ノート:逢坂冬馬
除去された記述の復旧に際しまして
[編集]記事の復旧に際して理由を記述します。
情報を除去したユーザーの根拠は「些末な情報が多すぎて読みづらい。デビュー前の落選作とかアマチュア時代のタイトルだけとかどうでもいい。(原文ママ)」というものでした。 これらに勘違いが見受けられるので訂正させてください。
まず「些末な情報」「タイトルだけとかどうでもいい」についてです。タイトルというものは小説に限らず単なる短い些末な文ではありません。 一冊の本が一文にまで圧縮された題名はそれ自体が一つの創作物であり、読者が読み取れる情報は想像よりも大きなものです。いずれは別のユーザーにより記事に作者の好きな食べ物や音楽や乗り物など加筆されていくこともあるでしょう。そうした嗜好と比較しても過去に創作した作品タイトルから読み取れる情報は人となりを知る手がかりとして価値あるものです。応募先のジャンルも意味を持ちます。初期にはライトノベルの賞に応募をしていたという経歴は出版作品の大衆的な娯楽性との関連を察することができます。
二次創作の活動は間接的に出版作への影響が見受けられる点もあり出典がある以上は強引に除去すべきではないと考えます。これについては多くの小説家、漫画家の記事で項目が設けられており、本記事だけ特例的に排除する理由は見当たりません。
「読みづらい」という意見ですが、今後様々なユーザーの加筆により情報が圧迫された場合は、人物像、来歴、作風、エピソード、趣味嗜好などに分類する方法が考えられます。今のところ多くのスクロールを必要としない情報量なので差し迫った対処が求められてはいないと判断しました。
最後に言及なく削除された『絆の国のカラドリウス』です。こちらはスコッパーのコミュニティにも取り上げられ一定の話題になっておりウェブ小説ファンの間では比較的知られた作品です。現代は必ずしも商業出版された作品だけが存在を認められるわけではありません。こうした情報をどうでもいい些末なものとして除去する行為は妥当ではありません。
以上が記事差し戻しの理由となります。
そもそもですがウィキペディアでは編集者が「どうでもいい」と思ったからなど個人的な感想を理由に出典の明記された記述を除去する行為は認められていません。無言の編集合戦にならないよう情報を除去したい理由があるのでしたらこちらのノートで第三者をまじえて理由を明確にするなど議論を行ってください。しかしながらウィキペディアは中立的な記事なので、記事によって利害の発生する人間が編集することは望ましくないという点を強調させてください。--Owl leet(会話) 2023年5月11日 (木) 01:54 (UTC)
- お見かけしたので少し見てみましたが、@Owl leetさんが差し戻された最新版より@Satoshi wadaさんの整理された版の方が、百科事典の記事としては優れているように見えます。
- A. 文学賞へ応募したという出典ですが、確認できるのは「逢坂冬馬という名前の作者がいた」ことだけが分かる一次資料です。その応募者が、記事主題の人であると、自主公表されたわけでも第三者が書いたわけでもなさそうで、出典の使い方として誤っています(一次資料への独自解釈の付与)。出典として不十分であることから(存命人物であることをさらに考慮すれば)除去が妥当だと思います。
- B. Pixivやカクヨムでの二次創作についてですが、現在では出典とされているツイート自体は削除され、wayback machineも消えています。消えている理由は分かりませんが、もし仮にそのような作品があったことが事実だったとしても、消えているということはなにか特別な事情があるのかもしれません。そもそもやはり、Aと同じですが、本人ツイートのような一次情報源を元にして記述すること自体が、あまり優れているとは言えません。
- C. オリジナル作品での「カクヨムWeb小説コンテストに参加」についても、出典がいずれも消えています。そもそも「参加」についている出典は、信頼できる情報源ではありません。
- 全体的に、コメントにて「初期にはライトノベルの賞に応募をしていたという経歴は出版作品の大衆的な娯楽性との関連を察することができます」「二次創作の活動は間接的に出版作への影響が見受けられる点もあり」と述べられているように、そのような観点を重視するあまり、百科事典の記事というよりは、ファンの解説ブログ記事のような印象を受けてしまいます。そのような関連性や影響について述べている信頼できる情報源によって検証可能な状態でそれを記述するのであればともかく、「あるはずだ」と決めつけて記事中でそのような情報を提供することは、百科事典の記事の、特に第三者による記述を基礎とした中立的な観点による百科事典であるウィキペディアの役目では、ないと思います。
