ノート:遜色急行
内容について
[編集]結構議論があるかもしれません。というのは、1990年代以降のそれについては例えば「かすが」については、車両上すでに当該の車種では対応出来なくなったと言う事情があったこともあり、一般的にも急行形車両にもあるように1970年代にはすでに車両の製造を終了しており、単純に近郊形車両・一般形車両を用いたそれを用いらざるを得ないと言う事情があったと思いますが。例えば、日田彦山線の急行列車である「はんだ」等も末期にはキハ66・67形気動車を用いた事例がありますし、北海道の場合では車種が限定された関係で急行形車両というより、国鉄80系電車のそれに近い内装となった国鉄711系電車を用いて「かむい」・「ライラック」の様な事例があります。そういった事例を突き詰めると、必ずしも事例にあたらないそれがあるかもしれませんがどうでしょうか。Sat.K 2006年7月23日 (日) 14:51 (UTC)
- そうですね~、実際問題として、列車ごとに事情はいろいろあると思います。現時点では概説部分はざっとまとめただけなのですが、「こんなことからこういう運用になった」というのを事例パターンとして書き足していこうかと思っています。現実問題として、キハ66・67系や711系電車の場合は、最初から優等列車にも使用することを考慮していることから考えると、逆に「遜色急行」と呼ばれないような条件というのもありそうですね。調べればいろいろ出てきそうです。Cassiopeia 2006年7月23日 (日) 16:02 (UTC)
- 鉄道ピクトリアル768(2005年10月号)でも「遜色急行」を扱っていますね。その中では1985年頃の臨時急行でもはや廃車寸前の旧形客車を使用した物が巻頭に述べられていた記憶があります。また、概観としてはある程度及第点があるかと思いますが、事例研究の領域ではないでしょうか?Sat.K 2006年7月23日 (日) 18:20 (UTC)
(1)221系の臨時急行は、白浜方面のフリーきっぷが急行自由席料金不要とあったので、そのために走らせたのかも知れません。
(2)長野五輪の際の「安曇野」ですが、2年前まで「東海」に同仕様の165系が用いられ、さらに2002年正月まで、宮原・日根野両区の165・167系が用いられていましたが、「遜色急行」のそしりは受けていなかったのではないですか。
(3)1980年代初頭の43系客車が「遜色」扱いされていますが、この時期の「東海」(おそらく「比叡」も)には非冷房の153・155系が用いられてたことがありました。もう四半世紀以上前の時代ですから、冷房の有無で「遜色急行」扱いはされていなかったのではないでしょうか。
いかがでしょうか。--61.86.41.11 2008年4月1日 (火) 06:37 (UTC)
随分間隔をあけてしまいましたが、「天竜」1号に関しては、冷房が無いほかは、神領の80系はサロ85の格下車や80800が主流だったので、165系とそう差は無いのではないでしょうか。
423系の「ゆのか」ですが、1971年1月の時刻表では臨時列車になっております。--61.86.34.168 2008年4月21日 (月) 07:36 (UTC)
冒頭文にて、普通列車に用いられるすべての車両が「一般形」と理解できるような説明がなされていますが、この表現は妥当性に問題がありなす。国鉄時代の電車において「一般形」の名称は規定にありませんでした。また、旧型客車を俗称として「一般形」と呼ぶ場合は普通列車用という意味よりは固定編成客車に対して、それ以外の客車(狭義に30・40台の客車に使われる時は固定編成、鋼体化、軽量、戦災復旧車ではない客車)という意味での使われ方のほうが一般的でしたし、これらの客車が急行列車に多く使われていたことは本文にある通りです。文章の構成から見ても特に必要とも思えませんので一般形の語句を削除いたします。--九度有(会話) 2016年8月21日 (日) 15:30 (UTC)
北陸本線の乗り得
[編集]1980年代なかば、中央東線から山岳夜行で大糸線にまわって、糸魚川から富山行きに乗り換えるとき、富山行きの普通列車に雷鳥で運用される車両が使われていた記憶があるのですが。加筆おねがいできませんか。座席の白布カバーをはずして、普通列車としてあつかわれていました。 --ねこぱんだ(会話) 2014年5月24日 (土) 01:07 (UTC)