ノート:部落問題/過去ログ1
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意図的なクローズアップについて
[編集]>(部落にも犯罪者は当然いるし糾弾すればいいが、意図的にクローズアップして差別を煽るのは悪質な差別煽動に他ならない。)
その意見に同意する。219.108.125.244 2003年11月21日 (金) 02:31
ページ名について
[編集]項目として「部落民」を立てることには問題があると思われます。記述の冒頭にあるように、「蔑称」ということをわかっているのなら、なおさらです。「東横線だけ仲間外れ」で、訴訟があるのないの、といって議論をしている方々なら、この「部落民」という項目を立てること自体が、どのような重い意味をもつ行為であるのか、理解されているとは思いますが。219.164.12.189 2003年11月21日 (金) 04:40
- 218.222.69.12 だ。立てた奴がどのような意図かわからんが、軽々しい項目作成への警告の意味で蔑称であることを記載した。しかしながら、そういう事実歴史をもみ消して無いものにする動きにも賛同しないので、白紙化・削除依頼はしなかった。明確に事実を提示して、それが誤りであるということを示すのも大事だと私は考えるが、私個人としてはこの項目をすすんで作成しようとは思わないということも付け加える。218.222.51.29 2003年11月21日 (金) 05:05
微妙な問題だとは思いますが、たとえ蔑称であれ用語として存在する以上、百科事典としては項目を作るべきかと思います。ある言葉が蔑称であるからといって、その項目を作成しないという態度は、蔑称に基づく差別をかえって固定化するのではないかと思うのです。項目を作成した上で、「中立」を旨とするwikipediaの方針からは、差別する側の意見・差別される側の意見や関連する資料を充実させることこそ必要であろうと思います。Falcosapiens 05:11 2003年11月21日 (UTC)
- 記事の発生状況をみる限り、他の言語にあり、日本語にない記事のメモ書きから出発しているようです。気になるのはデリケートな問題であるにもかかわらずこのことに関連するのこと(同和問題)などが記事化されていないことです。まず、基幹となるような記事を作り上げてみてはどうでしょうか。Falcosapiensさんのおっしゃるように、このことに関しての記事を避けることは百科事典としてはすべきではないと思います。0null0 05:27 2003年11月21日 (UTC)
「ノート:支那」のようにというのには反対です。というのも差別に中立はないと思うので差別語を面白可笑しく論じるのはやはり差別だと思うので。でも削除をするのは「言葉狩り」になるのでやめてくれと思います。言葉狩りと言うのは、差別糾弾を認めようとしない立場全体を指していると私は思っています。だから項目を抹消することにも、面白可笑しく論じることにも反対します。Johncapistrano 05:57 2003年11月21日 (UTC)
- 部落民についての記事でない、というのはTomosさんの言われる通りだと思います。内容的には「同和問題」「同和行政」「部落解放運動」などの記事のようなので、これらをまとめてかいた記事の一項目にするのがよいかなと感じます。ノート:支那のどこがおもしろおかしいのか私にはわかりませんでしたが、同和という問題があって、過去にこんな差別があって、こういう運動があって、現在では存在は薄れている、そのなかで部落民などの言葉が使われた、というのであれば十分意味がある記事だと思うのですが。なので私としては削除ではなくて移動を提案します。suisui 07:57 2003年11月21日 (UTC)
面白可笑しくという言い方は、そういう事実があって、だからこそ真面目に考えている者への侮辱であると思わないか?論ずることを否定するべきではない。
触らぬ神に祟り無し・・・と口をつぐんでいれば、頭の中で何を考えていてもヨシとされるのか?