- そのような観点から、最初の述べた通り、現在の版よりは記述が減っている版の方が良さそうに見えます。--青子守歌(会話/履歴) 2023年6月16日 (金) 12:43 (UTC)
- コメント 仰るとおりウィキペディアは何でないかにもあるとおりファンサイト的であってはならないという点に同意します。それはファンや関係者にとって価値の低い情報やエピソードであっても信頼できる情報源において記述することを否定されないということです。そしてウィキペディアにおける大衆文化とフィクションの項目においては信頼できる情報源の基準が著しく低いものであり芸能ゴシップでさえ信頼性において特別な規定を置かれていない仕様です。どなたか有名な芸能人なり著名人の項目を見ればわかると思いますが識者やファンから見て整然と優れた記事になるようなルールにできていません。だからこそ記事がブランディング宣伝広告になってくれない不都合さを持ち一部に信頼性と需要を生んでいるものと思います。
- ルールに則ってある程度雑然とした記述であっても増殖を許容する仕様ならばそれに準して核となる情報を損なうことなく整理することが編集者として出来ることではと考えます。そのうえで提示された項目について応答いたします。
- A. 必要ならば追加の情報により当人である信頼性を補強することは可能です。
- B. リンクを修復するor改めて情報源を追加することは可能です。
- C. 参加についての出典は信頼できる情報源に相当すると判断します。コンテスト開催サイトの内部記事であること、2016年から2020年まで毎年集計データを公開していること、複数の参加者からダブルチェック、トリプルチェックがなされており、数年単位の長期間においてデータ集計の功労を称賛とともに評価されていることなどが信頼性の根拠となります。
- ex.「>>全体的に、コメントにて〜」に続く一連の表現はノート内の個人的な意見なのでこのような見解を記事内に記述することは解説ブログ的でふさわしくないことに同意します。そのため人物・経歴の項目では活動内容のみに焦点を絞りこれら個人的感想を含まない記述になっているかと思います。しかし第三者が一定の冗長な解説を記事に追加したとしてもそれを徹底して排除し「ある視点において価値ある情報のみ整然と構成された優れた記事」であるよう自治する行為はそれこそファンサイト的であり特にウィキペディアの大衆文化フィクション分野においては思想にそぐわないと考えます。
- A.B.について改めて編集を試みることは可能なのですが、当方が率先してラリーを繰り返し記事を改稿し続ける状況は望んでいません。記事の当人について特別に詳しいわけでもなくファン的な熱意があるわけでもないためその点において固執する理由を持たないからです。当方が持つのは2015年〜2020年あたりのウェブ小説界隈を歩いていたことで公開されていた同志少女やカラドリウスなどの局地的な話題に参加できていた程度の情報量です。その際に著者は電撃や富士見でもいいところまで行って、今(当時)は押井守や機龍警察のフォロワーとして二次創作や一次創作で活動している人という周辺情報がありました。ウィキを通りすがったところそれらが書かれておらず、誰かもっと詳しいファンが濃密な情報を書き足すまで暫定的に自分が知りうる確度の高い情報だけは残しておこうかと試みたまでになります。商業出版から知った読者はウェブ小説界隈に触れておらず、ウェブ小説界隈は必ずしも文芸周りに詳しいわけではないので偶然双方にタッチした当方がフラグメントを残しておく価値はある情報かと判断しました。あくまで全体的な界隈を観測していた中で認知した情報のため取りこぼしが大いにあるかと自覚もございます。
- ウィキペディアのルールにおいて、今日URLのリンク切れを発見したとしても即座に削除してはならないことが示されています。リンク切れのタグを打ち記述の出典となる新たな情報源を募集するかたちで編集者を最大24ヶ月待つことが求められます。不特定の編集者が無償で増築していく百科事典なのですから不完全な情報もその旨を併記して残しておくことで新たに現れた新しい情報を持つ編集者を追加作業へ誘引する仕組みかと思われます。
