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ノート:赤川学

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「処世術に巧みなことで定評がある」云々の記述を掲載すべきか

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当記事(2008年6月17日 (火) 04:04版時点)、「エピソード」節内において、「処世術に巧みなことで定評がある」云々と出典無き否定的記述がありました。Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去によれば「ソースが皆無……の場合、否定的な題材は存命人物の伝記とそのノートから除去すべきです—その際の除去は議論無しで行なっても構いません」とありますので、この方針に従い、当該記述を編集除去(+研究業績について加筆)致しました[1]
ところが、その後、チハさんにより、この編集に対してリバート(差し戻し)がなされました[2](なお、「差し戻しは、荒らし行為への対処として推奨される行為」(Help:以前の版にページを戻す方法)とありますので、わたしの編集が荒らしに準じる行為であったと判断されてのことと思います。そのご判断の正否は別にして、まずは、チハさんに不快感を与えてしまった点について、お詫び申し上げます)。
しかし、その後、チハさんによって「この江原派から上野派への鞍替えは、当時の赤川氏周辺にいた誰もが知る事実である」との加筆編集[3]がなされましたが、やはり、当該箇所は依然としてWikipediaの基本方針を満たしてないように思われます。
なぜならば、「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」」(Wikipedia:検証可能性)であり、「出典がなく、検証不可能であるならば、専門家を自称する編集者が、直接的・個人的知識をもとに寄稿することは禁止されています。……ウィキペディアの記事を充実させるために、公表されている情報に基づいてご自身の知識を提供くださることをお願いいたします」とあるからです(Wikipedia:独自研究は載せない#専門家の役割)。
さらに言えば、「江原派から上野派への鞍替え」の検証可能性が満たされたとしても、そのことが「処世術に巧みなことで定評がある」ことの裏付けにはなりません。
いずれにせよ、「第三者の媒体による信頼できる情報源」が明記されていない現状において、当該記述は、除去されるべきであると考えます(わたしは一行一句に出典を求める出典主義者ではありませんが、存命人物の伝記については極力、慎重になるべきであると考えます)。いかがでしょうか。--Clem 2008年6月21日 (土) 11:24 (UTC)[返信]

