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ノート:鈴木重兼

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『信長の野望』における鈴木重兼・義兼について

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『信長の野望』に関するウェブサイトによると、『信長の野望・天翔記』(1994年発売)には「鈴木義兼」が登場しており重兼は未登場([1])、その後の『将星録』『烈風伝』には義兼・重兼ともに登場せず、『信長の野望・嵐世記』(2001年)になると義兼に代わり重兼が登場したようです([2])。後の作品では『天翔記』に重兼がいた扱いになっており、その時のものとして顔画像が提示されています(「鈴木重兼」での画像検索等参照)。元々義兼だった登場人物が(故意にか誤ってか)重兼に改名されたものと推測されますが、この顔画像が義兼のものであることを出典と共に示せればその方向から記事を編集できると思いますので、『天翔記』に関する書籍等に当たれる方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。--YasuminB会話2023年1月25日 (水) 02:12 (UTC)[返信]

『信長の野望 武将大名鑑』(2013年)のkindle版にて『天翔記』の鈴木義兼の顔グラフィックを確認しました。PC版『創造 戦国立志伝』『新生PK』の武将名鑑も確認済みで(『大志PK』では過去作の顔グラは閲覧できない)、そちらで見られる『天翔記』時点の重兼の顔グラとされるものと『天翔記』における義兼の顔グラが同一であることが確かめられました。--YasuminB会話2024年12月5日 (木) 09:10 (UTC)[返信]

統合提案

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本記事を「鈴木義兼」に統合することを提案します。前節で述べた通り、鈴木重兼の初出とみられる『信長の野望』シリーズにおいて、重兼以前に登場していた鈴木義兼と重兼が同一人物として扱われていること、及びゲームキャラとしての鈴木重兼には単独立項するだけの特筆性がないと思われることが理由です。

統合後は義兼の記事であることを考慮して、ゲームにおける鈴木重兼の説明は大幅に簡略化する予定です(『蒼天録』以降のタイトルの省略や能力値の話の削減、『戦国大戦』のイラスト担当者について削るなど)。統合の是非や統合後の記事についてなど、ご意見をお寄せください。--YasuminB会話2024年12月5日 (木) 09:26 (UTC)[返信]

原則として戦国武将の記述でゲームやアニメ等のキャラクターに触れることは無いため、二階堂盛義のように関連項目として『信長の野望』シリーズにて顔グラフィックの同一性に触れたうえで「一部作品では鈴木重兼として登場する」程度の記述で良いように思います。(ガイドラインとしてはWikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連#現実世界の観点に立って記述する あたりでしょうか)--RB20P会話2024年12月6日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
コメント・情報ありがとうございます。現状「関連作品」節を設置して以下の文章を入れる形で考えています。
(以下、上記末尾に{{Efn}}で追加)
「鈴木重兼」は『信長の野望』シリーズの他、『戦国大戦』にも登場している[4]。初登場は2011年稼働[5]のVer 1.1[4]

脚注

  1. ^ a b c d コーエーテクモゲームス出版部; 加山竜司 編『信長の野望 武将大名鑑』コーエーテクモゲームス、2013年、4–7、136頁。ISBN 978-4-7758-0872-6 
  2. ^ コーエーテクモゲームス信長の野望・創造 戦国立志伝』(Windows(ver1.0.8.2))、2016年3月24日、シーン: 武将名鑑。 
  3. ^ コーエーテクモゲームス『信長の野望・新生 with パワーアップキット』(Windows(ver1.1.5))、2023年7月20日、シーン: 武将名鑑。 
  4. ^ a b 本願寺”. 『戦国大戦 1477-1615 日ノ本 一統への軍記』公式ホームページ. カード紹介. セガ・インタラクティブ. 2024年12月5日閲覧。
  5. ^ Ver 1.10(2011.07.21バージョンアップ)”. 戦国大戦界. 開発虎口攻め〜バージョンアップ談義〜. エンターブレイン. 2011年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月5日閲覧。
記事中で義兼と重兼を同一人物とするのは独自研究に当たる可能性があるため避けています。『信長の野望』内の義兼・重兼の生没年や鈴木重秀の兄という設定については、(『創造』以降の重兼を除いて)私の方で確認できていないため入れていません。これについては記述を最小限に抑えるため元々ない方がいいかもしれませんが。『戦国大戦』の「重兼」については「義兼」ではないですし、あくまでも付加的な形で扱いたいと思います(記述自体なくてもいいというご意見もあるかもしれませんが、こういう形でなら許されるのではないかと)。--YasuminB会話) 2024年12月6日 (金) 10:49 (UTC) 『蒼天録』→『嵐世記』に訂正。--YasuminB会話2024年12月12日 (木) 21:00 (UTC)[返信]
簡潔でとても良いと思います。表現方法など、こちらも勉強になりました。--RB20P会話2024年12月6日 (金) 12:26 (UTC)[返信]

チェック 提案開始から1週間経ち、反対意見がありませんでしたので統合を行いました。--YasuminB会話2024年12月12日 (木) 20:48 (UTC)[返信]

 追記 『蒼天録』『嵐世記』以降の鈴木重兼が鈴木重秀の兄という設定について、『天翔記』の義兼にも同じことが言えるのか、言えるのであればそれも記事に盛り込みたいと思い、提案開始以降に『信長の野望 天翔記 武将ファイル』(光栄、1995年)を手に入れて見てみました。結果、義兼については「鈴木佐大夫の子」と断定的に書かれているのに対し、重秀の方は「佐大夫の子か」と曖昧な書き方で、『天翔記』の義兼と重秀が兄弟関係であるかどうかは明確になっていませんでした(226–227頁、それぞれの「コメント」〈後の「列伝」に相当か〉より)。生年は義兼が1547年、重秀が1552年となっているため、父が同じと確定していれば義兼=重秀の兄と書けましたが……。私の他にもこの辺りのことを気にする方がいるかもしれないので、ここに書き残させていただきます。--YasuminB会話) 2024年12月12日 (木) 20:53 (UTC) 修正。--YasuminB会話2024年12月12日 (木) 21:00 (UTC)[返信]