- そこで一旦リンク切れのタグを打ちますのでさらに界隈や氏に詳しいユーザーの目に情報を触れるようにしておきながら保持しつつ、期限を超えて詳しい編集者が現れる見込みがなく検証不能として削除相当になった場合や、ファンサイト的な自治により強引に削除されてしまった場合には、(時間的に余裕をつくるまでの猶予は頂くことになりますが)僭越ながら当方の知りうるかたちで新たに情報を補強するという形でいかがでしょうか。
- --Owl leet(会話) 2023年6月17日 (土) 05:14 (UTC)
- @Owl leet: A,Bがウィキペディアの方針に従った信頼できる情報源、特に、自主公表された一次資料を用いた解釈が付与される記述ではなく、その記述の重要性を示唆する二次資料ないし三次資料に基づいて出典がつけられるのであれば、ぜひつけてください。つけられてない以上、記述が除去されても文句は言えない状態になっています。Cについて「複数の参加者からダブルチェック、トリプルチェックがなされており」「データ集計の功労を称賛とともに評価」はそのチェックしたり称賛や評価した参加者の人数はどれほど信頼できる情報源としての質を担保するものでしょうか?単にウィキペディアと同様な「一般人」が複数人いることはなんら信頼性に寄与しません。そしていずれにせよ、そのページは「データを集計した表」であることから、これもまた第三者の資料ではなく、あくまで「データ」に対する一次資料であり、出典の情報源としては良くありません。また全体的な価値観として、ウィキペディアは「百科事典」としての記事を整備しているという点は改めて確認してください。百科事典的な記事は百科事典としての記事であるがゆえに、「ある視点において価値ある情報のみ整然と構成された優れた記事」であることは否定できません。重要なのは、その視点が「中立的であること」であり、当然ですがファン視点やアンチ視点であってはいけませんし、「読者にとって有用だから」も中立的な百科事典記事から外れて良い理由にはなりません。「知っていることがあったので書いておいてあげよう」というOwl leetさんのボランティア精神はウィキシステムであるウィキペディアにとってとても有り難く貴重であるのは間違いありません。しかし、「知っていたことだけ」を書いた状態というのは、ご自身の観点のみに引っ張られているため、私のような外野から見ると中立的ではなくなっています。そういう意味で、特に一次資料を用いて「こういう情報が有益なはずだから知っていることを書いていこう」という意図で書かれた記述は、ウィキペディアの百科事典としての記事としては残念ながらふさわしくないように見えます。最後に「リンク切れ」についてですが、重要なのは「修復される見込みがあるか」であり、「オリジナルが消えたがアーカイブはそのうち出てくるだろう」という状況ならともかく、アーカイブごと消えていることを考えれば、リンクが復活したり別のページにURLが変更された修復がされるとは思えません。むしろ単に「無効な出典が残っている状況」を引き伸ばすだけなので、一旦除去しておくのが望ましいと思います。その情報が本当に有用でありしっかりとした信頼できる二次資料を得られるのであれば、除去してあろうとなかろうと、そのような正しい形で加筆されるはずです。--青子守歌(会話/履歴) 2023年6月21日 (水) 11:38 (UTC)
- アカウントを保持していないのでIPアドレスから失礼いたします。
- こちらの項目を拝見するのは2022年4月23日の版以来ですが、その頃に比べて文章量だけは増えているものの、なぜか加筆がプロとしての活動以前のものに集中し、その記載のおよそ全ての出典が不適切であったり、さらにその不適切な出典も消滅しているなどしているため、現状の内容はまったくwikipediaとして適正ではない、ゴシップをかき集めたような、かなり異様なものという印象があります。(そしてこういう記述が削除されるのは当然だと思います)。既に問題提起がなされている様なので三点について述べます。