「処世術に巧みなことで定評がある」云々と、「信州大学での最終講義では、人形を使ってプロレスの技を実演してみせ、好評を博した」は、私に言わせれば、出典的にみれば同次元です。「好評を博した」に出典が示されていますか? あいにく後者の事実については、私は知りませんが、出典なしでまかり通っています。
赤川氏が東大助教授に就任したときは、2ちゃんねるの「★[灯台の]上野千鶴子〔権威・権力〕★ 2」スレッドで「流石に赤川学東大助教授は「事件」。/驚愕の声多数」(レスナンバー161)と書かれたほどなのですよ(もちろん、これを書いたのは私ではありません。他の赤川氏の評判についてもそうです)。「処世術に巧みなことで定評がある」というのは、むしろ非常に抑えた表現で、上記スレッドに多数書かれている通り、ゴマすり、おべっか使いというのが、彼を直接知る多くの人々の間で定着している人物評です。「江原派から上野派への鞍替え」(上記スレッドで、赤川氏の上野千鶴子へのゴマすりが何度も書かれているように、これは厳然たる事実)で止めただけでも十分に抑えた表現なのが、Clemさんには分かりませんか? 私としてもこれ以上、下品なことは書きたくありませんが、この評価への反論は、彼を直接知る人からは絶対にないはずです。--チハ 2008年6月21日 (土) 12:40 (UTC)[返信]
チハさん、こんばんは。このたびは、お手間を取っていただくことになり恐れ入ります。まず、ひとつ誤解を解いておきたいのですが、わたしが行ないたいのは、赤川氏の否定的な評価そのものへの反論ではありません。氏の東大助教授就任に際しては、わたしも氏を直接知る方々から似たような話を聞きましたし、わたし自身は赤川氏に対して何の義理も恩もありません。そして、チハさんがそこまでおっしゃる以上、赤川氏への人物評価は妥当なのでしょう。
しかし、わたしが問題にしているのは、当該記述がWikipediaの掲載基準(Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せない)を満たしていない点にあります。もちろん、ご指摘のように、「プロレスが好評」云々についても検証可能性の基準を満たしていないと考えますが、ただし、ここで前者のみを問題にしているのは、それが、名誉毀損にかかわるおそれがあると考えるからです。そして、そのような否定的記述を無出典のまま残しておくことは、何よりもWikipedia全体の評価を損ねることになる点に問題があると考えるからです。
2ちゃんねるのスレッドをご紹介いただきましたが、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源によれば、インターネット上の掲示板は「原則として適切な情報源としては認められません」とあります。チハさんの義憤の程が十分に感じられるなか、このようなことを書くのは大変心苦しいのですが、以上の点、いかがでしょうか。--Clem 2008年6月21日 (土) 15:47 (UTC)[返信]
「処世術に巧みなことで定評がある」というのが、赤川氏の人物評として非常に抑制した表現であることが、Clemさんにはお分かりにならないのでしょうか。
Clemさんも、「氏の東大助教授就任に際しては、わたしも氏を直接知る方々から似たような話を聞きました」(「方々」と複数表現になっています)とのことですから、2ちゃんねる上で書かれているように、彼がゴマすり、おべっか使いの人であるという評判はお聞きになられているのでしょう。Clemさんの心証としても、「処世術に巧みなことで定評がある」ことの方が、「人形を使ってプロレスの技を実演してみせ、好評を博した」ということより、確度が高いとお感じになっているのではないかと推察いたします。
たとえば、2ちゃんねる上で書かれているように、「ゴマすりとおべっか使いで東大助教授のポストを獲得した」と書いたら、いくら何でも名誉毀損になるでしょう。しかし「江原派から上野派への鞍替え」から導き出される「処世術に巧み」というのは、フェミニズムの世界における江原由美子と上野千鶴子の犬猿の仲を知っていれば、自然と導き出される結論です。東大生は保身に長け、変わり身が早いのが多いですから、上野千鶴子の東大着任で江原派から鞍替えした大学院生が赤川氏だけではないのも確かですが、Clemさんもお聞きになっている通りのゴマすり、おべっか使いの人ですから、彼の鞍替えぶりが最も見苦しかったと当時感じた人は多いです。これについて、これ以上書くと、それこそ名誉毀損になりかねません。
私としては、Clemさんの利用者ページに挙げられている内田隆三の項目にしても、セクハラ裁判の記述が書き加えられるべきだと考えていますし、似田貝香門の項目でも、なぜか捨てIDの利用者によって科研費不正流用事件の記述が削除されていたので復活させました。
本人に不利な記述は、とにかく削除するという傾向を持つウィキペディアンが最近、増えているようですが、その方が却って、Wikipedia全体の評価を損ねることになるのではないでしょうか?--チハ 2008年6月22日 (日) 11:39 (UTC)[返信]
「「処世術に巧みなことで定評がある」が、赤川氏の人物評として非常に抑制した表現である」旨、納得致しました。確かに、この表現をもって名誉毀損のおそれがあるというのは、騒ぎすぎかもしれません。また、チハさんの「本人に不利な記述は、とにかく削除するという傾向を持つウィキペディアンが最近、増えているようですが、その方が却って、Wikipedia全体の評価を損ねることになるのではないでしょうか?」とのご見解にも大いに賛同致します(Wikipediaは正統/非正統の記述を併せ持ってこそ、「質・量ともに最大の百科事典」になることができると考えております)。したがって、当記事における現在のわたしのスタンスは、必ずしも「当該記述は絶対に掲載すべきではない」というものではなくなりました(ただし、掲載する場合には、「要出典」なり「未検証」のタグが必要であると考えます)。
しかし、他方で当該記述がWikipediaにおける掲載基準を満たしていないのも明らかであるように思われます。また、チハさんがご指摘のように、似たような問題は他の人物記事においても数多く潜在しております。そこで、今後の編集のためにも、ここで第三者の方のご意見もお伺いしたいと思います(Wikipedia:コメント依頼)。よろしくお願い致します。--Clem 2008年6月22日 (日) 16:29 (UTC)[返信]
コメント依頼から来ました。どう考えてもWikipedia:存命人物の伝記を満たしていません。現在の記事で描かれていることが事実だろうが、即刻除去するべきですし、過去版の削除も考えるべきレベルです。「要出典」だとか「未検証」のタグで済む話ではありません。チハ氏の「本人に不利な記述を、とにかく削除するという傾向は却って、Wikipedia全体の評価を損ねることになるのではないでしょうか?」という見解については、Wikipedia:存命人物の伝記にて真っ向から否定されているとお伝えすれば十分でしょう。とりあえず、本文記事で問題の箇所は削除しておきます。--おーた 2008年6月23日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
私もコメント依頼をみて来たのですが、これはダメですね。「定評がある」ということを地の文で書けるような出典は、おそらくないでしょう。2ちゃんねるではなくて自分の身元を明らかにする形で同業界の人間が書いていることが明らかなものや、商業的な文芸雑誌や評論誌のコラム(これは、場合によっては無署名や変名もありうる)を出典として、「○○は赤川学が××だと述べている」(○○には具体的な人名やコラム名など)という形であればありえるかもしれません(ありえるかもしれないのであってそれならなんでもオッケー、ではないことに注意。名誉毀損は紹介だからといって免責されない。)が、その出典を提示する責任は記述を残したい利用者にあります(Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見も参照のこと)。--崎山伸夫 2008年6月23日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
「本人に不利な記述を、とにかく削除するという傾向は却って、Wikipedia全体の評価を損ねることになるのではないでしょうか?」というのは、そのすぐ前にある、似田貝香門の項目での、捨てIDの利用者による科研費不正流用事件の記述削除について言っているのですが、それに対して「Wikipedia:存命人物の伝記にて真っ向から否定されているとお伝えすれば十分でしょう」というのがお答えですか。だとすれば納得行きません。あれだけ新聞、雑誌ネタにもなったのにバッサリ削除は納得できない(あの事件の新聞記事の切り抜きは保存してあります)。Wikipedia:存命人物の伝記にも、そんなことは書かれていないと理解したのは間違いですか? もっとも、これは似田貝香門のノートでやるべき話題ですが。
赤川氏の人物評を間接的にでもご存知のClemさんと、それ以外の方々とでは、どうも温度差があるようですね。赤川氏が、上野千鶴子の東大着任を機に、上野とは犬猿の仲である江原由美子から派閥を乗り換えたのは、同世代の同業者の多くが知っている事実なのですが。
ところでちなみに「好評を博した」という出典は何ですか? 検索しても、この項目しかひっかかりません。--チハ 2008年6月23日 (月) 16:35 (UTC)[返信]
崎山伸夫さんの「「定評がある」ということを地の文で書けるような出典は、おそらくないでしょう」という点については、口さがない業界ですから、丹念に探せばある可能性はかなり高いと思います。ただし私としても、そこまでエネルギーを割いてまでして残したいという記述ではないですから、削除で結構です。--チハ 2008年6月23日 (月) 16:50 (UTC)[返信]