水平社のだれだったかが「エタであることを誇りとする」旨の演説をしたことがあるな。それ自体は逆説なのかも知れないが、そのような立派な態度を取る者を、差別することなど不可能だと思う。218.222.48.156 2003年11月21日 (金) 15:20
- 語気は強いが意味不明です。私は訂正をしているつもりですが、差別する側の一人です。その上で、差別に反対していきたいと思っていますが。出身者の態度がどうかという事であるはずもなく、今も差別が続いていることは念頭に入れていただきたい。Johncapistrano 16:01 2003年11月21日 (UTC)
>今も差別が続いていることは念頭に入れていただきたい。
だから、きちんと論じなければいけないんだよ。 218.222.69.77 2003年11月21日 (金) 17:05
何が面白可笑しいのか僕にもよくわからず、誰が何に反論しているのかわかりづらい部分があるのですが、(署名していない方もいますし)、とりあえず、今一度提案してみます。上に僕が書いたことと同じで、Suisuiさんは僕とほぼ同意見だと思いました。Falcosapiensさんや0null0さんの意見とは、僕がわかる範囲ではそれほど齟齬はないように思います。匿名の方々の意見やJohncapistranoさんの意見とはどの程度一致するのかよくわかりません。
- 被差別部落問題を「とりあげない」それについての「執筆を禁止する」ということはウィキペディアとして不適当。
- (これについては発言した人全員が賛成しているか、反対していないように思います。)
- 蔑称をわざわざ記事名として採用するとしたら、その記事ではその言葉を主題とする。(支那を記事名にするとしたら、中国を主題とするのではなくて、その支那という言葉自体を主題とするように。)
- これについてはJohncapistranoさんが反対のようにも見えますが、意図が汲み取れませんでした。蔑称について中立的な立場から解説することが面白可笑しいという意見なのでしょうか? 他にも匿名の方が面白可笑しいと考えた節がありますが、それも僕にはよくわかりませんでした。 よかったらもう少し説明して頂けると助かります。
- 今ある記述は蔑称自体についての(言葉を主題とした)記述ではなく被差別部落問題一般についての記述なので、蔑称ではない記事名に「ページ名の変更」をするべき。
- 現在の記事名を維持すべき、という意見はないようなのですが、もしかすると、削除と記事名の変更を混同されている方がいるのでしょうか? よくわかりません。。もしも蔑称である今の記事名をこの記事の正式な記事名として採用し続けるべき、という意見の方がいましたらお考えを伺いたいです。
あと、書き込みの際にはできるだけ署名をお願いできますでしょうか? 署名の仕方はこちらに書いてあります。Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする
Tomos 20:12 2003年11月21日 (UTC)
移転+リダイレクトでいいです。差別語を店晒しで論議することには2番目の人の言う通りで違和感があります。だだ消せばいいとも思わなかったので、書かれていることに訂正を入れましたが、差別書き込みをした人に照会をしなかったので丁寧さはたりないかとも思いますが。ただ差別される側の声が差別する側の声と相対化されて「中立だ」というようなことはあり得ないと思うのでウィキペディア自体も配慮が欲しいところですが。そうでないと広汎な参加は見込まれないと思います。他で多数派が正しいというような意見もありましたので。Johncapistrano 10:08 2003年11月23日 (UTC)
- 被差別部落問題を「とりあげない」それについての「執筆を禁止する」ということはウィキペディアとして不適当。
- その通り
- 蔑称をわざわざ記事名として採用するとしたら、その記事ではその言葉を主題とする。
- これは非常に難しい。その言葉だけを単に提示したときに、それを掲げること自体を差別の肯定・支持と取る者が絶対出てくる。
- 今ある記述は蔑称自体についての(言葉を主題とした)記述ではなく被差別部落問題一般についての記述なので、蔑称ではない記事名に「ページ名の変更」をするべき。
- 前記のように、中立的に書くためにはその成立過程などまで触れざるを得ないと思われるが、そのときに項目名からずれを生じるならば変更に異論は無し。219.108.125.226 2003年11月23日 (日) 16:38
