ノート:野村一里塚
『亀山市の文化財』1976年版
[編集]『亀山市の文化財』亀山市教育委員会、1976年版
という記載がありましたが、このような書籍は見当たりません。昭和51年10月10日に亀山市教育委員会が発行した『亀山の文化財』ならあり、14ページにそれらしい記述がありましたので、誤記であると判断し、2024-10-18T12:00:10Z時点における版で修正しました。「説明版」も「説明板」の誤記だと思いますけれど、この記載自体に疑問がありますので、そのままにしてあります(後述)。 『亀山の文化財』1976年と、『亀山市の文化財』1988年は、旧版・新版の関係ではあるのだろうと思います。昭和63年2月20日に亀山市教育委員会が発行した『亀山市の文化財』には、111ページの次のページに「あとがき」が掲載されており、
「亀山の文化財」が、昭和51年に刊行されてから10年の歳月が経過しました。—佐野益子
と書かれています。「市」が入った理由は特に書かれていませんが、初版と改訂版の関係ではあるのでしょう。「参考文献」と同様、『亀山の文化財』1976年を『亀山市の文化財』の題名で目録に載せている図書館もありますし、『亀山の文化財』で検索すると『亀山市の文化財』も出てくる館もありますので、現地の感覚ではどちらでもいいことなのかもしれません。ただ、こういう誤記があると文献を見つけられない人もいるでしょう。
題名の件はひとまず措くこととして、1976年版14ページは、1970年代頃に標柱や説明「版」を設置したことの出典として用いられているものです。この解釈は妥当なのでしょうか。1976年版の14ページには野村一里塚について書かれており、文末あたりでは樹勢について述べた後、「近年」標柱や説明板を設置した旨が書かれています。1988年版の野村一里塚のページ(66-67ページ)の記載は樹勢の件までで、標柱や説明板の設置については書かれていません。1976年に出た書籍だけに「近年」と書かれているから「1970年代頃に」としたのでしょうが、これは少々強引だと思います。こういう本はもっと古い文献を見ながら書かれるものです。古文献に「近年」と書いてあったから、1976年版ではそのまま書いただけなのかもしれません。
近現代の動向には、この件以外にも、出典の解釈が妥当なのか、疑問のある記述が複数あります。私がWikipedia:削除依頼/ファイル:Nomura Ichirizuka 1964.jpgに書いたことは、数々の疑問を確認しようとして得た情報のごく一部です。他県から遠隔で確認するのはとても時間がかかりますので、いつになるかわかりませんが、本来確認すべき文献を確認した上で、疑問点は別途まとめたいと思います。--西村崇(会話) 2024年10月22日 (火) 12:00 (UTC)