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ノート:還元主義

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すみません,暴投の定義の後の 「還元主義は疑似科学の一種ともされる[4]。」 についてよく理解できませんでした. 出典の「マイペディア」http://kotobank.jp/word/還元主義 では疑似科学とは書かれていませんが,オンラインではないもので疑似科学と記載されているのでしょうか? 「還元主義は疑似科学の一種とされる」 のではなく 「疑似科学の一種は還元主義を用いることがある」 のほうが正しい表現では無いでしょうか? --Lucky.rt.strike 2009年9月4日 (金) 02:41 (UTC)[返信]

Lucky.rt.strikeさんこんにちは。私の見解では、還元主義という言葉で意味されるものにはかなり幅があるために「還元主義は○○である」というような単純な表現は記事全体にわたって用いない方が望ましいと感じます。もし悪いタイプの還元主義に限ったとしても、だれからも支持されないような誤ったアプローチとして「還元主義」を定義した後で「疑似科学の一種とされる」と言うのは同語反復に近いと思います。実際に、疑似科学が何らかの還元主義を用いることがあるかもしれません。でも正常な科学も(何らかの種類の)還元主義を用いるでしょうし、別の種の疑似科学は非還元的なアプローチを用いるかもしれません(たとえば代替医療の支持者は正常医療を還元主義と批判することがありますよね)。還元主義的だからといって疑似科学と判断できるわけではないですし、疑似科学だからといって必ずしも還元主義と結びついているわけではないでしょうから、その二つの結びつきを特に強調する理由はないと思います。いかがでしょう。--Mo-rin 2009年10月22日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

先日の編集が少し乱暴だったかも知れないと考え、改めてこちらで説明させていただきます。まず私が加筆した部分から

  • 複雑な物事を、それを構成する要素に分解しそれら個別の要素の性質と相互作用を明らかにすることによって、理解しようと試みる手法

これは英語版の冒頭の定義文の意訳です

  • ダニエル・デネットは還元主義を"適切な(良い)還元主義"と「貪欲な(悪い)還元主義」に区別した。

これは『ダーウィンの危険な思想』pp113~です。

  • 科学者が18世紀以降用いてきた方法論で、多くの発見をもたらしてきたのだ

これは成果の節にも「還元主義は、...発展に大きく寄与した。」とありますように、科学者の共通した理解だと思っていましたが、違うのでしょうか。ただしデネットは18世紀以降という数字は挙げておらず、厳密には不正確だったと思います。

次に、私が疑問に思ったのは冒頭の定義文

  • 要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、

の部分です。確かにこのような用法が批判的な文脈では一般的に用いられてきたことは存じております。問題はこれが唯一の正しい意味、用法なのだろうかと言うことです。大辞林、広辞苑ではともに還元主義を1.複雑な物事を単一の基本的なレベルで説明しようという立場 2.科学的知識は直接観測可能な対象に関する命題にのみよって構成されなければならないとする主張と説明しています。またスタンフォード哲学事典の「Reductionism in Biology」では、存在論的還元主義、方法論的還元主義、認識論的還元主義にわけて説明しており、冒頭の定義文のような還元主義は存在論的還元主義に含めることができそうです(議論史の節ではそのような批判的な用法があったことにも触れています)。スタンフォード哲学事典の包括的な解説はわかりやすいと思いますので、それに準じた形で定義文を書き換えようと思うのですがいかがでしょうか。--Mo-rin 2009年4月27日 (月) 04:29 (UTC)[返信]

おそらく分野によっても異なる意味で用いられるのかも知れませんね。私が想定しているのは生物学における還元主義です。また私は目を通したことがないのですが、W.C.Wimsatt "Reduction and reductionism"(1979)とD.Hull"Philosophy of biology"(1974)で生物学における還元主義の功罪が論じられているそうで、デネットの解釈が特に新しいというわけではないようです。--Mo-rin 2009年4月27日 (月) 04:40 (UTC)[返信]

