流を調整できたのは中部電力であり、その史料的根拠を明示できれば完璧かと思います。公平を期すなら、自衛隊や関係した自治体の対応を踏まえた記述が必要でしょう。--仙ノ倉万太郎 2008年8月29日 (金) 18:00 (UTC)
- 中部電力に関する一連の記述について、根拠となる出典は1979年発行の「飛騨川~流域の文化と電力~」、611ページから615ページまでの間です。中部電力発行なので詳細な状況が載っています。中立的観点には最も気をつけながら加筆したつもりです。愛知県または岐阜県内の主な図書館には収蔵されているとおもいます。私は古本屋のネットショッピングで購入しました。なお仙ノ倉さんも仰せの通り、「運転士」に責任を特定するのは行政・司法の結論と照らし合わせてもErre氏の独自見解としか言えません。あと自衛隊や各自治体の活動についてですが、残念ながら私の持っている資料では、これが限界でした。--河川一等兵 2008年8月29日 (金) 22:28 (UTC)
- 40周忌を迎えたおり、事故から学ぶという危機管理の姿勢が薄くなっているように感じます。事故の経緯について、かなり書き込んできた立場としては、各種の修正や補筆はありがたく思いますが、事故原因をなかば「運転士」(運転手)と特定したような8月20日の加筆はいかがなものでしょうか。保護がかかっているので見解を加えることは遠慮しますが、裁判所ですら結論を出せなかった事故原因を、項目としてわざわざ立てて推断を加えるのは疑問に感じます。なお、私は旧岡崎観光など事故にかかわった機関とは無縁の者です。中部電力の取り組みを記した河川一等兵さんからは多くのことを学ばせていただきました。事故後は中部電力のみならず、自衛隊、警察、消防、自治体といった多方面の組織が捜索に関与していますが、水流を調整できたのは中部電力であり、その史料的根拠を明示できれば完璧かと思います。公平を期すなら、自衛隊や関係した自治体の対応を踏まえた記述が必要でしょう。--仙ノ倉万太郎 2008年8月29日 (金) 18:00 (UTC)
一部の用語について
[編集]「天災にありがちな不運の連鎖」というのは概ね賛同しますが、その他で黙っていられなくなって一言。
- 捜索作業等の記述は、時系列に沿って冷静に淡々とお願いします。たとえ当時そのような呼称があったとしても「作戦」「指揮」などという用語を羅列しているのは、不幸な事故をおもしろがっている野次馬根性にしか見えません。
- 生き残った少年のその後について、いくら出典があるからといっても「自殺」などということを書くのもまた下品な野次馬根性にしか見えません。それとも、Wikipediaは出典さえあれば何を書いても自由なのですか?--以上の署名のないコメントは、122.249.198.28(会話/Whois)さんが 2008年12月19日 (金) 19:48 (UTC) に投稿したものです(202.224.75.209による付記)。
- 「作戦」「指揮」という用語が「野次馬根性」という解釈はうなずけません。有事が他人事の現代の日本人にとっては、かかる語彙は戦争ゴッコかスポーツ・ゲーム的に聞こえるかもしれませんが、現実に使用された用語であるうえ、救助する側も命がけで、あたかも戦時のような緊張のなかで捜索活動が行われたという雰囲気を伝えるという点において、決して不適切には聞こえません。また、冷静さを欠いた叙述とも思えません。
- 事故で唯一生存者した少年の自殺についても、決して「下品な野次馬根性」とは思えません。40年経過したとはいえ5号車と6号車の乗客で存命の方が今日一人もいないという事実と、関係者に残した深い傷痕を示す証左であり、断じてスキャンダルや不祥事と同一に扱うべきではありません。
- 「Wikipediaは出典さえあれば何を書いても自由なのですか?」との意見表明、厳粛に承ります。なお、Wikipediaへの執筆について定見と見識のある方と御見受けしますが、御署名を欠いている以上、こちらも利用者名は示せません。浅学不才の段、御寛恕ください。--以上の署名のないコメントは、仙ノ倉万太郎(会話・投稿記録)さんが 2009年2月26日 (木) 16:06 (UTC) に投稿したものです(202.224.75.209による付記)。
- 節を分離、署名をテンプレで補足、IP122.249.198.28氏の文章をスタイル調整、等しました(分離の理由は、最初の節の内容(中部電力の記載等)と議題が乖離している為です)。
- なお、節名は暫定ですので、より適切な名称に変更して頂いても構いません。--202.224.75.209 2012年7月1日 (日) 23:17 (UTC)
白川口駅長の行動について