- A. これらはいずれも「文学賞の主催者が発表した途中経過」であり、ペンネームは個人を特定するものでもありませんから、記述に対する一次資料にさえなっていないように思われます。具体的な作品名やレーベルを記載するのであれば、ご本人のインタビューやメディア記事などにそれらについての言及があればいいとは思いますが、常識的に考えてそんなものはないでしょうし、他の一次資料と組み合わせて根拠を補強するという手法はそもそも論外なので(一次資料への独自解釈の付与)、現時点では、この部分は完全に削除すべきと思われます。
- B. 本人ツイートのような一次情報源を元にして記述すること自体決して優れた手段ではありませんし、そもそも作品はすべて非公開であり、出典が過去のツイートのアーカイブだけなので得られる情報が「昔そういうツイートをしたことがある」ということであり、二次創作活動の出典になっていません。また「過去に二次創作に関係するツイートをしたことがある」程度の話ならwikipediaに記述する必要があるとも思えません。さらにウェブアーカイブが消えているため出典がまったく存在しない状態になっています。
- 上記とも関連することですが、二次創作も過去のカクヨムも過去のツイートもすべては非公開になっています。当然これらを非公開にするためにはご本人が「非公開にする」という操作をおこなったことを意味します。当時は開示していた情報であっても、「アマチュア当時ハンドルネームで公開していた情報」と「有名人になった後にwikipediaに常時掲載されることを想定して開示する情報」は乖離して当然ですし、そういうこともあって存命人物の伝記には「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」というルールがあります。ウェブアーカイブが消えている今回の場合は論外ですが、仮にウェブアーカイブが消えていない場合であっても、本人が広く公開されることを望んでいないことが容易に推察可能な情報について、本人が削除した情報のウェブアーカイブを出典にして提示する、という手法は「プライバシー尊重」という原則にまったく反しています。
- C. 存命人物の伝記について個人サイトが出典にならないのはルール上の問題なので本来議論するまでもありません。なお「文学界の世界」というサイトも同じく個人サイトなので除去が必要です。
- 以上の三点については既に青子守歌さんにより指摘がなされているようでありますが、それに対応する有効な編集等がなされず一ヶ月近くが経とうとしています。正直に言って存命中の人物の伝記としてはここまで変な記載がなされている現状事態が好ましくないですし、上記三点についてはそもそも大して重要なことが書かれていないため、これらを削除したところでいくらでもまともな編集は可能なわけですから、問題となっている部分は全て削除し、二次資料を中心とした編集を待った方がいいと思います。
- 参考までに申し上げますと、プロ小説家でプロになる前の活動がwikipediaに記載されている方としては「凪良ゆう」さん、「坂上泉」さん等の項目があります。アマチュア活動に関する記載の出典として用いられているのは、前者が新聞社によるインタビュー、後者がご本人の書いたコラムです。プロになる前の活動について出典とすべきは、本来的にこういった性質のものではないでしょうか。
- ~~~~--240F:34:8008:1:907D:2D99:9459:1FA0 2023年7月19日 (水) 03:29 (UTC)
- 問題の部分を一通り削除しました。文章量は大幅に減りましたが、やはり存命人物の伝記については「保守的・中立的・百科事典的」の原則を守りつつ信頼性の高い参考資料だけで構成されることがとても大切です。
- 240F:34:8008:1:2943:7FCC:8112:4894 2023年7月23日 (日) 16:39 (UTC)
- @Owl leet: A,Bがウィキペディアの方針に従った信頼できる情報源、特に、自主公表された一次資料を用いた解釈が付与される記述ではなく、その記述の重要性を示唆する二次資料ないし三次資料に基づいて出典がつけられるのであれば、ぜひつけてください。つけられてない以上、記述が除去されても文句は言えない状態になっています。Cについて「複数の参加者からダブルチェック、トリプルチェックがなされており」「データ集計の功労を称賛とともに評価」はそのチェックしたり称賛や評価した参加者の人数はどれほど信頼できる情報源としての質を担保するものでしょうか?単にウィキペディアと同様な「一般人」が複数人いることはなんら信頼性に寄与しません。