ノート:金嬉老事件
詳細を記述される方へ
[編集]編集ご苦労様です。この事件について深い見識をお持ちのことと思います。詳細1を拝読しました。ドキュメンタリー小説としては面白いのですが、百科事典としては、論評、個人の印象等が含まれているように思われます。事実のみ記載をお願いします。「Wikipedia:ガイドブック 編集方針#どんなことを書けばいいか・書かない方がいいか」や、「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」などをお読みいただいて、よりよい生地にしていっていただきたいと思います。必要であれば節をたてて記述することも、よりよい記事編集には有益だと思います。なお、数値は半角で記述してください。また、個人的メッセージ(「~ご紹介します」)は、記事本文には記載しないでください。よろしくお願いします。--いぬだ・わん 2006年2月11日 (土) 10:07 (UTC)
保護期間が長過ぎる
[編集]1年半をゆうに超して保護は長すぎだろう。ノートでの議論も無し。編集合戦はとうに収束してると思われるので保護解除申請してきます。--Saintjust 2007年10月23日 (火) 03:35 (UTC)
解除後は、とりあえずカテゴリをCategory:在日コリアンの事件に変更。--Saintjust 2007年10月23日 (火) 03:41 (UTC)
- 26日に解除されました。--Saintjust 2007年10月27日 (土) 16:27 (UTC)
Request to Japanese speakers
[編集]Today I created an article of 'Kwon Hyi-ro' in Korean Wikipedia. If there's someone who can understand Korean, please come to ko.wp and help expand that page. Also, if ko.wp can help some, you may add more informations in 'this' page. Thank you. Pudmaker 2009年5月30日 (土) 18:51 (UTC)
金嬉老事件とは何か。金の悪さばかりを主張したいあなたへ。
[編集]金が酷い奴であることを強調し、差別問題ではないと主張したい人がいる。 その人に訊ねたい。
事件をウィキに書く意味って何だろう? これを読む多くの日本語ユーザーにとって、 大事なポイントは何だろう?
この事件は、金が民族差別を訴えたこと抜きには語れない。 日経新聞では https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1900H_Z10C12A2CC1000/ 「在日韓国朝鮮人差別への怒りを、マスコミを通じて訴え反響を呼んだ。」と書いている。 単純な事実関係の後ろに、わざわざこれを書くのは、 そういう事件として有名だからだ。 もちろん、この事件がその後の反差別運動にプラスに働こうが、 金が二人もの人間を殺し、13人もの人間を猟銃で脅して監禁した犯罪者であることには変わりはない。 ただ、だからといって、そちらばかり強調して、 社会に与えた影響、この事件が語られる切り口を「すり替え」と切って捨ててよいのだろうか。 金がどのような人間であれ、そのように事件は語られるのだから。
例えば http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022002000254.html https://www.asahi.com/articles/ASL2M4JXFL2MUTPB00N.html といった切り口での記事が、50年も経っているのに書かれる。 文春でも http://bunshun.jp/articles/-/6272 では、「彼の主張を支持する文化人グループ」が存在したことを明記している。 ただの殺人・立てこもり犯でこのような「文化人グループ」が出来るだろうか? これは、「文化人グループ」が正しい、正しくないの話ではない。 事実として差別はあり、それゆえに社会へインパクトを与え、「文化人グループ」が支持をした。 そううい事実があったというだけ。
私が最初この記事を見たとき、 記事の引用で「皆差別されてた」という親族の言葉は削られていた。 元記事は既にないのだが、それを引いたコラムがある。 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/weather_vane/article/407391/ (親族が言うには)「当時、在日はみんな差別された。金嬉老は殺人を民族問題にすり替え、社会がそれを利用した」 「他の在日は差別されても事件を起こさず耐えていたのに」という含意が見えなくなる。 親族もじっと耐え忍んでいた人なのだろう。怒りも倍増しよう。 そこを削るのは妥当なのだろうか? 事件(社会にどのように受け止められたか)の理解に必要な時代背景というものもわからなくなるのではないか? 多くの差別を耐え忍ぶ在日の姿も見えなくなる。
金を扱ったNHKのドキュメンタリーによれば、 彼は人を殺して死刑を覚悟したので、それでどうせ死ぬのならと民族差別を訴えたということだ。 それが真実かはわからないが、一定の合理性はあり、事実ではないという証拠もない。 にもかかわらず、警察に謝罪を要求した元の事件との時間的間隔を強調し、 「すり替え」という価値判断の入った言葉を使う。 金の動機を書き手の価値感で推し量り、それをそのまま書いている。 ただの言葉尻ではなく、項目名を「差別問題」から「すり替え」に変えてしまう。 「差別問題」として脚光を浴びてるのにもかかわらず。 金がすり替えようとしたという見方もあるだろうが、 あなたの推測する彼の動機など、項目にするようなものだろうか。 金の真実の動機の記述は回避するか、両論併記的にさらっと書くにとどめ、 社会に差別問題として受け止められた事実を中心に書くべきではないのか?
さらに、問題なのは、 彼が獄中で特別待遇を受けていた理由について 「人権団体の圧力」などという根も葉もないことをかいていることだ。 国会答弁によれば、自殺されたら困るということで、次々要求を受け入れただけであって、 何らかの圧力があったわけではないし、他の文献でもそうだ。 出典とされる本にも、人権団体の圧力などとはかかれていない。 元看守が、何の根拠もなしに書いただけの部分にもかかわらず、そこにすらかかれていないのだ。 なぜ、このような嘘まで書くのか? (女囚房にいたのは事実だが、暴力団との軋轢が予想された為だし、 出典とされる本は、元看守が書いたものだが、 金に関する部分は、取材にも直接体験にも参考文献にも基づいていない。 ハーレムというのは疑わしい。)
先の親族の言葉も、あなたのウィキの記述では、 「それを利用した人たちが日本にいた」とゆがめられている。 記事にある「社会がそれを利用した」は、社会全体の空気感のようなものを感じるが、 「それを利用した人たち」と言うと、特定の組織なりが 何かの目的を持って差別問題としてクローズアップしたように読み取れる。 これは中立的な事実か?
1人の犯罪者が、殺人を犯し、逃走し、人質をとって旅館に立てこもり、民族差別を訴え、それが日本社会にインパクトを与えた。 それだけのシンプルな話なのに、なぜ金の悪いところばかり強調し、 差別があったことを隠し、まるでためにする運動であるかのように書くのか? シンプルになるべく中立的に事実を書こうよ。