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ノート:長慶院法皇の最後

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参考文献について

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このページの参考文献については、既に絶版になっている図書ばかりで、市販されておらず、宣伝広告活動のような記事との指摘は当たっていないと思います。しかし、数が多いのであれば、このページに無関係な文献は削除します。

このページのカテゴリーを「日本の歴史」に入れたのは不適切でした。「日本の宗教」「神秘学」に改めたいと思います。--超世志 2008年12月5日 (金) 00:30 (UTC)[返信]

たった20行かそこらの本文に13冊もの著作提示がある、というのが非常に違和感がありました。購入購読を薦めるための広告ではなく、三浦芳聖がどれほど偉大な人物であるか、どれほどたくさんの著作を記した人物であるか、といういち日本史研究家個人の業績宣伝ではないかと思えました。それほど多数の文書に散逸するほどの膨大な資料を必要とする内容とも思われませんし、神風串呂関連文書が多数列記されているにも関わらず本文中には一切触れられておらず、単に三浦芳聖の著作または主義主張を宣伝するための著作列記ではないかと考えました。
内容についても非常に短い文章であり、記事の主題である筈の長慶院法皇の最後など二の次で、三浦芳聖の西山探索の苦労と霊感による発見が主題であり、本来語られるべき内容について「長慶院法皇最後の様子については、これといった古文書があるわけではない」と本文中で語られていること(既に長慶天皇#陵墓・霊廟・遺物で臨時陵墓調査委員会などと共に語られており内容重複)から、そもそも三浦芳聖記事内の一節で扱うべき内容ではないでしょうか。提示されておられる著作・参考文献の殆ども重複しており別記事として存在・広く加筆修正を求めるような内容になっていない・今後も他者の加筆に依る成長が見込めないように思われます。--凪海(Nami)会話 / 投稿記録2008年12月5日 (金) 00:59 (UTC)[返信]

記事を育てる見込みについて

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「長慶院法皇の最後」について、いろいろご指摘を頂き有難うございます。参考文献についてのご指摘は理解しました。

最初に、下記のような内容を投稿しましたが、「歴史」のカテゴリーに入れたのは不適切だと思いましたので、削除しました。

また、上記の『勅語信仰の体験』には、弘前市の西南三里の紙漉沢の五所という山(ここは長慶天皇の御陵参考地)から、この山に「○○天皇」の神霊が、やって来たと書かれてあります。皇室に対する不敬罪が罷り通る時代でしたので、伏字で書かれてありますが、前後の関係から明らかに「長慶天皇の神霊が降臨した」ことを記しています。

これは「霊界物語」になってしまうので、『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』には出ていませんが、三浦芳聖著『日本歴史の誤謬を正す』には、三浦芳聖が神霊に導かれて西山を発見したときに、当時の有様を天然色の映像で見せられたと書いてあります。その様子を略記しますと、

長慶院法皇一行が駐留していた城山が燃える様子。長慶院法皇ご一行が赤松氏の差し遣わした覆面の武士多数に襲撃されて、僧衣の姿をした、四条前内大臣、二条前関白、洞院実世、中院中将、門脇中納言等が次々と戦死する様子。長慶院法皇また傷つきたまい、強力(ごうりき)に身をやつした河野左衛門尉が、ぐったりとなった長慶院法皇を背負って逃げていく様子。

河野左衛門尉は、敵の目を逃れて、この西山に隠れ介抱したが、長慶院法皇の傷は思いのほか深く「このことを松良天皇に告げ奉りて、たとえ百代かかるとも後醍醐天皇の聖志を奉戴して、まつろわざる者どもを打ち平らげて・・・」と河野左衛門尉にご遺言を托して崩御された様子。

河野左衛門尉が近所の農家から鍬を借りてきて、雑木の密集して生い茂っている中へ長慶院法皇の玉骸を埋蔵し、松良天皇に注進するためこの山を去る様子。

次には、覆面の武士多数がこの山に入り来たって、土の香新しき法皇の埋まっている所を掘り返し、み骸を確かめて何やらを持ち出し、再びみ骸を埋めなおす様子。

このような内容が記載されています。21世紀はスピリチュアリズムの波が盛んになって来た時代と言われています。霊界物語といえど、参考に出来る資料はどんどん取り入れていったらよいのではないでしょうか。


近藤千雄著『古武士霊は語る―実録・幽顕問答』が、潮文社から発行されていますが、本の内容は「稀有の霊異実録。数百年前に無念の割腹自殺を遂げた武士が、ある家の若主人に憑依して、その宿願を果たす生々しい記録。霊の実在と人間の執念のすごさを物語って余りある貴重な実録である。」という説明書きが付いています。

心霊主義といいますか、そういう世界を「長慶院法皇の最後」で書いてみたいと思っていますので、長い目で見守ってください。 カテゴリーを「神秘主義」「日本の宗教」にしたのもそのためです。 --超世志 2008年12月5日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