[編集]はじめまして。 白川口駅長の行動(進行現示を出さなかった)について詳しく知りたいと思い、当時の新聞(地方紙含)や新聞社系週刊誌をあたりましたが、そのような記事は見付けられませんでした。 大変申し訳ないのですが、白川口駅長の行動について記載してある文献等ありましたら御教示下さい。 宜しくお願い致します。
はじめまして。記事を全文転載するのは長すぎたので、要旨でご勘弁ください。参照記事は脚注に記しました。 なお、この記事を執筆したのは、後に「レイルウェイ・ライター」として独立し、多数の鉄道に関する執筆物を残した種村直樹氏で、「鉄道ジャーナル」に連載したエッセイ「国鉄全線完乗まで」にこの取材の一連などを記載しています(「鉄道ジャーナル」1980年9月号119~120ページ) (会話) 2017年1月13日 (金) 08:22 (UTC)
国道41号のキロポストについて
[編集]当時の状況を再現してみようと、当記事の国道41号のキロ数を元にGoogleストリートビューで見てみましたが、当該区間のキロポストは古いもの(黄色い三角柱に数字が書いてあるもの)と新しいもの(名古屋から○kmと書かれているもの)とでは4kmの差があるようです(新しいものの方が数字が小さい)。当記事のキロ数は古い方が合っています。恐らくバイパス開通等による数字振り直しであると思われますが、検証可能なエビデンスが見つかりませんでしたので、ここに報告します。--Sara-minori(会話) 2021年5月1日 (土) 11:03 (UTC)
「要検証」部分について
[編集]- 記事を読んでいて疑問に感じることがあったので「要検証」テンプレートを付けさせていただきました。まず最初の要検証部分についてです。「小京都と喧伝された飛騨高山の観光を手軽に楽しめる家族旅行向けの企画ということもあり」とありますが、事故に遭遇したバスツアーの行程には飛騨高山の観光は含まれていなかったと思いますので検証のほどをお願いします。
次の要検証部分ですが、「益田郡金山町 (現・下呂市)の76.5 km地点(名古屋市東区泉1丁目高岳交差点にある国道起点からの距離。以下同じ)にある「モーテル飛騨」」とありますが、事故に遭遇したバスツアー一行は、76.5km地点の「モーテル飛騨」まで辿り着いたところで78km地点の坂東橋付近より先で発生した土砂崩れに阻まれて下呂高山方面へ進むことができなくなったことからツアーを中止し、名古屋へ引き返すことを決断するので、「益田郡金山町(現・下呂市金山町)」には至っていません。「モーテル飛騨(現存せず)」があった位置は「白川町坂ノ東」なので根本的に記述が誤っています。記事内容の検証をお願いします。どなたも訂正などの編集をされない場合は、出典も含めて当方で記事内容を精査したうえで全般的に編集をさせていただきます。できれば記事を書いた方が自ら正しい内容に編集していただきたいと思います。Zeamonde(会話) 2021年6月25日 (金) 17:02 (UTC)
- バスツアーに高山市の観光は含まれていないこと、「モーテル飛騨」の場所について、事実に基づき書き換えをしました。Zeamonde(会話) 2021年8月11日 (水) 10:26 (UTC)
- 「帰路」節に記述されている以下の要検証部分については、明らかに事実と違うことが書かれているので、訂正させていただきます。
「同18分には、10 kmほど先の白川口駅付近にある飛泉橋(66.4 km地点)を五号車が通過したが、ここで運転手が飛騨川の水位を警戒していた白川町消防団第二分団に呼び止められ、前方は溢水や落石の危険があるとして、運転見合わせを勧告される。しかし、まだ通行規制は敷かれていない上、一・二・三号車はすでに橋を通過していたため追尾することとし、六号車と七号車もこれに続いた。一方、やや遅れて走ってきた八号車を先頭とする第2グループは、この消防団の警告に応じて白川口駅前広場で待機し、深夜の豪雨をやり過ごした。」
- 上記の要検証箇所の誤りを事実に基づき書き換えました。出典は後日書きます。Zeamonde(会話) 2021年8月14日 (土) 11:41 (UTC)
- 「原因」節の以下の部分「生存した運転手たちは、地元消防団の警告無視などを理由に業務上過失致死の容疑があるとして書類送検されたが、岐阜地裁は1972年に、運転手の判断に誤りはあったものの災害回避に全力を尽くしたなどの理由により、無罪の判決を言い渡した。さらに主催者「奥様ジャーナル」社長の状況判断も裁判で問われたが、過失の認定はされず、これも無罪となった。」と記述されていますが、そもそも運転手らが消防団の警告を無視して走行を続けた事実はありません。またツアー主催者や運転手が刑事訴追された事実は無く、当該箇所は根本的な誤りです。岐阜県警は容疑者を特定せずに「被疑者不詳」で書類送検しただけであり、岐阜地検も最終的な判断は「不起訴」であり、公判すら開かれていないわけで、無罪判決も何もないです。しばらく待っても執筆者によって書き換えが為されない場合は、当方で該当箇所を書き換えるか削除いたします。Zeamonde(会話) 2021年8月14日 (土) 11:41 (UTC)
