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ノート:鈴鹿工業高等専門学校

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表現の客観性について

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過去に本文に書かれ、その後削除されたものを抜書きしておきます。(強調部分が表現への意見です)

メディアには報道されないものの県内ナンバー・スクール(って何?大多数の県民が県内ナンバー・スクールと聞いて意味がわかるほど一般的な用語なのか?鈴鹿高専周辺でしか通じない用語じゃないの?)に比べ決して引けをとらないレベルとなっている。(←報道などで、客観化あるいはオーソライズされていない事をこのように書くと、鈴鹿高専卒業生は賢いんだって自己主張しているような誤解を招く。だから、このような不遜な表現を避けるべきではないか!)

国立高等専門学校の第1期開設校であり、入試選抜時における難易度(学力偏差値)が比較的高い水準にあることでも知られている(←これを書いたのは、在校生か?ちょっと不遜な態度ではないか!)

メディアには報道されないものの県内ナンバー・スクール(に比べ決して引けをとらないレベルとなっている(←客観的表現に!鈴鹿高専が立派な学校であることはわかるが、このような主観的表現では、思い上がっているように解せられる。在校生が記述するのであれば、もっと謙虚に客観的表現をもちいたらどうか?)

国立高等専門学校の第1期開設校であり、入試選抜時における難易度(学力偏差値)が比較的高い水準にあることでも知られている(←「鈴鹿高専が優秀だ!」ってことは、よくわかるが、このような表現では、思い上がっているように読めるよ。もっと謙虚に表現したら?)

メディアには報道されないものの県内ナンバー・スクール(に比べ決して引けをとらないレベルとなっている(←鈴鹿高専は三重県の多数の方々から良い評価がなされていることは事実である。しかし、このような表現は、皆さんから鈴鹿高専に頂いている暖かい評価を打ち消すような思い上がった表現ではないだろうか。もっと謙虚に表現ができないのだろうか?つまり、優秀だって表現が強すぎるってこと。)

以降表現の客観性に関しての(まあそれに限らず、ですが)意見は本文ではなくノートに書くのが妥当かと思います。