- ご意見ありがとうございました。とりあえず記事名を「蔑称」とされる記事名から、「部落問題」に換えておきます。もっと詳しい方が意見を出し合ってより適切な記事名を選んでいただければよりよい、と思いますが、とりあえずの措置ということで。あと、既に述べたように、既に記事は現状として「部落民という蔑称」の説明(言葉・呼称の説明)だけではなく、「被差別部落民という人々」の説明「部落差別問題という社会問題の説明」も含んでいるようなので、移動が適当、と思ったのですが、もし誤解があるようでしたら指摘して下さい。
- それから、よそで「多数派の意見を多数派の意見として紹介する」ということを書いたのは僕ですが、(ノート:パレスチナ問題ですよね?)Wikipedia:中立的な観点にあるように、少数派の意見と多数派の意見とをそれぞれ紹介して判断を読者に委ねることができるのがよい、というのがウィキペディアの方針だと理解しています。 多数派が正しい、という紹介をするわけではないですし、その逆でもないと思います。何となく僕が何かを理解し損ねているような感じですが。。
- また、蔑称を記事名とする記事で、蔑称自体を扱う、という件ですが、そういえば英語版でも類似の問題があったのを思い出しました。「AIDS Kills All Fags Dead」という記事をめぐるかなり大きな論争がありました。(「エイズがホモ野郎を皆殺し」とでも訳せばいいでしょうか。極度に無礼、攻撃的なスローガンの一種です。) 「ノート:支那」で議論していた時には余り考えていませんでしたが、今になってみると、「蔑称は記事名として避けられるなら避ける」というルールがあるのもよいかも知れません。ただ、支那の場合と同じく、何が「蔑称」であるか判断しづらいものがあるわけで、導入すればしたで運用が厄介なルールかも知れませんが。
- ただ、いずれにせよ、「蔑称の存在自体について語ることや、説明することを禁止」というのはウィキペディアの方針にそぐわないように思いますがいかがでしょうか? 中立的な立場からの記述であれば、主題が差別用語の説明でも、存在してよいのではないか、と、僕は思いますし、実際真剣な学術研究の対象になっているはずだとも思うのですが。Tomos 07:13 2003年11月24日 (UTC)
今後の懸念について
[編集]説明を禁止せよとは思いませんが、これまでからも差別書き込みをする人の方が割合的には絶対に多かったので、そうなると実際のところは2chのようにしかならないのではと思います。表面的には消せるけど。差別に中立はありませんよ。研究者が参加するならいいけど、呼んでくる当ては在りますか?Johncapistrano 09:00 2003年11月24日 (UTC)
- 研究者が「糾弾側のプロパガンダの専門家」だったらどうします?専門家が良いとは限りません。真面目な議論とは、良くないとわかっていてもなぜ水面下で差別がなくならないのか?研究でタテマエを語るのは簡単ですが、有る意味では「無教養な差別者」を呼び込んでこないと、見えてこない真実も有るかも知れません。 218.222.55.26 2003年11月24日 (月) 10:06
- 悪意のある書き方ですね。自分で括弧つけてはるけど、糾弾がプロパガンダだとは、共産党の差別煽動を担われてるんでしょうか? 相手したくないんですが。Johncapistrano 10:44 2003年11月24日 (UTC)
- 糾弾つるし上げとかご存知でしょうか?差別について無知であった者が起こしてしまった差別事件に関して、非難と同和学習の強要などの活動など、そのような行き過ぎと感じられる活動に対する反感が、差別を温存する原因になったりするのは理解していますか?それは実際に差別を受ける当事者である方々に取っても逆効果と言えると思います。だからこそ、知らしむべからず、寝た子を起こすなではなく、きちんと議論するべきだと思うのです。「共産党の差別煽動を担われてるんでしょうか?」というようなレッテル貼りは失礼であり卑劣です。差別主義者と同じではありませんか?あなたには、相手していただかなくても結構です。 218.222.55.26 2003年11月24日 (月) 12:53
- 本気で糾弾と吊るし上げを一諸にされているようなので、続けますが、糾弾は本来被差別者が中心に行っているはずです。被差別者が反論するのは当然のこと、無知だというなら知ってもらおうということで学習をということでしょう。どう行き過ぎでしょうか? あなたが差別煽動を担ってないのであれば幸いです。失礼しましたが、「糾弾側のプロパガンダ」「此処にも偏向な人が」などと書かれているのはあなたです。Johncapistrano 13:42 2003年11月24日 (UTC)