(インデント戻します)存命人物の記述については、通常の記述より書ける条件が厳しく設定されていることは理解されましたでしょうか?

<ガイドラインより>「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。

存命人物については、より「保守的に」書けとも書かれています。

<ガイドラインより>存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。

この点、意欲的にあれこれ書きたい編集者には申し訳ありませんが、こと存命中の人物については少しでも問題があると判断された場合は「ばっさり削れ」とまで書かれていることは留意ください。

<ガイドラインより> 他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。

用いる資料についても、かなり厳しいことが言われています。

<ガイドラインより>特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。

<ガイドラインより>記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。

検証可能な情報源を用いて書くのはもちろんなのですが、「その業界で有名な話」を使うこと自体が問題を抱えています。業界の人がポロリと、あるいは確信犯的な悪口・批判として書いた話は駄目なのです。業界内の人間は何らかの形で利害関係あるいは感情的な経緯に関わっている可能性があり、「信頼できる第三者情報」とみなせません。

「なぜ、そこまで厳しくする必要があるんだ?」と思われるかもしれませんが、そう思われる場合は今一度Wikipedia:存命人物の伝記を熟読していただいて、疑義があるならしかるべき場所で問題提起していただければと思います。--おーた 2008年6月24日 (火) 15:40 (UTC)[返信]