そしていずれにせよ、そのページは「データを集計した表」であることから、これもまた第三者の資料ではなく、あくまで「データ」に対する一次資料であり、出典の情報源としては良くありません。また全体的な価値観として、ウィキペディアは「百科事典」としての記事を整備しているという点は改めて確認してください。百科事典的な記事は百科事典としての記事であるがゆえに、「ある視点において価値ある情報のみ整然と構成された優れた記事」であることは否定できません。重要なのは、その視点が「中立的であること」であり、当然ですがファン視点やアンチ視点であってはいけませんし、「読者にとって有用だから」も中立的な百科事典記事から外れて良い理由にはなりません。「知っていることがあったので書いておいてあげよう」というOwl leetさんのボランティア精神はウィキシステムであるウィキペディアにとってとても有り難く貴重であるのは間違いありません。しかし、「知っていたことだけ」を書いた状態というのは、ご自身の観点のみに引っ張られているため、私のような外野から見ると中立的ではなくなっています。そういう意味で、特に一次資料を用いて「こういう情報が有益なはずだから知っていることを書いていこう」という意図で書かれた記述は、ウィキペディアの百科事典としての記事としては残念ながらふさわしくないように見えます。最後に「リンク切れ」についてですが、重要なのは「修復される見込みがあるか」であり、「オリジナルが消えたがアーカイブはそのうち出てくるだろう」という状況ならともかく、アーカイブごと消えていることを考えれば、リンクが復活したり別のページにURLが変更された修復がされるとは思えません。むしろ単に「無効な出典が残っている状況」を引き伸ばすだけなので、一旦除去しておくのが望ましいと思います。その情報が本当に有用でありしっかりとした信頼できる二次資料を得られるのであれば、除去してあろうとなかろうと、そのような正しい形で加筆されるはずです。--青子守歌(会話/履歴) 2023年6月21日 (水) 11:38 (UTC)
- すみません、私用で時間が取れず対応できずにおりました。リンク切れを中心とした記事修復の目処が立ちました。
- まず青子守歌さんのご意見から一ヵ所ずつお答えして参ります。
- これらはお二人への個人的な返信というよりは全体的な見解のまとめを兼ねて記述致します。
- |
- 1.>>【百科事典的な記事は百科事典としての記事であるがゆえに、「ある視点において価値ある情報のみ整然と構成された優れた記事」であることは否定できません。】
- A-1.否定できます。本項目は査読済みの研究で情報源を構成可能な科学や学術の分野とは状況が異なるためです。「ある視点」を特定の価値観及び立場や派閥と展開します。ある芸能人の項目でA派にとって除去すべきと考える記述がB派にとっては除去に相当しないと考える場合があったとします。それらは名誉を毀損するような攻撃的なものでなく過度に誇張して対象を礼賛する宣伝記事でもないとします。ウィキペディアの記事は価値観の異なる無数の編集者が数に任せて編集と増築を繰り返して成長していくものです。禁則にも触れず検証可能な情報であるという点は変わりないにも関わらず特定の項目を記事から除去すべきか残すべきか選択する一貫した価値観を記事ごと備え維持することはウィキペディアにおいて不可能です。しかし一貫した価値観により掲載すべき情報の取捨選択が可能である百科事典サイトは存在します。それは特定の有志が運営するファンサイトです。ウィキペディアはファンサイトであってはならない原則に従いますと大衆文化やフィクション等の分野において「ある視点(特定の価値観及び立場や派閥)において価値ある情報のみ整然と構成された優れた記事」になるよう自治する行為は否定できると考えます。
- 2. >>【「こういう情報が有益なはずだから知っていることを書いていこう」という意図で書かれた記述は、ウィキペディアの百科事典としての記事としては残念ながらふさわしくないように見えます。】
- >>【その情報が本当に有用でありしっかりとした信頼できる二次資料を得られるのであれば、除去してあろうとなかろうと、そのような正しい形で加筆されるはずです。】
