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ノート:貞観地震

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西暦に置き換えたときの日付について

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仙台管区気象台の資料では、修正前の7月13日となっております。--Triglav 2011年3月28日 (月) 09:28 (UTC)[返信]

変換ツールで調べましたら、グレゴリオ暦でしたね。併記しておきます。--Triglav 2011年3月28日 (月) 09:42 (UTC)[返信]

(湯帝)の読みに関して

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貞観地震後の政府の対応の読み下し文の中に

湯帝(ゆてい)以(もち)て己(おのれ)を罪(つみ)しき。

の一文がありますが、湯帝は(とうてい)と読むのではないでしょうか。 「湯帝」もしくは「湯王」は、中国の古代王朝・の初代皇帝で名君とされた天乙の別名です。--タクナワン 2011年6月20日 (月) 11:04 (UTC)[返信]

三代実録表記ゆれ

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草書で書かれた漢文の解読に揺れがあるのは仕方が無いと思いますが、 現在本文に紹介されている記録は『国史大系』によるものと思われます。これには「去海數十百里」は原作では「去海數千百里」であり、「溺死者千許」は原作は「溺死者千計」となっています。 近代デジタルライブラリ 国史大系. 第1−17巻近代デジタルライブラリ 三代実録 / 藤原時平等著他 「去海数千百里」は物理的距離というより大変長い距離を比喩的に表現したものと思われますが、千と十では随分異なるように思います。漢文ではむしろ「數千百里」の表記が一般的と考えます。--As6022014 2011年6月27日 (月) 09:59 (UTC)[返信]

本地震の想定震源域と「三陸沖地震」

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近年の想定震源域は、明らかに宮城県沖から福島県沖を中心とするものと理解されており、本地震は三陸沖地震とは基本的に別物であることを示しているように思われます(本文中の既存のリンクで十分です)。従来、宮城県周辺ではその存在が常識に属する「宮城県沖地震」と関連して貞観地震があまり論じられてこなかったのは、おそらく「宮城県沖地震は津波被害が僅少。津波といえば三陸沖地震。」というある種の「常識」があったからで、2011年3月以降の常識では当てはまりません。地震学の研究論文においても、名称は先行研究をトレースする必要がある程度存在するので、「貞観三陸」の呼称は残ってしまっていますが、今世紀になってから新規にwikiのような記事を立ち上げる場合、もはや「三陸沖地震」という名称は積極的に削除する必要があると思われます。(厄介なことに英語版等にこの重大な誤解が広まりつつあります。しかもノートの議論の上でSanrikuという名称が敢えて採用されている!)いかがでしょうか?

なお、真正の三陸沖地震がすべて、仙台湾に津波災害をもたらさないと主張するものではありません。慶長津波は狭義の三陸沖地震によるものと思われます。

--TommyCR 2011年6月28日 (火) 03:14 (UTC)[返信]

逆に貞観地震から三陸を排除してしまうことに恣意的なものを感じます。学会では三陸の領域は震源域に含まれなかったとする見解が主流となりつつあるのでしょうか?
むしろ、三陸沖(恐らく明治三陸や昭和三陸の震源域を意識したものと思われる)、宮城県沖、福島県沖などと言った固有地震の概念そのものが崩れつつあるように思います。東北地方太平洋沖地震もこれらの震源域をまたぐものでした。慶長三陸や1793年の地震あたりも詳しい震源域は判明していないと考えられます。漠然と東北沖の日本海溝沿いを震源域とする地震に対して三陸沖が使用されていたように思います。
貞観地震については津波堆積物の調査は宮城県沖や福島県沖の震源域について始まったばかりで、三陸沖についても今後調査途上の段階にあります。産総研:活断層・地震研究センター 貞観地震に関する成果報告,報道等[1]
現段階で三陸沖を早々に排除してしまうのは早計と考えます。--As6022014 2011年6月28日 (火) 03:42 (UTC)[返信]


そんなところかもしれませんね。利用者:彼方陣氏が穏やかな表現に書き換えていましたが、私としても妥当なところだと思います。私自身としては、「宮城県沖地震」と「三陸沖地震」は別のアスペリティが動く地震であるという見解で、貞観地震においては宮城県沖のアスペリティが動いていることがどの説でも確実なので、いわば「スーパー宮城県沖地震」と称されるべきとの理解ですが、まさに東北地方太平洋沖地震が、従来のアスペリティ理論に対して少なからぬ問題を投げかけていますので、今のところは穏やかに書くのが知的に誠実な態度なのでしょうね。私が訂正したかったのは、近年の各シミュレーションの想定震源域が、どれもこれも明確に金華山沖以南となっているのに、「三陸沖とされる海域において」と書かれていた点と関連論点で、これはさすがに誤りだと思います。
--TommyCR 2011年6月28日 (火) 06:01 (UTC)[返信]

貞観地震に関する古事の記述の肥大について

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現在、歴史書における記述地震発生時の政府首脳等とを合わせると、相当量の古事が記述されていますが、大幅な縮小を提案したいと思います。文献の存在や、その大まかな内容を記述することは有用であると思います。しかし、原文や訓読文を合わせて記述することが、貞観地震に対する理解を深めるために要るものだとは思えません。同じく、ある時点での首脳を列挙しておくことが、百科事典の政治が主題となっていないページに求められているとは思えません。したがって、前者は現代文とのみとし、後者の節は全除去することを提案します。--彼方陣 2011年7月18日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

そうですねえ。全体として不釣合いな状況になっていることは否めません。ただし、『日本三代実録』貞観11年5月26日の条項の原文は重要なところですので、ここは原文を残した方がよいと考えます。現代文ですと解釈に諸説ある場合がありますので。--As6022014 2011年7月19日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

報告 ひとまずコメントアウトにて異論のなかった部分を編集除去しました。今後の様子を見て完全に除去を行うかどうか考えたいと思います。--彼方陣 2011年7月27日 (水) 02:55 (UTC)[返信]