- 糾弾つるし上げとかご存知でしょうか?差別について無知であった者が起こしてしまった差別事件に関して、非難と同和学習の強要などの活動など、そのような行き過ぎと感じられる活動に対する反感が、差別を温存する原因になったりするのは理解していますか?それは実際に差別を受ける当事者である方々に取っても逆効果と言えると思います。だからこそ、知らしむべからず、寝た子を起こすなではなく、きちんと議論するべきだと思うのです。「共産党の差別煽動を担われてるんでしょうか?」というようなレッテル貼りは失礼であり卑劣です。差別主義者と同じではありませんか?あなたには、相手していただかなくても結構です。 218.222.55.26 2003年11月24日 (月) 12:53
- 悪意のある書き方ですね。自分で括弧つけてはるけど、糾弾がプロパガンダだとは、共産党の差別煽動を担われてるんでしょうか? 相手したくないんですが。Johncapistrano 10:44 2003年11月24日 (UTC)
- レッテル貼りの差別主義者には相手していただく必要はありません 218.222.55.26 2003年11月24日 (月) 14:03
- この問題については、居住している地域や、生まれ育った地域によって、問題のとらえ方や意識にかなりの違いがあるのではないかと思われます。その点を無視した議論・論争は、不必要な罵倒合戦になるおそれがあるのでは?220.220.119.244 2003年11月28日 (金) 09:17
- そもそも、部落解放運動を行う団体が複数有ってそれぞれが他団体を非難しあっている(いた?・・・今はどうなんだか知らない)状態こそ、実際の被差別被害者をないがしろにしたまま、単なるイデオロギー主張の道具にしている「糾弾側のプロパガンダ」と云いたかったわけ。私はどちらかの運動にも関係ないし、被差別民でもない。ただ、少年時代暮らした地域に実際に部落差別というものが有ったのと同時に、「差別用語」に対する過剰な言葉狩りを放送部に在籍していた立場から注目し続けたためそれなりの知見はある。それらの中では「不当な糾弾」と云えるものも知っている。差別の発生するメカニズムについて議論しようと云うという時に、「他人にレッテルを貼って差別するような者」の存在が誠に良いサンプルとして、そこから何か見えてくるような気がする。218.222.50.155 2003年11月28日 (金) 17:09
- 注目していたのであれば、何がどう「イデオロギー」と思っているのかまで書いていただけないか?おたくが「糾弾側のプロパガンダ」と先に書いたので、私には正当な糾弾まで否定するように受け取れたので、それはおかしい。と思い、実際に差別煽動をしている共産党と、あなたとを主張が同じなので、安易に結び付けてしまいました。が、出身者による糾弾を否定するのならば、やはり同意はできない。Johncapistrano 18:32 2003年11月28日 (UTC)
- 「他人にレッテルを貼って差別するような者」の例↑。「実際に差別煽動をしている共産党と、あなたとを主張が同じなので、安易に結び付けてしまいました。が、出身者による糾弾を否定するのならば、やはり同意はできない。」などと、勝手に人の意見を曲げた上で、それについて非難するのはトンデモ系の人に良くある傾向です。「実際の被差別被害者をないがしろにしたまま、単なるイデオロギー主張の道具にしている」と書いたように、糾弾のプロによって騒ぎが大きくなるだけで、相互理解による今後良い方向への改善ではなく水面下に隠った新たな差別を再生産し続けている(それが無くなると、存在意義が無くなる?)ことは、被差別民にとって役に立たない逆効果という考えを持っています。ところで、繰り返し「共産党の・・・」とレッテル貼りをされているあなたは、もしかして「社会党系団体のなれの果て」ですか?218.222.55.226 2003年11月28日 (金) 22:36
- 注目していたのであれば、何がどう「イデオロギー」と思っているのかまで書いていただけないか?おたくが「糾弾側のプロパガンダ」と先に書いたので、私には正当な糾弾まで否定するように受け取れたので、それはおかしい。と思い、実際に差別煽動をしている共産党と、あなたとを主張が同じなので、安易に結び付けてしまいました。が、出身者による糾弾を否定するのならば、やはり同意はできない。Johncapistrano 18:32 2003年11月28日 (UTC)
