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ノート:青葉神社

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片倉景綱の子孫

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>片倉小十郎(景綱)の子孫に会うことを目的に当社を訪れる女性(歴女)が増加している

とありますが、現在の片倉家の当主の祖父・健吉氏は伊予吉田藩主伊達宗孝の七男で、初代小十郎の血を引いていないので、正確には違うのでは?—以上の署名の無いコメントは、Rikuzen gunノート履歴)さんが 2010年12月27日 (月) 19:13 (UTC) に投稿したものです(まさふゆによる付記)。[返信]

健吉氏の先祖の伊達村候の母が伊達吉村の娘で、その伊達吉村の母が片倉景長の娘なので一応、女系の女系とはいえ血はつながっています。--110.135.87.28 2011年1月5日 (水) 19:27 (UTC)[返信]

確かにそうですが、誰々の子孫と言った場合には養子や女系を含めるのが通例なのでまあ良いかと。例えば黒田長久氏は黒田長政の子孫ですが、長久氏は女系を考慮しても長政の血を引いていない(恐らく)。それでも子孫扱いされています。--まさふゆ 2011年1月6日 (木) 11:46 (UTC)[返信]

創建事情について

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明治元年7月請願、翌7年2月許可という箇所を書き換えました。宮城県神社庁のサイトにもとづいてはおりますが、元年7月は戊辰戦争の最中で、仙台藩が奥羽越列藩同盟の一員だった時期です。神社サイトでは、続く文が翌7年となっていますから、おそらく6年の誤りなのでしょう。7年2月許可というのも、脚注で示した『太政類典』の中に6年12月の許可そのものがありますから、何かの誤りと思われます。青葉神社は社号が後で決まったようですから、それを創建許可と混同したのかもしれません。なお、太政官の公文書集である『太政類典』には、社号決定と神社創建については記載がありません。県社である青葉神社は、宮城県の決定で建てられたと思われますが、私にはそこまで調べがつきませんでした。--Kinori 2011年10月29日 (土) 02:10 (UTC)[返信]