今後揉めそうなところに要出典タグを張りました。いくつかの箇所では同意します。例えば「否定的な論調で扱われることが多くなった」とか。しかし還元主義を批判的な意味で用いている資料はすぐに見つかりますが、肯定的な意味で用いている資料も多く見つかるので(例えばこれとか[1])、還元主義が否定的な意味しか持たないと言う線で記述するのは難しい(NPOV)だろうと思います。それから、還元主義という語の現在的な用法の説明が多いですが、実際にどのように科学的発見に生かされてきたかの記述が不足しているように思います。--Mo-rin 2009年4月28日 (火) 10:06 (UTC)[返信]

用語についての質問

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いくつか質問があるのですが、

還元主義に陥っていることが端的に表れている表現として「.....にすぎない」や「...にしかすぎない」というものがある。 還元主義に関してしばしば問題となるのが、この「~にしかすぎない主義(nothing but ...ism)」 とでも呼んだほうがよいような極端な主張である

還元主義とは「~にしか過ぎない主義と言うべき極端な主張」のことを指すのでしょうか。それとも”に過ぎない主義”は還元主義が陥りやすい罠の一つなのでしょうか。どちらにも解釈できそうなので、ここははっきり区別した方が良さそうに思えます。また「複雑な現象Xは創発の結果に過ぎない」というような「パーツに分解していない”に過ぎない”主義」は還元主義と呼んでも良いのでしょうか。

また要素還元主義という呼称について、生物哲学と心の哲学のテキストをいくつか読んだところではまだ一度も目にしていないのですが、この用語のルーツをご存じの方いらっしゃいませんか。「~に過ぎない主義」の別名のような気がするのですが。--Mo-rin 2009年5月8日 (金) 09:35 (UTC)[返信]

要素還元主義は、ウェブなどではたまに見かけたりしますね。公刊された文献にあるかどうか、いくつかチェックしたのですが、なかなか見つかりません。私の記憶のなかにある用法では、心的な現象を心的な要素に還元し、全体を部分の総和と考えるものだと理解しています。要素に還元する立場であって、心的過程を生理学的過程に還元するかどうかとは別であったような気もしますが、不確かです。よくフッサールやメルロ=ポンティらの現象学やヴェルトハイマーやコフカらのゲシュタルト心理学、カッツらの実験現象学の方向から解説するときに、批判相手のヴントやティチェナーの立場にレッテルを貼ろうと用いられているように思います。ロックらの心的原子論に影響を受けた(たしか)ヴントやティチェナーの立場は、紙の本のなかでは要素主義や連合主義、原子論などと呼ばれており、要素還元主義という用語は見かけませんでした。
The Oxford companion to the mind(ISBN 978-0-19-866124-5)にルリヤがReductionism in psychologyという項目を書いていますが、上の私の記憶とは立場がちょっとずれています。
いまGoogleで検索していたら、こちらで木田元が「要素還元主義」という言い方をしているので、『反哲学史』や『現代の哲学』など木田元の一般向けの本を見れば出てくるのかもしれません(一方、確認しましたが、彼の『メルロ=ポンティの思想』にはないようです)。それらの本のなかで要素還元主義という言葉が出てくるとしたら、木田元のことですので、上で私が記憶していた意味と一致しているだろうと思います。
最近Mo-rinさんのおかげで進化学や認知科学の記事が充実していっており、よいですね。今後もお願いしますね!--Shaz 2009年5月14日 (木) 22:48 (UTC)[返信]
確認しました。生松敬三+木田元『現代哲学の岐路』(講談社学術文庫1237 ISBN 978-4-06-159237-7)では、心的な現象をあまねく感覚という要素的事実に分解し、物理的な刺激と感覚とのあいだに1対1対応を認める立場のことを、要素主義ないし要素還元主義と呼んでいます(pp. 161-162)。ヴィルヘルム・ヴントの名は出していませんが、19世紀の実験心理学がそれに相当するとしていますので、ヴントらの心理学でまちがいないでしょう。『木田元の最終講義』(角川ソフィア文庫 ISBN 978-4-04-408601-5)では、要素還元主義に対して似た説明を与えています(pp. 78-79)。こちらは、ヴントの名を出しています。どちらも簡潔な記述なので、具体的にどのようなものかはよくわかりません。--Shaz 2009年5月16日 (土) 02:10 (UTC)[返信]
Shazさん、どうもありがとうございます。Shazさんが挙げられた人物の議論に関してはさっぱりですので、本文の記述はお任せしたいです。ところでこちらこそ、訳文のチェックなどお世話になっております。感謝感謝です。私の関心は相当偏っていますので、おかしなところはどんどん訂正していただけると助かります。--Mo-rin 2009年5月29日 (金) 05:52 (UTC)[返信]

