ノート:道鏡
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姦通説について
[編集]平安時代の学者が唱えた説を俗説というのはおかしいのではないでしょうか。学者による説は普通「学説」と言います。学説ではあるが論証する資料や証拠が乏しいという意味でなら、「仮説」というのが適切ではないでしょうか。--薔薇騎士団 2009年3月21日 (土) 12:35 (UTC)
- 平安時代の本に出てくるだけなら、学説というより風説です。最初が『日本霊異記』ですし。しかし、戦後でも瀧川政次郎、北山茂夫といった面々が支持していましたので、俗説はまずいでしょう。肯定するのも否定するのも確たる論証があってのことではなく、学者それぞれの人間観によるので、断定的にどちらが正しい、とはしないほうがいいと思います。--Kinori 2009年3月21日 (土) 13:53 (UTC)
- 風説というのは、明らかに虚偽であるが一般には広く信じられている説、というイメージがあります。例えば「風説の流布」では、株価操作を狙って虚偽情報を流すという意味で使います。単に「噂」や「風聞」でもいいように思うのですがどうでしょうか。例えば始皇帝の私生児説などでは、「風聞」と記事は書いています。--薔薇騎士団 2009年3月25日 (水) 07:27 (UTC)
- 私は「学説」でいいと思います。今はほとんど問題にされない道鏡皇胤説には、喜田貞吉らがおりました。著名な学者がそれなりに理屈を立てて唱えたものなら、学説としないわけにはいかないでしょう。今、該当段落の末尾には「中立性に疑問が残る僅かな史料から安易に道鏡を批評するのは適当ではない」とあり、とても正しい言葉だと思うのですが、その基準でいくと古今の歴史学者はほとんどみんな失格なんですよね。--Kinori 2009年3月27日 (金) 12:11 (UTC)
- 道鏡が流された場所が下野薬師寺という場所だということをあまりに軽視しているような気がしてなりません。下野薬師寺は国立三戒壇の一つであり、東国の僧に戒を授ける重要な場所であったはずです。もし皇后との密通が事実だとしたら、このような破戒僧を戒壇のある寺の別当に任じるでしょうか?あくまで道鏡は政争に負けた故に地方に下ったのであって、巷間伝えられるところの密通説はこのことからもおかしいのではないかと考えます。--Kissy 2009年11月8日 (日) 08:41 (UTC)