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ノート:長野新幹線

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確か、交流電力の50Hz・60Hzの境は長野県の場合、長野駅より先であったと思いましたが。違いましたっけ。本来は長野県内は50Hzで十分であるが、延長出来るように早くから慣らす意図があったような気がしたのですが。220.144.142.246 15:40 2004年1月12日 (UTC)

長野新幹線の交交セクション(50/60Hz)は軽井沢~佐久平間にあります。あさまの項を参照されたし。Mari 16:37 2004年1月12日 (UTC)
Mariさん。ありがとうございます。しかし、それならば地上設備の話であるのでこちらないしは、北陸新幹線に記載すべきかと思いますが。また、質問の意図としては、「長野県内は50Hzで(十分で)ある」ということも含んでいますので。よろしければその辺のことも御願い致します。220.144.137.236 02:00 2004年1月13日 (UTC)

佐久駅(仮称)の件について

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1982年には北陸新幹線の基本ルートが決定した時点で佐久駅(仮称)の設置が決定しており、(佐久市の「佐久駅周辺土地区画整理事業」によると、翌1983年3月には「北陸新幹線佐久駅周辺整備計画に関する調査報告書」がまとまるとの記述もあるにもかかわらず、1991年にミニ新幹線からフル規格へ再度変更された際に初めて現佐久平駅を通る(小諸市内を通らない)ルートが採用されたかのような文章に改変するのはいかがなものか。Cho-ji 2007年3月8日 (木) 00:16 (UTC)[返信]

状況証拠からの推測に過ぎませんが、ミニ新幹線方式を採用するとなった時点で、佐久駅(仮称)設置は一旦白紙に戻ったのではないでしょうか。ミニ新幹線となれば、それは在来信越本線の改軌、高速化改良ということですから、信越本線のルートから外れている佐久市には、当然のことながら「新幹線」の停車駅は設置できないことになります。軽井沢以西にもフル規格新幹線を採用するとなった段階で、再び当初の基本計画ルートに戻ったと見るのが、適当ではないかと思います。--Kone 2007年3月8日 (木) 01:29 (UTC)[返信]
整備新幹線におけるミニ新幹線やスーパー特急方式は全幹法による「暫定整備計画」により整備するもので、基本ルート自体が白紙に戻ったわけではないことに注意([1]参照)。2007年3月5日 (月) 09:46の版では、1982年の基本ルート決定を意図的に省き、1991年のフル規格化の際に初めて小諸市内を迂回し佐久駅を通す現行ルートが基本ルートとして決定されたかのような誤解を与える文章となっている。Cho-ji 2007年3月8日 (木) 08:13 (UTC)[返信]