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ノート:関東大水害

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「江戸時代、関東地方では利根川東遷事業を始めとした治水事業が進められてきたが、水害対策より水運が優先され」とあり江戸と他の関東地方をひと括りにしているのですが、江戸の水害対策も利根川東遷事業の目的のひとつであり、江戸の水害対策の代償として他の関東地方では水害が激化したというのが、正しい解釈だと思います。一般的に他の関東地方の陸地は自然によって作られたものですが、現在の東京都区部の平地の部分は人為的に無理やり可住地化したもので、一緒にはできないはずです。

これをご覧いただければ、微高地にあった江戸城のすぐ前は海だったことが判ります。また更級日記では、松戸から太日川を渡り武蔵国足立区)に入っており、葛飾区などいわゆる海抜ゼロメートル地帯は、当時は満潮時には水没しかねない海の干潟程度だったわけです。港区品川区はそれよりはいくらかましで、かろうじて陸地にはなっていたものの馬に乗った侍の弓の先が隠れてしまうほど葦や萩の生い茂った大湿地帯であったとされております。その後特に隆起したわけでもありませんので、現在でも東京都区部の平地の部分は、排水に何らかの支障が生ずればたちまち水没しかねない地域なわけです。

そして、その首都東京を水害から守るため利根川だけでなく多摩川の河川改修も行われており、神奈川県側の堤防は東京都側より一段低く作られております。そのため、川崎市の中原区や幸区などでは大雨が降ると多摩川の水があふれ出し床上浸水が常習的に起こっている所もあるのですが、その対策として堤防を強化するなどということは、明治以来このかた行われることはありませんでした。何故でしょう? --122.133.53.103 2013年5月30日 (木) 08:15 (UTC)[返信]


つい最近多摩川神奈川県側の堤防上にはコンクリートみたいなものが設置されたような気がします。詳しくは調べていないので分かりませんが --電波銀座開発 2016年4月17日 (日) 19:55 (UTC)