ええとですね。もう一度Wikipedia:独自研究は載せないをお読み下さい。「伏字で書かれてありますが、前後の関係から明らかに」というのが既にもう鈴木超世志さんの推測なんです。この場合、明らかと思ったのは鈴木超世志さんであって筆者ではありませんよね? 「伏字で書かれてありますが、前後の関係から(推察すると)明らかに」、という意味で仰っておられますでしょう?
で、もうひとつ誤解があるのですが、「長慶院法皇の最後」という記事名ですと内容が長慶天皇の最後に関わるものかという印象を与えますが、内容についての主題というのは長慶天皇ではなく三浦芳聖の著作に記された体験談を主題にしているようにしか考えられません。つまり、この記事の親記事に値する記事というのは長慶天皇ではなく三浦芳聖である、ということです。さまざまな資料や歴史的見地から長慶院法皇の最後に関する記事を執筆しようとしておられるのではなく、記事中に「長慶院法皇最後の様子については、これといった古文書があるわけではないが、この地で崩御した様子については『日本歴史の誤謬を正す』第八章11頁に詳しく出ている」と記述しておられることから、主題は三浦芳聖の体験談及び著作紹介なわけです。その上で、内容そのものについても三浦家古記事と三浦芳聖の体験談概要に終始しており、単独記事としてこの記事がある意味は薄い、ということを言っています。
また、私は「霊界物語」を絶対に書くな、などと一言も申し上げておりません。ユリ・ゲラー御船千鶴子のように超能力者の記事でも公式方針を満たせばWikipediaの記事として記載可能でございます。但し、鈴木超世志さんの仰る「霊界物語といえど、参考に出来る資料」ですが、要するに『日本歴史の誤謬を正す』内に記載されている、三浦芳聖の見た夢か現か判らぬ情景という個人的体験談(いち個人がある日見た夢)なわけです。これがどのような資料を以てしても覆されることのない間違いのない事実であるという証明は不可能でしょう?ですので、論拠として個人のある日見た夢が記載された著作に拘り続ける限り記事として単独で立項出来る可能性はない(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に抵触)、と申し上げております。ただ、Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいに従い、「三浦芳聖の著作中に出てくる個人的体験談の紹介」として三浦芳聖の記事中に記述を残す方が適切ではないかと思います。--凪海(Nami)会話 / 投稿記録2008年12月5日 (金) 11:26 (UTC)[返信]


上記の件、理解しました。凪海さんのおっしゃるようにさせて頂きます。熱心にご指導いただき感謝します。 --超世志 2008年12月5日 (金) 11:41 (UTC)[返信]

統合提案

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上記について合意を頂けたもの、と解釈しましたのでこの提案を。要約欄に当該記事削除の旨お書きになっておられますが、自費出版書籍と言えどもきちんと出典のある記述で、せっかく時間を掛けて書かれたものですし削除というのも勿体ないので概要節のみ三浦芳聖に統合で良いかと思います。主執筆者が鈴木超世志さんしかおられず、私もwikifyしたのみですのでこのまま記述転記の後にこちらを{{即時削除}}でも良いですし、Wikipedia:ページの分割と統合に従って履歴統合しても良いのですが、もし統合に慣れておられないのでしたら当方で統合を代理しても良いのですが鈴木超世志さんとしては当該記事の今後はどのようにお考えでしょうか?主執筆者であられる鈴木超世志さんが明確に削除したい、ということでしたら記事内容を全て抹消した上で{{即時削除|初版作成者依頼}}と明記して頂くか、Wikipedia:削除依頼に提出することで記事は完全に削除されますが、統合することで記事内容を残したいということであれば三浦芳聖の方へ記事内容を移動することが可能です。私は記事内容を残しても良いと思っております。お時間のあるときにでもお答え頂けると幸いに存じます。--凪海(Nami)会話 / 投稿記録2008年12月7日 (日) 14:00 (UTC)[返信]

凪海さん

いろいろお世話をお掛けしました。即時削除の提案でこのページを閉じたいと思います。 --超世志 2008年12月8日 (月) 00:28 (UTC)[返信]

理由不備で他者に剥がされてしまいましたので再度代理貼付しておきました。Wikipedia:削除の方針#ケース F: 投稿者本人から依頼がある場合に準拠するかと思いますので即時削除対応して頂けると思うのですが、即時削除対応が出来なかった場合はWikipedia:削除依頼に提出することで1週間程度の審議を経て削除に至ることが出来ます。依頼提出の方法が3ページに削除依頼を記述せねばならない初心者向けの方法ではないので、もし即時削除に至らず、削除依頼提出の方法が判らなければ当方にて代理提出可能ですので気軽に仰って下さい。長々と議論のお相手ありがとうございました。--凪海(Nami)会話 / 投稿記録2008年12月8日 (月) 00:44 (UTC)[返信]