ノート:論点先取
形式的な構造?
[編集]この項「論点先取」に、論点先取の形式的構造の説明として、次のような記述があります:
形式的には、論点先取の誤謬は次のような構造を持つ。ある命題 p について、— 論点先取#具体例 2009-07-25T21:10:18、履歴
- p であれば q である。
- p であると仮定する。
- したがって q である。
論点先取の議論もまたこのような妥当な推論構造を持っているという意味では「誤り」とまでは言えないかもしれませんが、論点先取の説明には全くなっておらず、ミスリーディングすぎるということではほとんど間違っているといって良いように思います。論点先取の議論であるならば少なくともqからpが合理的に推論できなくてはならず、それこそが論点先取の特徴ではないでしょうか。
なお、いちおう{{要出典範囲}}をつけましたが、出典がなくとも私が納得すれば除去にこだわるつもりはありません。--mizusumashi(みずすまし) 2010年3月31日 (水) 14:47 (UTC)
除去いたしました。--mizusumashi(みずすまし) 2010年4月18日 (日) 12:17 (UTC)
- 納得し得ないと言うことで除去されたと思いますが、同感です。加えて、具体例もそれと同じ構造ですね。三段論法の例の様に見えて、そうではないし、前提命題で「..と仮定する」とあるなら、結論も「..と仮定する」あるいは「と仮定できる」になるはずです。論証とその論証を語るメタレベルということの区別がついていない、というべきでしょう。置き換える適当な例をすぐには思いつかないので、とりあえず、疑問の提起だけを。--石井彰文(会話) 2015年9月7日 (月) 02:24 (UTC)
「関連する誤謬」の項
[編集]次のような記述がありますが,よく分かりません.
- 人を意図した全ての行為は道徳的に悪いことである。
- 死刑は、殺人を意図した行為である。
- したがって、死刑は道徳的に悪いことである。
この論証の最初の前提を、ある道徳体系内の公理として受容した場合、この推論は健全な論証と言える。最初の前提は結論よりも汎用的であるため、これを公理として認めなければ、全体として単に「死刑は悪いことだ」という主張よりも弱い論証にしかならない。
まず,最初の前提を公理として認めるかどうかにかかわりなく,この「推論」は「健全」な“推論”でしょう.確かに結論を「論証」はしませんが.上の話題と同じく,「論証とその論証を語るメタレベルということの区別がついていない」ような印象を受けます.
さらに,
これを公理として認めなければ、全体として単に「死刑は悪いことだ」という主張よりも弱い論証にしかならない
もよく分かりません.1を公理として認めなければ,全体として「死刑は悪いことだ」という“論証”にはならない」と言うべきだろうと思います.どう直せばよいのか私にも分からないのですが.いい知恵はないものでしょうか.--JJjunk ja(会話) 2023年2月25日 (土) 08:37 (UTC)