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ノート:青海省

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この青海省記事はチベットの観点から書かれたもので、中国の一省として記述されていません。中立性に問題があると思われます。現在の記事はチベット項目に移すべきと思います。Trek011 2004年9月21日 (火) 23:27 (UTC)[返信]

双方から記述すればいいと思います。移動してしまうと逆におかしくなると思います。johncapistrano 2004年9月22日 (水) 07:02 (UTC)[返信]
「青海省」は、中国の政権がこの地方を統治するために設立した地方行政単位で、その発足は1928年とごく最近であるにもかかわらず、歴史の項目にある記述は、この枠組みをはるかに過去に遡った内容です。この項目は、「1928年に発足した中国の一省」としての記述のみに純化し、時代や政権の変遷の枠を越えた記述については、アムド地方の項目にまとめてはどうかと思います。
いっぽうで、青海地方の領域と、アムド地方の領域の対応関係については、中国による行政区画とチベット人自身の地方区分という、青海地方の現在の位置づけを説明するものですから、この項目に置いたままでいいと思います。--Dalaibaatur 2005年2月17日 (木) 04:53 (UTC)
初稿投稿者がチベット地理の観点から記述としているように、記述に偏りがあるのは否めません。ただ、原則論としていえば、日本の市町村記事もそうですが、行政体発足以後の歴史ではなく、その地方の歴史を総合的に記述する必要があります。吉林省の歴史は省成立以後ではなく、中国領ではなかった古代からの歴史ということです。青海省の現行の歴史記述はチベットの観点からしか書かれていないので、アムドに移してもらっても良いと思いますが、その上で新しい歴史に差し替えればよいのでは。Trek011 2005年2月23日 (水) 05:48 (UTC)[返信]
現在、青海省を構成している領域が、一つのまとまった地方行政単位を形成するようになったのは、どんなにさかのぼっても、雍正のチベット分割以降でしょう。この項目を、「青海省」のみの項目として純化しようという意見はいまのところお二方の賛同をえられていないので差し控え、「青海地方の成立」の説明を付け加えました。
「青海地方の成立」以前の歴史は、吉林省の項目にあるような前フリとしての簡潔な記述はともかっく、どう考えても「青海省」の項目にあるのは不自然で、私としては、アムド地方もしくは河西回廊の項目で扱うべきだとかんがえています。この点については、「アムド」と「河西回廊」の項を充実させてから、改めてみなさんのご意見をうかがう予定です。
Trek011さんのいう「記述に偏り」ですが、「視点がチベット側」というのは、意味不明で理解できません。中国王朝とこの地方との関係についての記事が少ない、という意味でなら異存はありませんが。
「視点が中国側」でも「チベット側」でもない、「総合的に記述」された「新しい歴史」とは、一体どんなものだとあなたが考えておられるか、是非参考にさせていただきたくおもいますので、お手数ですが、試みに、清朝の青海支配体制に関する
【青海モンゴル族は盟旗制により再編、チベット人諸侯たちには各級の「土司職の称号を与え、所領を安堵する、という支配体制を築いた。】
という一節について、あなたのいう「総合的に記述」する方式で描写すると、いったいどのようになるのか、是非ご教示いただければ、と思います。--Dalaibaatur 2005年2月23日 (水) 22:38 (UTC)
この地方におけるチベット族の詳しい清代以前の歴史はアムドの項目に移し、この項目では前振りとしての簡単な記述に変えたほうがわかりやすいかもしれません。とにかく記事内容が大幅に充実してきたのは喜ばしいことです。参考までに中国当局の青海省の歴史をリンクしておきます。このとおり書けばよいというものではありませんが。
http://www.qhei.gov.cn/zjqh/zjqh-lsyg.htm
--Trek011 2005年2月24日 (木) 00:27 (UTC)[返信]
民族の項は人口の多い順に並べるのが妥当と思いましたが、再びリバートされ、チベット人とモンゴル人が上に来て、人口の多い漢族や回族が下になっています。何故そんなにチベット人、モンゴル人にこだわるのでしょうか。こういうところが中立性問題に発展するように思います。ウィキペディアは民族主義や宗教を鼓吹する場所でないのはご存知のはずですが。Trek011 2005年2月26日 (土) 11:31 (UTC)[返信]
【民族の項は人口の多い順に並べるのが妥当と思いましたが、再びリバートされ、チベット人とモンゴル人が上に来て、】
この省は、遊牧地帯が大半をしめ、その地の住人のほとんどはチベット人とモンゴル人だからです。
【何故そんなにチベット人、モンゴル人にこだわるのでしょうか。こういうところが中立性問題に発展するように思います。】
これは異なことをうけたまわる。この項目の性格を規定する一環として、歴史の記述について、あなたに対し【この項目は、「1928年に発足した中国の一省」としての記述のみに純化し、時代や政権の変遷の枠を越えた記述については、アムド地方の項目にまとめてはどうかと思います。】と提案した際、あなたはこれに反対し、【行政体発足以後の歴史ではなく、その地方の歴史を総合的に記述する必要があります。】と述べたではないですか。
この省の性格を歴史的に考察するなら、青海地方とは、朝が雍正のチベット分割の際にグシ・ハン一族より奪い取った領域の最北部にもうけられた一地方で、西寧辧事大臣の管轄下に置かれた青海蒙古の諸旗、チベット人諸侯の所領群を合わせた領域から構成され、藩部の一角を構成しておりました。1928年に青海省が建省される際に、甘粛省側から一部地方がこの地方に移管されたことにより、ようやく、省全体としては多民族の雑居地帯となったわけで、チベット人、モンゴル人を主体とした記述は、あなたも賛成された「この地方の歴史を総合的に」考察した成果をふまえての叙述です。
あと、私の署名について井戸端でなにやら妄想を述べておられますが、右から2番目のツールボタンを使って記入しています。--Dalaibaatur 2005年3月6日 (日) 17:03 (UTC)

厦門音新字典

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《厦門音新字典》の舟乗り用っぽい世界地図では、名称はココノールとなってゐますが、

それを無視すると、青海省の青海の名の解すら得られず、また、チベット仏教への言及が

なければ「何故モンゴル」問題も杳として解を得無い事は当たり前だと思いますが、

これまでの皆さんは何故この二つの事について、回避していいとお考えですか?

--伊藤祥司会話2022年11月5日 (土) 08:22 (UTC)[返信]