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ノート:赤染衛門

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「藤原教通との間にも娘がいた」との記述について

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出典付きで書かれているのですが、赤染衛門が960年前後の出生に対し、藤原教通は996年出生、また、赤染衛門は、「長和元年(1012年)夫の死後、出家したらしい」(国史大辞典)との記述もあり、藤原教通との間に子をなしたというのは、ちょっと信じ難く、出典の内容の確認が必要かと思います。--Mtodo会話2024年3月18日 (月) 04:54 (UTC)[返信]

赤染衛門のむすめが、藤原教通と恋仲だったのでは。
根拠 下記ページより抜粋
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akazome.html
右大将道綱久しく音せで、「など恨みぬぞ」と言ひ侍りければ、むすめに代りて
【語釈】◇右大将道綱 藤原道綱。兼家と『蜻蛉日記』作者の間の子。◇むすめ 『赤染衛門集』によれば、赤染衛門の娘は道綱のもとに仕えていたらしい。但し同集の次第によれば相手の男は教通(道長の子)。◇せめて辛さの この「つらさ」は恋人の態度の無情さを言う。--2400:4052:9141:EB00:A57B:61F4:C8B7:DAC4 2024年6月9日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
おそらく、現在の表記は、編集時に出典(日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第1巻』)を読み違えて、赤染衛門の娘と取り違えを起こしたものとは思います。
『赤染衛門集』にも以下の歌があるとか(『赤染衛門集』現代語訳”. ミサワ・アクターズ・カンパニー. 2024年6月10日閲覧。)、
大将殿に女のさぶらひし時、「尼に」とて海藻を賜はらせたりしに(大将殿〔藤原教通〕に娘が伺候していた時、「尼に」と言って海藻を頂戴したので)
わたつみの 年経るあまの 身なれども かかる嬉しき めぞ見ざりける(海に年を重ねる海人の身ではありますが これほど見事な海藻は見たことがありません)  
ということで、おそらく「藤原教通との間にも娘がいたとされる」は、過誤なのですが、出典自体は確度の高いものであるので、どなたかに出典本文との照合・確認をお願いしたいところです。--Mtodo会話2024年6月9日 (日) 19:44 (UTC)[返信]
藤原教通との間にも娘がいたとされる」部分は、三津川警部さんによる加筆[1]ですね。加筆者に直接お伺いするのはいかがでしょうか。--Snap55会話2024年6月11日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

年代がおかしい

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赤染衛門の年齢からかんがえて、1020年代に夭折した子がいるとなると50〜60代で出産したことになり、信憑性に乏しい--240F:102:E971:1:172:388C:CA45:6EAE 2024年9月29日 (日) 15:15 (UTC)[返信]