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ノート:青海湖

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ツォ・ティショルギャルモのソースをご提示下さい。

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利用者‐会話:Dalaibaaturより移植) w:Qinghai_Lakeにおいてはツォ・ティショルギャルモではなくTso Ngonpoとなっている。ウェブ上を探してもツォ・ティショルギャルモのソースがみつからなかった。もし紙媒体の資料でもあれば教えて頂きたい。そして英語版の訂正を御願い致す。利用者:Sionnach/sig2005年11月10日 (木) 08:45 (UTC)

「ツォ・ティショルギャルモ」の名称は、チベット文献に頻出しているし、チベット人ならティショルギャルモの名を知らぬ人はないでしょう。チベット文献で、青海地方出身者の伝記をみると、冒頭部で、大抵この名前ででてきます。いくつかの辞書で古称、雅称などとするものを見かけましたが、青海省出身の友人によれば、現在もこの名称で普通に通じるとのこと。紙媒体での典拠をご希望とのことなので、2点。

まず辞書。張怡蓀主編『蔵漢大辞典』(北京民族出版社、1993)のp,2318を参照。
次に、ダライラマ五世による摂政サンゲギャンツォの任命書。発令対象者を列挙するなかに、
モンゴル40部・オイラト四部・ティショルギャルモ湖のほとりに住まう者たちのハン・皇族・ジノン・タイジ・大小ノヤン・タブナン・ジャイサン・サイイド・一般牧民たちよ、
という一節があります。「ティショルギャルモ湖のほとりに住まう者たち」とは、青海モンゴルを指します。有名な文章ですからいろいろな文献に収録されていますが、たとえば札西旺都『西歴史档案公文選水晶明鑑』(北京民族出版社、1989)のpp.121-122。

以上、ご参考までに。--Dalaibaatur 2005年11月10日 (木) 22:34 (UTC)[返信]

なぜ日本語なのですか?原文を出してください。該当するページをスキャンしてどこかの画像掲示板へアップロードしていただけませんか?60.236.200.221 2006年3月18日 (土) 11:11 (UTC)[返信]
「紙媒体の資料」として、さらに一点追加します。dung dkar blo bzang 'phrin las, dung dkar tshig mdzod chen mo, pe cing, krung go'i bod rig pa dpe skrun khang, 2002,p.404.
「なぜ日本語なのですか」といえば、ここが「ウィキペディア日本語版」だからです。「原文」のリクエストがありましたので、拡張ワイリー方式による転写で紹介します。
sog po tsho chen bzhi bcu/ o rod tsho pa bzhi/ mtsho khri shor rgyal mo'i 'gram du gnas pa'i rgyal po/ rgyal rigs/ ju nang/ tha'i ji/ dpon che chung/ tha bu nang/ ja'i sang/ mj bzang/ sde dmangs dang bcas pa/
「該当するページをスキャンしてどこかの画像掲示板へアップロードしていただけませんか」とのことですが、ご紹介した三点の資料は、どこかの研究機関にしか所蔵されていない写本、版本などではなく、出版社から多数の部数が公刊されたありふれた資料ですので、その必要をみとめません。--Dalaibaatur 2006年6月12日 (月) 23:37 (UTC)[返信]

mtsho khri shor rgyal moが青海湖と同一の湖であるという根拠は何ですか?もしそれは本当にそうだとしても本州を大倭豊秋津島と呼ぶようなもので、併記する様な代物ではないのではありませんか?宝珠蓮華 2006年7月26日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

「mtsho khri shor rgyal moが青海湖と同一の湖であるという根拠」は張怡蓀主編『蔵漢大辞典』(北京民族出版社、1993)のp,2318およびdung dkar blo bzang 'phrin las, dung dkar tshig mdzod chen mo, pe cing, krung go'i bod rig pa dpe skrun khang, 2002,p.404を参照。すくなくとも教養あるチベット人と、青海湖畔の地元のチベット人の間では、「本州を大倭豊秋津島と呼ぶ」のとくらべて遥かに一般的で、チベット名をあげるのであれば、むしろ「ツォ・ゴンポ」という呼称をはずして単独であげてもいいくらい一般的な呼称です。--Dalaibaatur 2006年8月13日 (日) 08:58 (UTC)[返信]

ちょいと失礼。貴殿は何処何処の何ページを参照とばかりでちっとも根拠となる記述が何と言っているのか述べておられないではないか?Sionnach 2006年8月15日 (火) 17:14 (UTC)[返信]

のべていますが。--Dalaibaatur会話2012年3月15日 (木) 04:30 (UTC)[返信]

文献に載っているカタカナが正しいとは限らない。

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学者先生が書いた本だからってそのカタカナが正しいチベット語のものとは限らない。mtsho khri shor rgyal moはツォ・ティショギャルモとは読まない。まずshorだがこれは「失った」という意味なのは知ってるよな?rを発音しないならその部分は長音になるし、するならするでティショル~~となんなきゃなんねー。つぎのrgyal moは「王妃、女王」。これはrgyalが「国」という意味でラサの俗な方言ではギェーと発音される。文語的に発音するとギェルだ。どちらにせよギャルじゃない。ギャルと読んだらそれは老爺だ、moが女という意味だからギャルモでジジイ女だ。想像したくねえ。だからツォ・ティショーギェルモかツォ・ティショルギェルモのどちらかが正解だ。塩菜っ葉 2006年3月16日 (木) 13:50 (UTC)[返信]

Sionnach=塩菜っ葉=宝珠蓮華さま。問題は「正しい」と思うかどうかではなく、検証可能性があるかどうかです。「学者先生が書いた本」は、間違いなく検証可能性を満たす典拠たりえます。以下に「ツォ・ティショル・ギャルモ」という表記に関する検証可能性のある典拠をお示しします。
  • W.D.シャカッパ著(三浦順子訳)『チベット政治史』亜細亜大学アジア研究所,1992年
西北地方ではツォ・ティショル・ギャルモ(ココノール湖)。(p.3)
  • TSEPON W.D.SHAKABPA,Bod kyi srid don rgyal rabs AN ADVANCED POLITICAL HISTORY OF TIBET,volme I, Kalimpong, W.B. Shakabpa House,1976.上記のチベット語版。
mthso khri shor rgyal mo(ko ko nor) (p.23)

記事の文面を上記の表記に基づいて修正します。旧文面に含まれていた

別名ティショク・ギャルモ(ཁྲི་ཤོག་རྒྱལ་མོ་ khri shog rgyal mo; Trishok Gyalmo)は「一万を滅ぼした女王」を意味し、同湖の女神

という情報についても、検証可能性を満たす典拠の提示があれば、記事の文面中に併記することに反対いたしません。--Dalaibaatur会話2012年3月15日 (木) 05:02 (UTC)[返信]