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ノート:門司区

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「門司区の歴史」への分割提案

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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/門司区 20191026でも指摘があったのですが、歴史節に力を入れて加筆しすぎたため、現在22万バイトという長い記事になってしまいました。見通しを良くするために、「門司区の歴史」という子記事を新規作成し、本記事はWikipedia:サマリースタイルに従って量的に絞ったほうがよいのではないかと考えています。--ゴーヤーズ会話2020年1月1日 (水) 12:09 (UTC)[返信]

見通しをよくするのが目的であれば、北九州市成立以前の歴史を門司市に転記した方が、記述の分散が防げてよいのではないかと考えます。企業記事ではよく取られる方法です。--210.48.133.123 2020年1月3日 (金) 05:09 (UTC)[返信]
コメント 古代・中世・近世・明治中盤の歴史も含む内容のため、明治32年~昭和38年に存在したにすぎない門司市に移すというのは整理の仕方としてやや中途半端な感じがするのです。門司市そのものの記述より、古代~明治中盤の記述が長くなりすぎて、結局バランスを失してしまうのではないでしょうか。別案として、門司の歴史という項目を作ることも考えられ、個人的には魅力を感じていますが、この方法だと、将来、別の地方自治体について通史を独立させようとしたときに、うまくいくのか、という疑問があります(例えば、北九州市の通史を北九州の歴史とすると、意味が違ってしまうような……)。以上を踏まえて、現在ある門司区という区域を前提にその通史を記述した記事、という意味で門司区の歴史を提案した次第です。門司市では、門司区の歴史へのリンクを貼った上で、市制施行や大里町等の合併、五市対等合併の事情、各市長時代についてより詳しく書いていくことが考えられるのではないでしょうか。--ゴーヤーズ会話2020年1月4日 (土) 08:01 (UTC)[返信]
コメント 加筆状況を拝見しておりましたが、歴史節のみが肥大化している状況というのは好ましくない(門司市の記事が門司区の記事に比べて少々希薄なのが逆に気になってます)と私も考えており、「門司の歴史」あるいは単なる「門司」という記事(現在は曖昧さ回避)を作成してそちらに一部転記するのが望ましいのではないかと勘案します。--Bsx会話2020年1月4日 (土) 10:01 (UTC)[返信]
門司門司の歴史への記述であれば門司市からも誘導できるので重複はせず、賛成できます。自治体の歴史ではなく街の歴史ですから、北九州市の歴史との整合性を考える必要はないでしょう。--210.48.133.123 2020年1月6日 (月) 01:19 (UTC)[返信]

提案 今までの議論を踏まえて、門司の歴史への分割を第1案としたいと思います。引き続きご意見いただければと思います。--ゴーヤーズ会話2020年1月6日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

とりあえず分割自体は賛成多数のようですし、門司の歴史への分割を実施した上で、必要に応じて改名議論でよいのではないでしょうか。--210.48.133.123 2020年1月16日 (木) 08:13 (UTC)[返信]

チェック 賛成が多いと見られる門司の歴史への分割を実施しました。--ゴーヤーズ会話2020年1月23日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

「門司が舞台となった作品」節と「主な著名人」節の削除提案

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上記2節は、列挙の基準も明確に定め難く、出典も現状で付いていません。「門司が舞台となった作品」は、門司区を理解する上で重要な作品であれば特筆性があると思いますが、現状ではその説明ができていないと思います。また、「主な著名人」については、北九州市出身の人物一覧が概ね役割を果たしているのではないでしょうか(出身の区を明示した方がよいのであれば、同一覧記事に記載すればよいのではないでしょうか)。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありませんも参照した上、両節は削除してもよいのではないかと思い、提案する次第です。--ゴーヤーズ会話2020年1月1日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

分割後の今

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折角門司の歴史に分割したのに、相変わらず大筋は門司区#歴史に記述が残っています。しかも門司の歴史と重複した記述が多く、これでは分割の意味がありません。また、状況を知らない編集者が再び門司区#歴史に加筆をしてしまい内容が中途半端に分散してしまうかもしれません。したがって、一度記述を削除します。門司区#歴史にも記述が必要ということであれば記述するのも構わないと思いますがもうちょっと簡潔にすべきだと感じます。--133.163.14.169 2020年1月24日 (金) 06:52 (UTC)[返信]

  • コメント もともとWikipedia:サマリースタイルに従うというのが分割の趣旨であり、全部削除してしまうのは、同ガイドラインに「子記事へのリンクしかない節や定義の箇条書きの項は作らないようにしてください。」などとあるのにも反してしまうと思います。英語版の都市記事でen:History of New York Cityen:History of Washington, D.C.がありつつもen:New York Cityen:Washington, D.C.の歴史節には相当量の記載があり、同様のイメージを持っていました。今回の分割に際しては、短い作業時間で、とりあえず枝葉を切り落としてサマリーを作っただけであり、長すぎるということであれば更に短縮化を図りたいと思いますし、そのつもりもありましたが、まず出発点を全部削除に置くというのは行き過ぎではないでしょうか。--ゴーヤーズ会話2020年1月25日 (土) 01:05 (UTC)[返信]
    • コメント 横から拝見しておりましたが、正直なところゴーヤーズさんが残されておられた『サマリー』は少々冗長ではないかという思いがあり、もっと整理できないかという思いでおりました。IP氏の試みた全削除はやり過ぎだと思いますが、過去の版でいえば、少なくとも「縄文・弥生時代」から「明治時代」までぐらいは(少々極端ですが)2-3センテンスにまとめられないかという感覚でおります。サマリーにしても、重きを置くべきは「戦後」以降(すなわち、門司市から北九州市門司区に至る過程より後)ではないかと考えますが、いかがでしょうか。--Bsx会話2020年1月25日 (土) 03:19 (UTC)[返信]
      • コメント Bsxさんの分量感は分かりました。私も編集していただいた分量から大きく増やすことはしないつもりです。ただ、例えば源平合戦との縁、旧小倉藩領であったことなど、現在の門司を理解する上で重要なポイントはいくつかあると思いますので、その点を付加する一方で、戦後に関する文章はもう少し要約して洗練させることができると思いますので、今後、編集していきたいと思います(少し期間を要するかもしれませんが)。あとは個別の編集を通じて長期的にバランス感を達成していければよいのではないでしょうか。--ゴーヤーズ会話2020年1月25日 (土) 05:25 (UTC)[返信]