ノート:間宮陽介
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池田信夫氏や山形浩生氏からの批判についいて
[編集]「ジョン・メイナード・ケインズの大著『雇用・利子および貨幣の一般理論』の新訳に取り組み、2008年に岩波書店から文庫上下2巻として刊行したが、誤訳の指摘があり、経済評論家の池田信夫は、自身のブログで『本書の訳者はマル経出身で、マクロ経済学の勉強もしたことがないから、この訳本は翻訳調なのに意味がわからないという『超訳』ならぬ超誤訳である。原著を読んでもわからない本を、経済学を理解してない訳者が訳したのだから、読者にわかるはずがない』『岩波は、ケインズの名誉のためにも、この間宮訳を絶版にすべきだ』と批判している[1]。また、評論家の山形浩生も自身のブログで『間宮が勘違いしたうえに、勝手に原文を改ざんしている』部分を指摘している。山形は文体の古さも批判している[2]。」という文章を花蝶風月雪月花警部氏は、WP:BLOGS違反で削除されましたが、WP:BLOGS#自主公表された情報源には、「個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません。ブログや電子掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。」という一説があります。匿名やどこの誰とも素性の知らない人物のブログは参照にならないのは当然ですが、池田信夫氏や山形浩生氏のブログは著名な専門研究者や有名ジャーナリストの自主公表に該当すると思うのですが、どうでしょうか?。--Greenhorn38(会話) 2016年5月4日 (水) 06:13 (UTC)
脚注
- ^ “英文よりわかりにくい「超誤訳」”. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “ケインズ「一般理論」間宮陽介訳(岩波文庫):古い、英語知らない、原文勝手に改ざん。”. 2014年3月9日閲覧。
- コメント 存命人物については、他の分野よりも基準が厳しくなっている(Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源)。Wikipedia:信頼できる情報源を満たすものを使用するのがWikipedia:存命人物の伝記の方針からも望ましい。--花蝶風月雪月花警部(会話) 2016年5月5日 (木) 12:02 (UTC)
- コメント「望ましい」ということですね。WP:BLOGS違反で池田氏や山形氏のブログを削除したのにWikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源を持ち出すのもよく分からない話です。池田氏や山形氏のブログをWP:BLOGS違反で削除されましたが、池田氏や山形氏のブログは、「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう」に該当しうるということです。花蝶風月雪月花警部氏が引用されたWikipedia:信頼できる情報源にも、「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません。」とあります。同じ池田氏や山形氏が書いたのに、書いた媒体が違うだけで、書籍や雑誌に書いたものは出典にできて、ブログに書いたものは出典にならないというのもおかしな基準です。私が異議申し立てしたのは花蝶風月雪月花警部氏はWP:BLOGSをブログは出典にならないと解釈していると思ったからです。何故そう思ったかというと、長谷部恭男氏の項目で『正論』からの批判は残して池田氏や長島氏からの批判だけを削除しているからです。著名な専門研究者や有名ジャーナリストのブログは出典になり得るんですよ。--Greenhorn38(会話) 2016年5月6日 (金) 06:03 (UTC)
- コメントとは言え、有名な学者、ジャーナリストが書いていればどんな放言でも記載できるというのも行き過ぎと感じますね。私は山口二郎には批判的ですが、Greenhorn38さんが引用したこういう人格批判に正当性があるのか疑問です。その辺の裁量はどうなっているのでしょうか?ある種の無法地帯?--Ryo 625(会話) 2016年5月6日 (金) 12:13 (UTC)