- 当該部分の根拠のない誤った記述を削除し、とりあえず加筆修正しました。Zeamonde(会話) 2024年5月6日 (月) 09:34 (UTC)
「疑問点範囲」の箇所について
[編集]当該箇所の疑問点についてですが、事故現場(64.3km地点)は下山堰堤(現・上麻生ダム)の下流300mに位置します。ダムの下流ということは、ダムの最上面を水が越えることは無いのでは、と考えられます。もしも集中豪雨によって増水した水面が国道41号線の道路上すれすれまで上昇し溢れる寸前だったとすると、上麻生ダムのゲートは完全に水没していたことになりますが、下流(事故現場付近)への水量はダムによって適切にコントロールされていて、そのような状況は確認されていません。被害者遺族が名古屋地裁に提起した国家賠償請求訴訟の判決公判において、岐阜県警加茂署・白川派出所の巡査部長の証言によれば「現地(バスが立ち往生した場所=事故現場付近)は、堰堤があって高くなっており、堰堤で水位を調節でき大丈夫であると聞き安心した。」と記録されています。朝日新聞デジタル「104人犠牲、飛騨川バス事故50年 なお残る深い傷(2018年8月16日)」 に掲載されている事故当時の現場の空撮写真を確認すると、事故が発生したときの水面はかなり増水していたとはいえ、写真の水位よりも2~3m高かった程度ではないでしょうか(日経新聞WEB版の「二度と犠牲出さないで 飛騨川バス事故から50年(2018年8月17日)」の記事に掲載されている1枚目の空撮写真が事故発生時の水面に近い)。記載内容の事実と情報の正確さが必要です。いま一度、検証のほどをお願いします。Zeamonde(会話) 2022年5月4日 (水) 04:37 (UTC)
- 初めまして、ご指摘ありがとうございます。「15メートル下」は平時のことだろうと思うので、脚注として記載した記事の前半部分「増水によって道路際まで水位が上がっていた」を参考に文章を書き足しましたが、ご指摘の事実は確かにその通りだと思いますし、また、記事の後半部分で「崖を這い上がった」とあるので、這い上がった個所は転落部分からだいぶ下流になっているにしても、道路とほぼ同じ高さまで水位が上がっていたのは考えにくいですね(崖を這い上がると形容できる程度には道路と水面に高低差があったはずなので)。
- しかし、「15メートル下」の記述のままだと当時の状況の形容としてやや違和感があるのですが、何かよい案はありますでしょうか(15メートル下というのが当時の状況として正しい形容でしたらすみません)。--プリン寿司(会話) 2022年5月4日 (水) 16:05 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。当方で事故当時の各新聞の報道を調べてみました。朝日と毎日は「15メートル下に転落」、産経は「10メートル下に転落」と書いています。現場付近の飛騨川の水深は増水した状態で10メートル(毎日)、通常は水深4メートル(朝日)、いわゆる「水位ゼロ作戦」でダムを堰き止めた時の水深が5~6メートルで崖下は30メートル(朝日)ということらしいです。そこにバス1台分の全長が10~12メートルであることを考慮すると、当時の現場写真の水位から推測する崖下の高さはバス1.5台分くらいはありそうで、「15メートル下」という数値は、いちおう正しいと判断できます。平時は崖下30メートル程度というイメージなのだと思います。プリン寿司さんが加筆された部分を改良するとすれば、「普段ならば道路の15メートル下に水面があるが、増水のため、水面の高さは道路とほとんど変わらなかった」 これを→「普段ならば道路の30メートル下に水面があるが、集中豪雨による増水のため、水面の高さは道路から15メートル下の位置にまで達していた」・・・例えば、こんな感じにすれば丸く収まりそうです。この案でよろしければ、当方で当該箇所を編集し、テンプレートを除去しておきます。ご意見のほど、よろしくお願いします。Zeamonde(会話) 2022年5月5日 (木) 06:33 (UTC)
- 「疑問点範囲」内を事実に基づき、適切に編集しました。岐阜新聞WEBの出典は、記事を書いた記者の取材力が不足していると判断し除去、具体性のある出典に置き換えました。Zeamonde(会話) 2022年5月15日 (日) 23:41 (UTC)