おーたさんの日本語読解力を疑います。私は繰り返し、新聞、雑誌ネタにもなった似田貝香門の項目での、捨てIDの利用者による科研費不正流用事件の記述削除について、Wikipedia:存命人物の伝記による削除が納得行かないと書いているのですが。赤川氏の件ではなく。一般紙(第一報は朝日の特ダネ)、雑誌は「信頼できる第三者情報」とみなされないのでしょうか?--チハ 2008年6月24日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
ここは赤川学のノートですけど?--おーた 2008年6月24日 (火) 22:10 (UTC)[返信]
おーたさん、あなたは、私とClemさんのやりとりをきちんと読み、なぜClemさんがコメント依頼をしたか、理解していますか? Clemさんははっきり、「チハさんがご指摘のように、似たような問題は他の人物記事においても数多く潜在しております。そこで、今後の編集のためにも、ここで第三者の方のご意見もお伺いしたいと思います」と書いています。「他の人物」とは内田隆三似田貝香門です。
一度、Clemさんと私のやり取りを熟読した上での回答を求めます。ロクに読まずに脊髄反射的に削除したなら、ほとんど荒しに等しい行為です。--チハ 2008年6月25日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
えーと。丁寧に説明しておいたほうがよさそうですね。
私は、コメント依頼を見て一連の議論を読んで、問題はそんなに複雑じゃないと思いました。赤川学の記事をめぐるやり取りについては、Wikipedia:存命人物の伝記の範囲内で十分ガイドラインは示されていると思いました。で、似田貝香門などの問題例を持ち出して赤川学の編集を論じる必要はないし、そういう例を持ち出すのは「議論を拡散させてしまうだけの行為」と映りました。そうした議論の拡散は、コミュニティを疲弊させるお決まりのコースであります。よって、内田隆三の問題も似田貝香門の問題も、この赤川学のノートで論じる必要はないと私は判断しています。だから、しつこく見えたでしょうけれどもWikipedia:存命人物の伝記から引用させていただきました。この問題は、それで十分だからと考えたからです。
コメント依頼に出したClemさんには、こうアドバイスさせていただきます。「下手に議論を拡大させるべきではありません。赤川学の編集問題として対処すれば十分です。」--おーた 2008年6月25日 (水) 13:49 (UTC)[返信]

(インデント戻す)どうやら、わたしのコメント依頼の仕方がまずかったために、チハさんとおーたさんの間に無用な軋轢を生み出してしまったようです。深くお詫び申し上げます。おーたさんと崎山さんには、コメント依頼からお越しいただき、ありがとうございました。少なくとも(明確な出典が提示されていない現段階において)本記事の当該記述の係争点に関しては解決をみたことに異論はないように思われます(ただ、「明確な出典のある」似田貝氏ほかの件について、果たしてWikipediaの掲載基準(Wikipedia:存命人物の伝記)を満たしていると考えてよいのか、わたし自身判断ができないでおります。できれば、この件について、ノート:似田貝香門でお付き合いいただければ幸いに存じます。その際には、わたしの考えるところを当該ノートに記したく思います)。
なお、昨今の論壇における俗流構築主義(およびその反動としての二項対立図式の復活)とは一線を画した優れた研究を赤川氏が進めていることに異存はないことを、最後に申し添えておきたいと思います(リバートの際に消失した、研究業績についての加筆部分を復帰させます)。--Clem 2008年6月26日 (木) 02:41 (UTC)[返信]

私こそ無用な軋轢をもたらしてしまったようで申し訳ありません。私としては少々の懸念がありました。崎山さんが「「○○は赤川学が××だと述べている」(○○には具体的な人名やコラム名など)という形であればありえるかもしれません(ありえるかもしれないのであってそれならなんでもオッケー、ではないことに注意。名誉毀損は紹介だからといって免責されない。)が」と述べているところで、どうもチハさんは「なんでもオッケー、ではないことに注意」と書いている部分を読み落としている、あるいは意識から外しているのではないかと思えたのです。ですから、少々しつこいぐらいにWikipedia:存命人物の伝記を引用しながら、「出典が有る・無いだけの問題ではない」ことを強調させていただきました。ノート:似田貝香門については、そちらに場所を移して議論はさせていただきますのでよろしくお願いします。また、赤川学の本文記事の執筆ありがとうございます。スキャンダルとトリビア事項ばかりに熱心な執筆者達の中にあって、こうしたきちんとした記述をしていただけることは本当に有り難い事だと思っています。--おーた 2008年6月26日 (木) 12:53 (UTC)[返信]