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ノート:路傍遺産/削除

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リンク先のサイトから文章を持ってきているようです。初版から削除が必要です。--Korokoro 2006年10月3日 (火) 09:47 (UTC)[返信]

ここに書き込んでも良いのかどうか わかりませんが、 すいません。 了解しました。

路傍遺産 を編集しなおしました。 「路傍」と「遺産」の単なる合成語のつもりではないんです。 たしかに「路傍遺産」という言葉は一般にも無いみたいです。 ただ 私が私のHPで広く世間に知ってもらいたいこと、 発信したいことを一言で表現するために「路傍遺産」という言葉を使いました。 私の個人的願望や野心が背景にあるのではと思われるかも知れませんね。 ・・・ どんなんかな~ やっぱ こんな言葉はムリなんですかね~~~?

コメント付与時には必ず--~~~~(チルダ4つ) で署名をしてください。
出されている削除依頼についてですが。Wikipedia:削除の方針のいくつかに該当します。現在では「ケース B-1:著作権問題に関して」(自著作物持ち込み時の問題?)が指摘されていますが 、「ケース E: 百科事典的でない記事」も指摘対象でしょう。(Wikipedia:検証可能性も併せてお読みください) --yfuruhata 2006年10月4日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

210.168.159.10 2006年10月5日 (木) 02:12 (UTC)[返信]

「ケース B-1:著作権問題に関して」は既にクリアしております。


「ケース E: 百科事典的でない記事」について。
旅日記とか、歴史遺産探訪記とかにおいて、
「路傍の石碑」「路傍にたたずむ史跡や石仏」のような言葉の表現を多く見かけます。
「路傍」と「遺産」は、一つにつなげても違和感なく自然な言葉として
 受け入れられると思います。
昨今、「世界遺産」という言葉は、マス・メディア上にあふれんばかりです。
また、少し飛躍しますが、「スピリチュアル」とか、精神性を重視する時代の言葉も
よく目にします。
「路傍」という言葉のもつ素朴さ温かみ、人々の歴史や暮らしへの優しい思いを想起させる
 言葉だと言えます。
はなやかな「世界遺産」という言葉に ある意味対峙する位置に、
庶民的で奥深い言葉として、「路傍遺産」という言葉が在ると考えております。
「路傍」と「遺産」を、一つにつなげる勇気というか、おおげさに言うと
 「路傍遺産」という一つの言葉にして、
  Wikipediaに出典を依頼する義務が、私にはあるような気がしてならないのです。
それはあなたの主観でしかありません。Wikipedia:検証可能性をよく読みなおしてください。また、B-1についてもクリアできていません。 --yfuruhata 2006年10月5日 (木) 04:13 (UTC)[返信]