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ノート:霊魂

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霊魂の存在が前提となる視点から科学を弄るような立場でかかれていて甚だ不快、もちろん科学的にも「あまりにもひどすぎる」状態であったので、勝手ながらコメントアウトしました。

>トーマス・エジソンのように霊界との通信用機械を研究・開発したという発明家は少なくない。

エジソンの晩年について、わずかでもご存知でしょうか?児童向けの伝記しか読んだことが無いのでは? 彼は高等教育を受けられず、実業家・発明家としては歴史に残る偉人でその業績にも疑いはありませんが、山師的な側面が多分にあり、また科学者としての素養はありませんよ。このような場所にこのような例として引き合いに出しておきながら、都合の悪い点に触れないのは、多分に恣意的で、作為すら感じます。

>しかし霊魂の存在は、現在の自然科学では客観的な立証が可能になってはいない(参照:「悪魔の証明」)。

科学的知見の成立要件とは、立証の可否ではなく、妥当な検証とそれに耐えられたかで判断されます。十分な検証が行われたか、それに耐えられたかが重要なのです。 この説明では、いささか(以上に)片手落ちと言わざるを得ないかと。

>これをもとに、生命活動や精神活動は複雑な化学反応神経における電気的反応からなる完全に物質的なものであり、霊魂の存在は論理的につじつまの合わない一種の迷信とする人もいる。

人体は様々な要素が重合した複雑系をとっているため、その機序については理解の及ばない領域の方がまだ多いくらいです。現代の科学や医学ですらその状況ですから、現時点でそれを断じてしまう人は、厳密には既に科学の領域には居ません。このような状況で引き合いに出すのは、卑怯とは言わないまでも多分に恣意的と言わざるを得ません。

>これは特に唯物論を前提とする共産主義の普及した国家や、宗教そのものに対して懐疑的な人々の間に少なからず見られる。

政治的・宗教的な主張ですね。 主観や二重基準を排して唯物的にものを見ようと努めることすらできない人が、世界や事象をどれだけ理解できるというのか。

>一方これに対して、人が死ぬ前と死んだ後で微妙に重さが違うと言う検査結果があり、これを魂の重さと考える人もいる。

数グラムの差が魂の重さではないかという話ですね。これは計測もしくは集計誤差だと批判され、その批判に対して有意な反論もできず再検証も行われていないという、全く科学的な検証に耐えられない「単独の実験結果」の典型ですよ。 そもそもろくに検証されてもいない、学研あたりのオカルト本に載っているような単独の事例を持ち出されても困ります。

>霊魂に対しては、宗教学神学、自然科学以外にも、民俗学文化人類学などからのアプローチも試みられている。例えば世界各国の各民族言葉に「霊」や「魂」に相当する単語が存在する為、普遍的に人間は霊や魂の概念を認めていると考えられる。

文化的・因習的には世界中で霊魂や死後の世界が存在するという見解は普遍的なもである、となっていますが(その見解には私も同意しますが)、それらの見解を「科学的なもの」だと強弁するのであれば、やはり否定せざるを得ない。 「霊魂と科学」という項目でこれを語るなら、作為を問わねばならないでしょう。 「霊魂と文化」のような項目を分けて、そちらに移動されてはどうでしょうか。


210.149.190.137 2005年7月6日 (水) 11:57 (UTC)[返信]

未確認情報ですが、聖書の古い日本語訳には、「霊魂」という語に「たましひ」というルビが付されているものもあるようです。--Rigel 2006年7月29日 (土) 15:13 (UTC)[返信]

哲学節

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哲学節はスタイルに難があり、学問の出典にテレビ番組(?)を用いるなど、複数の問題があると思われます。「量子脳理論」の説明は自分にはさっぱり理解できなかったので内容には触れませんが、これって哲学なんですかね?サム・パルニア医師のセクションは「大紀元日本」とか…何が何やらです。--茂林寺たぬき会話2015年10月11日 (日) 21:17 (UTC)[返信]

パルニア医師のセクションについて

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上記のパルニア医師の記述ですが、英語版で当該の研究と思われる論文へのリンクを見つけたので、疑問点としてマークしました。英語版の論文では、"Unfortunately, and somewhat atypically, none of the survivors in this sample experienced an OBE."となっており、パルニア医師の元論文では"In this study, no out of body experiences occurred."とされていますので、少なくとも英語版で言及されている資料では、「確認できなかった」というのが正しいと思われます(というか、こんなことが確認できていたら、すでにその前提で多くの研究があるはずです)。もちろん「大紀元日本」の運営者が当該論文以外で、パルニア医師のセクションにある事実を確認したという可能性はありますので、疑問点にとどめました。

英語版で参照している論文:https://afanporsaber.com/wp-content/uploads/2014/01/Near-death-experiences-in-cardiac-arrest-survivors.pdf パルニア医師の論文:http://m.horizonresearch.org/Uploads/quantqual.pdf

--153.206.62.96 2019年2月3日 (日) 16:42 (UTC)[返信]

冒頭「想像上の」概念という記述について

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長らくIPユーザーの方がこの一語を入れようと頑張ってるんですよね。 当方も別に霊魂の実在を主張している訳ではなく、ただ「実在も非在も証明されていない」のだから「最初に非在のように書くのは科学的でも論理的でもない」というのと、記事全体の整合性を考慮して差し戻しているのだけれど、なんだか理解して貰えない。 霊界の方は「宗教上の」概念とすることで折り合ったようですけれど、こちらではそれも違うような。どうしましょう。--死郎会話2021年6月15日 (火) 07:02 (UTC)[返信]

霊魂の概念が倫理や諸々の文化に実際に影響を与えている以上、実在するかどうかは余談に過ぎないと考えます。霊魂は反証可能性がない代表例のひとつになってますから、存在を否定する意味で「想像上の」を加えているのなら、WP:NPOVでいうところの「特定の観点を是認するような表現」と言えましょう。あえて存在の不確かさを加えたいのなら、仮に考えてみるという意味で「肉体とは別に精神的実体として存在すると想定された概念。」などはどうでしょう?--茂林寺たぬき会話2021年6月16日 (水) 02:07 (UTC)[返信]
コメント 茂林寺たぬきさんご提案の「肉体とは別に精神的実体として存在すると想定された概念」、あるいはもっとシンプルに「肉体とは別に精神的実体として想定される概念」くらいで十分と考えます。は存在するのでしょうか。は定義可能でしょうか。来世はあるのでしょうか。いくらでも議論・考察はできますが、Wikipediaですることではありませんし、簡単に結論が出ることでもありません(来世にも「想像上の」という記述がありますね)。定義に示された「想像上の」という文言は、これらの議論・考察の機会を奪い、さらには「霊魂は想像上の存在である(≒存在しない)」という一方的な立場での記述であり、許容できません。「想定される」に嘘はないでしょう。「想像上」なのか「存在する」のかは定義では保留すべきです。--しんぎんぐきゃっと会話2021年6月16日 (水) 14:19 (UTC)[返信]