ノート:重慶爆撃
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注記
[編集]戦略爆撃と無差別爆撃の区別はていねいに願います。良く似ていますが、両者は異なります。それから、世界で始めて、組織的に戦線後方への戦略爆撃を行ったのは、WW1のドイツ軍(ロンドンへの飛行船空襲とかね、重慶がエポックとなっているのは認めるが)。犠牲者数については確認求む。記憶がかなり曖昧ですまないが、防空壕に関しては、蒋介石が民間人を軽視し、わざと少ししか作らなかったという批判を読んだような気がする(爆撃された経験の少なさもあろうが)。--Los688 2006年4月26日 (水) 16:35 (UTC)
東京に住んでる人は、アメリカ人に水の入ったペットボトルを投げつけてもいいんでしょうかね。--219.66.139.127 2006年4月26日 (水) 17:03 (UTC)
- 確かに中国側に偏った(感情的な)記述が多いように感じられますね。記述内容をより中立化すべきだと思いますが、自分には詳細な知識がないので、とりあえずここで問題提起だけしておきます。--shimoxx 2006年4月26日 (水) 17:36 (UTC)
- ここまで露骨なプロパカンダは、1回削除して書き直すことも考えた方が良さそう。--まるゆ 2006年4月27日 (木) 14:35 (UTC)
- 記事を書き起こした人も、変更加える人も、とりあえずどの研究書、あるいは査読雑誌にしたがってるか書名を挙げて欲しい。でないと独自の研究との違いを判断できない。現状では削除は反対。--219.98.1.119 2006年4月27日 (木) 17:00 (UTC)
- 重慶爆撃は、米内光政が積極的に推し進めたと、、たしか副島隆彦・船井幸雄の共著に出ていたと思うが…--220.217.65.201 2006年9月10日 (日) 01:28 (UTC)
爆撃の効果に関しての記述には出典が必要と思われます。また、ゲルニカには通信施設や司令部施設が存在していました。軍事施設が無かったわけではありません。
- 「また、この空襲に際して日本軍が戦闘機の航続力を遥かに超えるために、爆撃機を護衛することができず、日本軍爆撃機には大きな被害が発生し、後の隼戦闘機、零式艦上戦闘機などの爆撃機並みの航続力をもった戦略戦闘機を開発させる契機になったといわれている。(ただし、開発開始は、重慶爆撃より早い)」
申し訳ありませんが、上記は何を言っているのかわかりません。文章を分けて記載すると意味が通ると思います。
無差別爆撃とか?
[編集]重慶爆撃に使用された日本軍機は九七式重爆撃機、九九式軽爆撃機、九六式陸上攻撃機などで爆弾搭載搭載量1000~500㎏ 1回の攻撃に参加した機体が27~36機程度で平均投下量20トン足らず(218回で4333トン、1回当たり19.9トン) 東京大空襲1回の空襲でアメリカ軍が投下した爆弾1783トン とても日本軍の爆撃規模を都市の無差別爆撃とか言えるレベルではない、単に目標付近を絨毯爆撃しただけ。 日本空襲と重慶爆撃を相殺とか何処にそんな資料にあるんですか? --110.135.223.100 2018年10月4日 (木) 09:25 (UTC)
- 相殺という記載はありませんし、軍事施設だけを狙って「市街にまんぞくな建物はほとんどなく、灰一色の瓦礫の街となっていた(出典4の15ページ)」とはなりません。目標付近に絨毯爆撃をしたのが事実なら、作戦指令書なりを提示して反証すれば良いのでは?--Fukaki 2022年3月31日 (木) 04:14 (UTC)
“文学作品より引用”について
[編集]わざわざ引用してくださった方には申し訳ないですが、重慶爆撃という実際にあった事柄について、フィクションの一節を生のまま引用していいものでしょうか。意図も不明ですし、そもそも資料・史料としての意味がないと思います。削除した方がよいのではないでしょうか。--てら1971 2008年2月25日 (月) 07:00 (UTC)
零戦に関する記述ついて
[編集]爆撃機を長駆護衛できる長距離護衛機、というコンセプトのもとで開発されたのは、 零戦ではなく十三試双発陸上戦闘機、後の月光となる機体です。
が、ここのページでは零戦が長駆侵攻する爆撃機の護衛用に開発された、ということになっております。 この点、不正確なのは明らかなので、記事を訂正してもよろしいでしょうか。
具体的には
「この重慶爆撃に際しては、当時の日本軍戦闘機の航続距離が爆撃機のそれに及ばないため、奥地の重慶まで爆撃機を護衛できず、そのため日本軍爆撃機にかなりの被害が発生した。これが後に爆撃機並みの長い航続距離をもった戦闘機の開発を促す戦訓になったといわれている。その長距離戦闘機が、日本海軍の三菱零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦であった[要出典]。」
この一節を削除したいのです。 零戦の部分を月光に置き換えてもよいのですが、まぁ削除が一番すっきりするでしょう。--219.116.11.114 2009年9月10日 (木) 16:12 (UTC)
- 要出典の示す範囲がどこまでなのかがはっきりしませんが、「その長距離戦闘機~」からの一文であればすぐに除去しても問題はないでしょう。月光について出典があるなら記述を修正してしまえばいいのでしょうけど。--アルトクール 2009年9月10日 (木) 16:21 (UTC)
- とりあえず「その長距離戦闘機~」の文を削除させていただきました。月光については手持ちに確実な資料が無いので、ここから先の追記は控えさせていただきます。まぁ、別に無くてもそれほど違和感はないのでこれでいい気もしますが。--219.116.11.114 2009年9月11日 (金) 15:51 (UTC)
冒頭の「うち4000人」云々
[編集]写真のキャプションからのWikipedia内自己参照だと思いますが、元の情報が判然としませんので一旦もどしました。この場合必要なのは「どの文献に」記載されているのか、の1点です。検証可能性。--大和屋敷 2010年4月18日 (日) 06:24 (UTC)
第二次上海事件等々
[編集]ご存知のことを思いついたまま投稿された(かのような)状態でしたので一旦リバートしました。重慶爆撃との関連性についての説明を投稿されるさいには関連性についてWikipedia読者の役に立つような(百科事典的体裁をもって)叙述ください。また投稿のさいには信頼できる情報源による裏づけ(出典)が必要です。--大和屋敷 2010年7月23日 (金) 08:33 (UTC)
「重慶爆撃の戦史上の位置づけ」の項について
[編集]大半が、本記事と関係のない戦略爆撃の解説となってしまっているため大幅なコメントアウトを実施しました。--ウィッチ 2010年11月17日 (水) 12:38 (UTC)
- 当該箇所の編集に多少参加した者ですが、従前より疑問に思っていましたのでコメントアウトに賛成です。--大和屋敷 2010年11月17日 (水) 17:45 (UTC)
本格的な戦略爆撃機の生産
[編集]「また有効性に疑問があったため4発エンジンの本格的な戦略重爆撃機の生産を遂に行なわなかった(計画のみ)。」とありますが「行わなかった」という表現は生産が可能であったが行わなかったという解釈を与えます。「(技術的理由及び戦況の悪化のため)行うことができなかった」がより正確かと思われます。
写真について
[編集]本記事に掲載されている、「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真、について、遺体や血液と思しきものがはっきりと写されています。こういった画像については、いったん画像を隠して、クリックして開くような配慮が必要だと思いますが、いかがでしょうか。--茨の城の野良猫(会話) 2015年10月13日 (火) 02:33 (UTC)