あまり口をはさむつもりはないけれど、何らかの強いイデオローグを背景に持った執筆者が、そのイデオローグによるバイアスのかかった記事を書くことは、どんな思想が背景にあるにしても、事典の書き手の行為としては感心できませんね。
あと、どっちもいささか熱くなりすぎです。大人気ないし、痛々しいから、少し頭を冷やしなさい。210.248.227.178 2003年11月29日 (土) 01:24
- 「少し頭を冷やしなさい」に同意。相手の立場や思想・信条などを推測しながら罵倒する前に、みずからの立場と思想・信条のおおまかなところを示してから議論してください。219.167.6.175 2003年11月29日 (土) 04:33
私はどちらでも在りません。ただのカトリックです。ただ共産党が差別煽動を続けているのは事実で、私も以前は「逆差別論」に嵌ってしまったことがあります。そういう経験が在るので、これ以上、そういうものに乗せられたくないだけです。匿名氏が共産党かどうかは問題にしていません。ただ共産党の手法と共通する差別煽動に反対してるだけです。社会党系団体が何をさしているのかは判りませんが、「糾弾のプロ」以降の書き込みは私に対してではなく出身者への中傷に他ならない差別書き込みだと思います。社会党に関しては、差別煽動はしないものの自らへの問いかけが弱すぎ、と思っています。共産党との権力闘争で被爆者運動など甚大な被害を被っているので、両党とも、いい意味に限って、宣伝どうりの活動をしていれば、今頃このような日本の状態にはなっていないと思います。Johncapistrano 07:21 2003年11月29日 (UTC)
- あなたの考えはわかりましたが、過度に自分の思い入れを記事に反映させることだけは避けた方がよろしいと思います。220.97.160.130 2003年11月30日 (日) 05:51
- な~んだ、プロテスタントを弾圧して、近代科学の発達を阻害して、異教徒の地を侵略して虐殺征服したりした、隠れ差別の親玉カソリックの方でしたか(笑)218.222.48.126 2003年12月7日 (日) 13:44
- 匿名で自分の行った事の責任を取らない方よりかは関与したことの責任を認めて向き合う方が大事だと思いますが。相手が何人かも判りませんが。Johncapistrano 14:29 2003年12月7日 (UTC)
最近管理者のノートがらみで、名誉毀損・中傷が問題になっていますが、「共産党の差別煽動を担われてるんでしょうか?」という記述は根拠のない名誉毀損・中傷じゃないのでしょうか?。自分のことを棚に上げて、他の場所で「中傷だから削除」などと正義の味方ぶっていますが、自分の言動に対する反省はないのですか?いまからヤバイと思って消してもダメですよ。「共産党の差別煽動」というものがなんなのか私にはわからないので、既に共産党中央委員会の方にメールして、ここを見て戴きました。私は言論には言論で、平気で中傷をするような人に対しては中傷しても構わないという考えなので、訴訟などということは考えても居ませんが、共産党さんがどのようにお感じになったかは私の知るところではありません。219.108.125.114 2003年12月24日 (水) 05:00
- 私は差別ビラを渡された事があります。もし訴訟で共産党の事務所が捜索されれば原版が出てくるのではないでしょうか? 差別を煽っておいて名誉毀損というのはあり得ない。共産党の部落問題に対する姿勢が変わらない限り、事実を述べて名誉毀損というのは個人に対する弾圧でしかない。共産党が姿勢を180度転換して過去を総括するんであれば、差別煽動しているというのは「していた」にかえうると思いますが。現在ではまだまだのようです。Johncapistrano 05:30 2003年12月24日 (UTC)
- それなら共産党との間で勝手におやりなさい。ネットで見ず知らずの相手(たとえハンドルで書いていようとも同じ事なのだが)に向かって投げかける言葉ではないですよね?云っている意味理解できますか?218.222.48.219 2003年12月24日 (水) 09:03
- 真ん中に割り込みで書かれたので遣り取が切れて見え難いが、「底が見える」とはどういう意図で書いておられるのか分かりませんが。 あちらが先に中傷をされたので、私は質問をしたのがレッテル貼りだと書かれたので、遣り取りをしているとあちらと某党が同じ手法だっただけです。私は差別煽動に反対しているだけです。共産党と争うつもりはありませんが、差別煽動に妥協するつもりもありません。 あなたはどなたですか? Johncapistrano 09:17 2003年12月24日 (UTC)