- A-2. ウィキペディアの記述としてふさわしいかどうかは「有益(有用)かどうか」ではありません。「重要かどうか」でもなく「真実かどうか」ですらありません。「検証可能かどうか」になります。検証可能であるのならばどのような意図であろうと禁止事項に触れない限りは記述することが可能です。多くの大衆文化フィクションの項目では有益だから、面白いから、ただなんとなく、さまざまな意図で雑然と項目が増築されて記事ができあがっています。それらがウィキペディア百科事典の記事としてふさわしくない不正な記事とは認められません。雑多な内容が箇条書きで並べ連ねてある例ですら、ウィキペディアでは安易に除去することは禁止されており内容を系統立てて本文へ組み込むことが推奨されています。これらの仕様により「書かなくてもいい」と思う人と「書かれていてもいい」と思う人が共存できています。
- 3. >>【アーカイブごと消えていることを考えれば、リンクが復活したり別のページにURLが変更された修復がされるとは思えません。】
- A-3. それを検証するための保持期間です。当方より該当記事について詳しい編集者が別のふさわしいリンクを追加して{リンク切れ}を修復する可能性を「とは思えません」と断定するのは一つの個人的な推測でしかありません。どの記事にも精通している識者はいるものですが、即座にウィキペディアの修復箇所を観測して無償で労力をかけることは緊急性がない記事ではなおさら稀であるというのが当方の考えです。たまたま通りすがり要修復の箇所を見つけて自分の知識で、また時間的、気分的な要因を含めて可能であれば善意で修復するということが繰り返されています。そういった事情もあり{リンク切れ}タグの保持期間は最大24ヶ月と長めに取られているものと考えます。
- ガイドラインから原文ママ引用しますが『その文献がオフラインで存在せず、かつアーカイブにも(最大24か月待っても)存在せず、かつ文献の別コピーも入手できない場合、リンク切れの出典は削除し、その文献に基づいた記載は検証不可能と見なされるべき』とあります。【アーカイブごと消えていることを考えれば】と仰せですが、現在確認できなくなった出典の{リンク切れ}の保持対象には「消えているアーカイブ」も含まれています。そのためアーカイブに{リンク切れ}のタグを打ち推奨された期間保持することは否定されないものと考えます。
- そのうえで、保持期間を超えても新たな編集者が現れる見込みがなく検証不能となった場合や、ファンサイト的な自治により強引な除去があった場合など、当方が可能な対応は以下のものです。
- ・A.B.については検証可能性に準じて補完を試みます。先に示しましたとおり記述の重要性といった主観的な質は考えず検証可能かどうかに注視します。
- ・Cについては客観的な証明となるIDの一致を引用することで信頼性の向上を試みることができます。
- A.B.C.について当方の出来ることは一旦これまでのため、さらに有用で充実した記事に発展することをお求めでしたら当該記事についてより詳しい方の来訪をお待ち下さい。
- 以上が青子守歌さんのご意見に対する当方の見解になります。
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- 次に240F:34:8008:1:907D:2D99:9459:1FA0さんのご意見についてです。
- 重なる部分が多いので抜けているところはA-1からA-3を参照して頂きたく存じます。
- B-1.まず全体を通して言及されているアーカイブが消えている件についてになりますがこれは単純に当方の記載ミスと思われます。メモに残っていたURLに直しましたらアーカイブは消えておりませんでした。お騒がせ致しました。修正版では直っているかと思います。
- B-2.出版社の発表についてご本人の言及と合わせて記載すべしというご意見ですが、天文学的な確率で同時期に同姓同名のペンネームで同名作品を投稿し選考に残った別人のケースがあったとしたら関係各位から否定できる環境でありますし、大衆文化フィクションの分野でそこまで緊密に記載するのは出典が煩わしいのではと思い簡易的にしたものです。気になるようでしたら修正版にて補完致します。
- B-3.推察により導き出した御本人の意見や心情を尊重というファン心理的な動機でしたら、過去にいくつも例があります「◯◯さん(記事の本人)がこの記述は不本意のため削除してほしいと言っているから削除すべきだ」に類する議論から参照できるように思われます。密かに不正除去されることなく公に議論された場合は最終的な論点は公共の利害に係る問題か名誉毀損罪上の周辺に落ち着きます。今回の事例ではその双方にも当てはまりません。
