ノート:金井静山
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著作権侵害の可能性について
[編集]出典とされている「増山雅人『将棋駒の世界 : カラー版』」を入手し調査したところ文章の微妙な修正や二つの文章を一つにするような箇所はあるものの、ベースにした文章があからさまにわかる状態となっています。「」「影の作者」を「影武者」、「手伝っていた」を「指導&手ほどき」のように稚拙な言葉に置き換えただけの文章があることが確認できます。著作者がHPでほぼ同じ内容の文章を公開しております[1]。ここまで手を加えれば問題ないのか、私としては判断できかねますので調査お願いいたします。--Naga-r-juna(会話) 2020年8月4日 (火) 12:52 (UTC)
- Wikipedia:著作権問題調査依頼を拝見し、増山雅人著『将棋駒の世界 カラー版』を確認いたしました。
記事の文章 | 出典の文章 | 出典頁 |
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「東京・芝大門生まれ」で始まる二文 | 1904年、静山は東京の芝大門に蔵を三棟も構える、大きな質屋・金井庄兵衛の長男として生まれる。病弱ながら、裕福で何不自由ない家庭で育ったが、震災、戦災で三度焼け出される。 | 128頁 |
「上野桜木町で」で始まる一文 | その後、上野桜木町に移り父親の骨董屋を手伝っていたとき、近くに住んでいた龍山(初代の豊島太郎吉)のすすめで、駒を作るようになる。 | 128頁 |
「1940年」で始まる二文 | 龍山親子が相次いで亡くなり、龍山の駒作り工房は閉じられた。しかし、残された駒木地はたくさんあり、お客からの注文もあったので、二代・龍山の未亡人の依頼で、静山は引き続き駒を作った。それらの駒は龍山の駒銘だったので、通称「龍山静山」の駒といわれ、影の作者の駒として世に知られている。 | 128頁 |
- 他も似たような感じで、確かに文の流れがほぼ同じなのは気になるものの、私としては、ここまで変わっていれば著作権侵害とするのは厳しいのではないかと思いますが、専門家ではありませんのでご参考までに。--Semiprecious stone(会話) 2020年8月13日 (木) 14:29 (UTC)
- コメント 掲載期間6か月が経過していますので、1週間の確認期間を経て、Wikipedia:著作権問題調査依頼での掲載からは外れます。ただし、今後も必要に応じて議論を継続することを妨げるものではありません。--郊外生活(会話) 2021年2月16日 (火) 07:03 (UTC)
書籍に直接あたったわけではありませんが、「静山は、いかに書体に忠実な駒を作るかに腐心していた。影水を独創的駒師の旗手とすれば、静山は忠実的な駒師の筆頭といえる。」の記述は1996年発行の『駒のささやき』をほんのわずかだけ改変した記述のようです[2]。--Tiyoringo(会話) 2022年9月12日 (月) 11:17 (UTC)