ノート:須玖岡本D地点遺跡
記事名について
[編集]「須玖岡本D地点遺跡」という名の遺跡は存在しません。おそらく須玖岡本遺跡のD地点のことであろうと思われますが、遺跡の個々の区域に特筆性はないものと思いますので、須玖岡本遺跡に統合すべきと考えます。また、「考察」の部分については何を参照したのかお示しいただきたく思います。--Muyo(会話) 2014年4月13日 (日) 11:55 (UTC)
存在しないのなら、何故に「福岡市の市史」の本に「須玖岡本D地点」と「三雲南小路」との表記があるのか、説明してもらいたい。
これに倣って「遺跡」という名を付けたのだが。
そもそも、「青銅器鋳造跡」などの遺構や、「集団甕棺墓群」などが発見される以前において、「須玖岡本遺跡」と呼ばれたモノは今、「須玖岡本D
地点」の「巨石下甕棺墓」であり、昭和40年代以降から開発ラッシュによって発見された遺跡群を「須玖岡本遺跡群」と「群」を付けて表記していたのだが、いつの間にか「群」の表記は消えてしまっている。
当方としては「三雲南小路遺跡」との対比として考えたのでこのタイトルとした。
「遺跡の個々の区域に特筆性はないものと思いますので」と云うのは、「個々の遺跡の名称はいらない」と云っているのと「同義」なのですがね。
早い話、「古代の遺跡でいいだろう」と云われているように感じたが。だとすると考古学は何のためにあるのでしょうね。
--利用者:天火明命 2014.04.15.1
- いかなる経緯があるにせよ、「須玖岡本D地点」というのは須玖岡本遺跡の一区域であって、「須玖岡本D地点遺跡」なる名の独立した一つの遺跡ではないですよね。--Muyo(会話) 2014年4月15日 (火) 14:17 (UTC)
「独立した遺跡」と私の師匠筋の「原田大六」は云っていたが、あなたが云いたいのは「D地点の遺跡を特別扱いするな」と云いたいのでしょうか?それとも、「須玖岡本遺跡のD地点の遺跡」とタイトルを変えろと云いたいのか。ちなみに統合して示すとしても、周りの遺跡からすると「D地点」だけ「特殊な存在」なのですが…。だから当方は「須玖岡本D地点遺跡」という事で新設したのだが。
ちなみにあなたは「何を指して『遺跡の範囲』を決めるのでしょうか?」
当方が主に研究している「曽根遺跡群の中の平原遺跡」というニュアンスと「須玖岡本遺跡群のD地点の遺跡」というニュアンスと何が違うのか理解できません。
--利用者:天火明命 2014.04.15.2
- 須玖岡本遺跡は「須玖岡本遺跡」の名で国が指定している史跡ですが、「須玖岡本D地点遺跡」という名の遺跡が国か県か市の史跡・文化財として指定されているわけではないでしょう。須玖岡本遺跡の中で「特殊な存在」であるとしても、須玖岡本遺跡と別の遺跡というわけではないので、須玖岡本遺跡の記事の中にD地点についても書けばいいでしょう。--Muyo(会話) 2014年4月15日 (火) 15:35 (UTC)
転送統合しました。指示通りに行いましたので、ご確認どうぞ。--利用者:天火明命 2014.04.16
- 確認いたしました。お手間をおかけしました。--Muyo(会話) 2014年4月16日 (水) 06:33 (UTC)