提案

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関連文献に挙げるのは、それを読むことで還元主義について理解が深まる物だけに絞る方がよいのではないでしょうか。もちろん還元主義に批判的な内容であって構わないと思います。現在掲載されているオンラインで読める二つのpdfファイルを読みましたが、どうも還元主義の批判的用法の例としては役立ちそうですが、方法論、研究プログラム、科学哲学の議論として踏み込んで述べているわけではないように思います。このような例を挙げ出すとたぶんキリがありません。オンラインで読めないテキストについて、確認できる方がいらっしゃいましたら内容をチェックしていただき、関連文献として適切でなければ取り除くようお願い申し上げます。--Mo-rin 2009年5月8日 (金) 09:35 (UTC)[返信]

Mo-rinの提案は却下。Mo-rinは頭がいかれていないか? Wikipediaにはこの手の狂信的な奴がうろちょろしているから困る。迷信を信じるのも困ったものではあるが、変な手法をてっきり科学的だと誤解して狂信しているのも、イカレていることには変わらず、いってみれば逆向きの無知蒙昧だ。自分が科学的だなどと勘違いしているだけに、こういうのが本当に救いがたい。
還元主義というのは基本的に否定的な表現だ。「~主義」というのは、ほとんどの場合何らかの行き過ぎイカレた状態を指すことが多い語だ。例えば、車の「運転」と「右折」「左折」「直進」と「左折主義」というものの関係を想像してみればいい。車やバイクを運転する時、誰でも地形や状況に応じて臨機応変に「直進」や「右折」や「左折」を使い分けたり組み合わせて進んでゆく。だが、どこかの大馬鹿や精神異常者が、「左折ばかり繰り返そう」とか「左折が最高だ」とか「左折だけで目的地にたどり着こう」などとアホなことを言い出すと、こういうのが「左折主義」になる。「左折主義」の記事が書かれると、定義文・本文は「目的地に左折ばかりしてたどり着こうとする、バカで不合理な手法のこと」といった否定的なトーンになるのは当たり前のこと。
誰だって、時と場合に応じて左折も用いることは確かにある。だが、それ(時に左折すること)と左折主義は別もの。やはり「左折主義」には否定的なことを書くよりしかたない。もしも、どのような場面でどのようなステアリング操作、ギヤチェンジをするのがよいのかについて書きたいのなら、それは「運転」に書くのが適切なように、同様に、研究手法の組み合わせについても、「還元主義」ではなくて、「科学的方法」の記事に、トータルに書くべきだろう。どのような場面で還元主義とは反対の俯瞰的な方法や、ホーリズム的手法や、別の記述方式を用いるべきか、どの場面に限定すると還元の技法も用いると便利なのか、など。これはまさに偏執狂的な観点に陥らないように、出典を添えて書くべきだろう。もし「還元」という手法を使う場面や注意点について書きたいなら、「還元」の記事に節を新たにつくって書くべきだろう。このノートを読んだ人も、この「還元主義」の記事では、もっと還元主義に関する問題点、否定的な見解をどしどし書き込んでいっていただきたい。--理化学休憩所 2010年2月15日 (月) 08:08 (UTC)[返信]
そうですね。ウィキペディアにはよく来るんですよ。捨て垢で妄想を垂れ流す頭のおかしい人がしょっちゅうね。--Was a bee 2010年2月15日 (月) 09:11 (UTC)[返信]