- B-4.「文学賞の世界(prizesworld.com/prizes/)は個人サイトであるから出典とした記述は除去が必要」という240F:34:8008:1:907D:2D99:9459:1FA0さんのご意見を全否定はしませんが、これは日本版ウィキペディアの文学関係の記事全体に対する宣戦布告というか、適用されてしまうと数多の文学関係の記事で除去しなければいけなくなってしまう記述が大量に発生するのでこちらで承認する責任を負えません。「議論するまでもない」との仰せはさすがに乱暴です。一次資料を集積した個人の資料サイトを出典として認めないとするのであれば、少なくとも別の場所で独立した議論のノートを立ち上げて合意を取って頂く必要があるかと思います。これをきっかけに新たなガイドラインとして適用されるようでしたら他記事で目についた記述の除去についても協力的な姿勢で臨みたいと考えています。
- B-5.「SNS上の本人によるポストが情報源として成立し得るか」という論点が全体に通じてありますが、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトにあるとおり、ウィキペディアでは「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。(中略)Twitter・Tumblr・Facebook・Instagramなどのソーシャル・ネットワーキング・サービスについても、この方針が適用されます。」というガイドラインがあります。B-4とB-5を合わせて、参考に「一次資料を集積した個人の資料サイト」と「SNS上の本人(又は第三者)のポスト」が両方とも出典として適用されている有名な事例をご紹介します。「知念実希人」「清棲幸保」「イーロン・マスク」。これらの記事では除去しなくともよいが当記事では除去すべきという主張があるとするならその理由は何か、とフィルターをかけることにより考えの明確化に役立つかもしれません。
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- 長くなりましたが概ねこうした見解のもとに再び同様の事例を招かないようにリンク切れ等の修復をしつつ記事の復旧を致します。現状の論点に合わせてノートのタイトルもシンプルに変更致します。今回の除去騒動は当方のレスポンスの遅れが原因の一つではありましたが、ウィキペディア編集者は無報酬の仕事なため今後も対応が遅れることはあるかもしれません。その必要がなくなるよう長くなってもよいから網羅的な見解を展開致しました。今後基本的なガイドラインの参照で反駁できてしまう内容に当方が即座に対応というのも出来かねます。当方含め編集者としては今後に様々な記述が追加されてそれが多少煩わしいと感じたとしても、緊急性がない大衆文化に類する項目ですから、あまり性急な除去をせず一つずつ議論を重ねて論点を整理していくことでウィキペディア全体の利益を導いていけるものと感じます。その際にはこれまでのユーザーの主張とそれに対する反論を踏まえた上で議論していただくと繰り返しにならなくてよいかと思います。ご協力お願い致します。--Owl leet(会話) 2023年8月9日 (水) 14:55 (UTC)
- 逢坂冬馬さん(@gena_Krokodil)ご本人からnoteで当記事(23年8月10日時点の記事)に対するご指摘を頂きました[1]。要点としましては以下のものです。
- ・一部の記載作品は同姓同名ペンネームの別人によるもの。
- ・Pixivの活動では「A作品の名を騙ってB作品の二次創作を書くといったことをしていた」ので、(作品名)の二次創作をしていたという表現は誤解を招く。
- ・当時は一般公募を目指していたので『オンライン作家』であったかのような記述は不適当。
- ということでした。即座に記事の当人の意を汲んだ編集をすることはウィキペディアのポリシーに反するとのご意見もあるかと存じますが、こちらは本人の自主公表された情報を新規の信頼できる情報源として取り扱った体裁とご容赦いただき、一部記述の除去と情報の再整理を行いました。よろしくお願い致します。--Owl leet(会話) 2023年8月10日 (木) 21:10 (UTC)