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ノート:都岐沙羅柵

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念珠関

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最初の段落に、「後の念珠関とも言われる」という加筆がありましたが、都岐沙羅柵の位置は不明というのが現段階の共通認識だと思います。念珠関という説はどこで読んだのでしょうか。[1]によれば、古代鼠ヶ関跡は平安中期以降とあり、近世鼠ヶ関(念珠関)はそこからさらに場所が移ったものです。都岐沙羅柵が現在の新潟県と山形県の境界付近にあったとしても、念珠関そのものではないのでしょう。[2]に念珠関ではないかと書いてありますが、1967年の本です。高橋富雄は立派な歴史学者ですが、史料や発掘調査にもとづかずになされた推定と思われます。本文中にあげた他の推定地とその点では同等で、念珠関だけを特に冒頭にもってくることはないと思います。また、出羽柵を関連項目に入れる必要もないと思います。--Kinori 2007年9月10日 (月) 04:33 (UTC) 書き直し2007年9月10日 (月) 08:21 (UTC)[返信]

秋田港の歴史1から拾いました。http://www.pa.thr.mlit.go.jp/akita/life/history2.htm 説として有るとして、文末に移動していただきても結構です。当方が出羽柵を関連項目に入れる趣旨はその地域の柵として全体像を読者に把握させるためで、都岐沙羅柵を検索で入り、これを読み、出羽柵を知りえないのは情報提供辞典として欠ける事と考えたものです。これに限らず、関連項目はこの趣旨で加筆しています。具体的には都岐沙羅柵を読み、出羽柵を知らずしてWikiを閉じる読者を避けるためです。--125.192.171.108 2007年9月10日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。それは国土交通省の下にあるサイトですね。歴史資料として用いるにはふさわしくありません。元の通り、「現在の新潟県と山形県の境界付近」としておいたほうがいいと思います。それから、出羽柵を知りえないと不完全というのはなぜでしょうか。第一期城柵として渟足、岩磐、都岐沙羅がまとめられることはあっても、出羽柵がそこに含められることは普通ありません。都岐沙羅柵を調べたい人は都岐沙羅柵が調べられればいいのであって、押し売りは変でしょう。より広いことについては本文中からリンクがある城柵に行くべきなのであって、出羽柵だけを特別にとりあげることはないと思います。--Kinori 2007年9月12日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
同意しrevertしました。--125.192.171.108 2007年9月12日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
ご理解くださり、ありがとうございました。--Kinori 2007年9月12日 (水) 12:36 (UTC)[返信]

柵の位置の推測説

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都岐沙羅柵の位置を推測する論考が投稿されましたが、Wikipedia:独自研究は載せないに反するものとして差し戻しました。推測説を載せるのはかまいませんが、その際には、既存の学者の説を、出典付きで載せてください。よろしくお願いします。--Kinori会話2019年9月15日 (日) 00:27 (UTC)[返信]

ふたたび、大川忠秀さんにより大きく加筆されておりますが、これは全体として独自研究にあたり、Wikipedia:独自研究は載せないという方針により、ウィキペディアでは受け入れられないものだと思います。独自の研究は、ウィキペディア以外の媒体で発表してください。--Kinori会話2021年2月2日 (火) 05:29 (UTC)[返信]
私は、大川忠秀さんには9月に利用者‐会話:大川忠秀で独自研究を載せないよう呼びかけました。そのときも、今回も、返事をいただけないまま加筆を続けています。加筆部分を除去します。--Kinori会話2021年2月3日 (水) 16:47 (UTC)[返信]