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ノート:譚嗣同

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この項目には、審議 (1) (2) に基づき削除された版があります。

著作権侵害について

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上記の疑いがあるので、削除依頼を提出しました。異議がある場合、削除依頼の該当箇所へコメントお願いします。--獨頭 2007年11月9日 (金) 00:20 (UTC)[返信]

ISBN について

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「参考文献」に、蔡尚思・方行編『譚嗣同全集』中華書局、1981、ISBN 710100752、とありますが、ISBN のコードが九桁までしかありません。これは、誤記ではないでしょうか。ISBN 7101018297 と、1998年の版のは分かったのですが……。--じゆにち 2007年11月25日 (日) 04:43 (UTC)[返信]

ISBNの欠けていた部分補いました。なお、手元にない書籍のISBNを調べる時、特に国外のものを調べる時には東大や京大の図書館OPACで調べればすぐ判明します。複数のOPACで一致すれば、まず誤りはありません。--獨頭 2007年11月26日 (月) 14:28 (UTC)[返信]

削除依頼でのコメントについて

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削除依頼そのものとは、若干話がぶれるので、こちらに書きます。そもそも削除依頼提出は、フィクションか否かという点に重点を置いたものではありません。

以下本題ですが、どのレヴェルをもってフィクションというかという点について、当方は譚嗣同が縛につく直前、梁啓超から亡命を勧められ、彼が断ったと梁啓超が書き残している史料の存在、またその書かれた内容について怪しむ研究があることも、当然承知の上で、この記事の編集に参加しています。そもそもの出処は梁啓超が『清議報』第四冊(1899.1.22)に投稿した「譚嗣同伝」ですが、そこには「(梁啓超)再四強之、君曰、各国変法、無不従流血而成。今中国未聞有因変法而流血者、此国之所以不昌也。・・・」(梁啓超が何度も強く亡命を勧めると、譚嗣同は世界各国の改革において流血の事態無くして成功した例はない。今の中国の改革でも血が流されたことがないからこそ、(成功せず)国が富国強兵化しないのだ。・・・)とあり、削除依頼の原因となった一文とは異なります。梁啓超の文も十分劇的ですが、それ以上に11/28の加筆文は滑稽なほど譚嗣同のことばが装飾されていることがわかります。その意味で厳密にいうと該当加筆部分はフィクションです。

さらにいえば、梁啓超の文章ですら、革命派から作っているのではないか、と疑いがかけられたほどの代物です(胡漢民ははっきりと梁啓超と譚嗣同のやりとり自体が捏造だ述べている)。この点については本文の「評価」の部分で触れるつもりでした(11/28以前に章だけは作成してある)。梁啓超と譚嗣同の関係については、近年狭間直樹氏が論文を書かれていますが、それ以前から幾人もの研究者がテーマにしています。

以上から、11/28の加筆は二重にフィクション性が高いといわねばならず、とても百科事典に書かれるような内容ではないと判断しています(少なくともフィクションの可能性があることに触れずして書くのは、正確性という点から問題が大きい)。上記をもってフィクション性に関する回答としたいと思います。--獨頭 2007年12月2日 (日) 16:11 (UTC)[返信]

恐らくこれは私に対するコメントだと思いますので、ご返信申し上げます。私個人は11/28の加筆を「フィクション」もしくはよくある「出所不明の逸話」と見ています。獨頭さんご指摘以前にかのサイトのコピーである事から『推測』しました。しかし、フィクションは削除依頼には載りません。再加筆するのがルールです。その点から、獨頭さんの「しかも当該サイトは~」は蛇の足であって無用な軋轢を生むだけではありませんか?と申し上げたかった次第です。(まぁ浅田次郎を出してきた辺り、私も蛇の足を描いたような気もしますが・・・。)
中国の現代史は限りなく現在史に近いため、まだまだこれからの分野だと思っています。ここはご指摘の通り、「フィクションの可能性があることに触れ、『逸話』と『フィクションと指摘する声』の両方を併記」で良いのではないでしょうか(^^。--Kaba 2007年12月3日 (月) 15:02 (UTC)[返信]