- それなら共産党との間で勝手におやりなさい。ネットで見ず知らずの相手(たとえハンドルで書いていようとも同じ事なのだが)に向かって投げかける言葉ではないですよね?云っている意味理解できますか?218.222.48.219 2003年12月24日 (水) 09:03
多くの人の疑問に答えられるように大幅に編集させてもらったよ。Wikipediaを見に来る人は「知識」を得るために来るわけだから、主観的な内容ばかりで、この問題が変に誤解されることは好ましくないと思う。ハルマンX 2004年1月23日 (金) 05:12
一部は何度も見た事がある内容でしたが、一部は面白い情報もありますね。見てきたような書き方をされている部分は修正しました。 これは決めつけではなくて質問ですが、匿名氏と同じ方ですか? Johncapistrano 10:08 2004年1月23日 (UTC)
Johncopistrano様 私は匿名氏とは違う第三者です。「見てきたような」と言われていますが、私の住んでいた地区はいわゆる同和地区に隣接していたので、同和政策の実態を目にしましたし、祖父母から昔の状況をよく耳にしました。水平社がいわゆる「部落民」の代名詞として使われていたこと、物乞いがあったことは祖父母から聞いた話です。八鹿高校事件の新聞報道も目にしています。1970年代の同和政策で所得格差が解消し、部落差別は悪いことであるという意識が周囲の住民に浸透し、地区内外の交流(結婚)が増えたというのは、実際に同和地区の方から聞いた話です。一方で、同和地区の学生に対する返還不要の奨学金のような過剰な優遇や、同和対策事業の恒久立法化といったことが当事者からも問題視されていた事実もあります。部落問題については特定の団体のイデオロギーに基づくような偏った情報ばかりが流れている印象がありますので、せめてWikipediaは信頼できる情報を発信してほしいものです。 ハルマンX 2004年1月23日 (金) 11:15
それでは感じ方の大幅な違いのようですね。私は解放同盟や被差別者の団体がイデオロギーで行動しているとは思っていませんので。wikipedia:編集の仕方等をご覧ください。履歴には残りますが、署名等された方がいいかと思います。Johncapistrano 11:45 2004年1月23日 (UTC)
- 私が、その匿名氏ですがね、似たような経験をした方が居るのですね。私自身、そういう見聞があって、差別の事実も指摘した上で、それは良くないと書いているのに、頭の中だけで差別狩りをやっている人は、自分が偏っているのに気付いていないんです。私が書いたのは、変な団体がイデオロギーに基づいて不適切な差別狩りをやることは、実際の差別被害者の方達の為にならない様な、差別の再生産につながると書いたんですが・・・ハハハ
- あと、Johncopistranoさんは、自分自身が差別者だったことを悔い改めて、後半生を差別狩りに邁進されているそうです(笑)でも、他人に差別的発言投げかけちゃいけませんや 218.222.69.209 2004年2月12日 (木) 20:18
匿名での発言者はここがどこか考えていただきたい。2chではありませんよ。
それから、そもそも、この記事、不完全ですね。
部落問題というとき、少なくとも中世までさかのぼる必要があるでしょう。網野史学のブームでそのあたり割と常識になっているはずですよ。また、ケガレ、ツミといった概念も関係があるのではないですか。
それから、差別が解消しているという意見の存在自体は、記載してもいいでしょうが、すべて伝聞ですか? 所得格差の解消とか通婚率の上昇といった情報の典拠を示されたい。
一番わかりやすいのは統計ですね。統計で嘘をつく人もいますが、少なくとも、「私は聞いた」「~という話もある」よりましでしょう。
それがないと、単なる言い合いでしょう。59.129.65.242 2005年3月21日 (月) 08:36
- 『「部落」という言葉それ自体は、ただの「集落」の意味だが、身分差別が成立するに伴って、蔑称の意味も添付されていった。』というと、江戸期あるいはそれ以前に「部落」が別称の意味を持つようになったと読めますが。明治期じゃないのでしょうか?(「特殊部落」の略として)218.219.197.237 2005年9月13日 (火) 02:35
- あ、私もそう思います。恐らく法律語あるいは行政用語として特殊部落の名称が採用された後のことでしょう。「特殊部落」の語の成立過程を調べる必要がありそうですね。--ウミユスリカ 2005年9月13日 (火) 03:19 (UTC)