ノート:調律
記事「チューニング (音楽)」の基本方針の変更について
[編集]「調弦」が「複数の弦をチューニングすること」の意味であると考えれば、「調弦」イコール「チューニング」ではありますまい。日本語でチューニング、調弦、調律が使い分けられている現状を辞典の記述にどのように反映させるかは重要な課題と思います。ご同意いただけたら、他の部分を書き直してください。--Enharmonion 07:55 2004年2月10日 (UTC)
- 調弦=弦のチューニングではないでしょうか? まあ弦楽器は普通複数の弦を持っていますが、仮に1本でも調弦のような気がします。一方の調律ですが、ハンマーなどの調整は確かに調律師の仕事ですが、調律ではないような.... また、オルガンは調律でしょう。そう考えると、そのことによって音律が決まるチューニングのことを調律というのかな、と。--compUT/OSer 14:05 2004年2月10日 (UTC)
- 仰るとおり、調弦は「弦のチューニング」であって、「あらゆる楽器のチューニング」ではありません。ですから「調弦」イコール「チューニング」とは言えない──と書いたわけです。欧米至上主義ではないけれども、英語でこの記事を書くことを考えたらどうでしょう。私が問題提議しているのは、特定の楽器に特化された調弦と調律という『日本語の呼び名』を(リード部分に、まるで重要な話題と思わせ兼ねない形で)取り上げることが如何なものかという点です。『日本語の呼び名』は音楽上の問題ではないのだから、それなりの扱い方があるはずです。また「1本でも調弦」は仰るとおりで、単に私が触れなかっただけですが、これは議論の焦点にはならないと思います。--Enharmonion 14:19 2004年2月11日 (UTC)
- Wikipediaの他の記事の中に「調弦」や「調律」ということばがリンク付で出てきます。そのリンク先にそれぞれ「調弦」、「調律」という記事を作るよりはチューニングというより広い概念にリダイレクトすべきだと考えました。リダイレクトした以上は、最初のセクションに調弦と調律についての定義が必要だと思うのですがいかがでしょう。--compUT/OSer 11:29 2004年2月12日 (UTC)
- これで双方の主張が出尽くしているのなら、この件は解決しますね。本文ページの現在の第2文を練り直せばよいからです。あなたは『最初のセクション』に「調律」と「調弦」を載せること、私は『リード部分』で重要な話題と思わせる表現を避けることを主張してます。「定義」とは何かという点で意見の食い違いもありそうですが。--Enharmonion 12:54 2004年2月12日 (UTC)
- もうひとつの話題ですが、「ピアノの調律」という言い方が「ハンマーの調整」を含むかを焦点としてるのか、それとも「調律」が「オルガンの調律」を含むか否かを焦点としているのかが分かり兼ねます。またオルガンに付随して「音律」が出てくる点が分かりません。--Enharmonion 14:19 2004年2月11日 (UTC)
- これも定義の問題です。調律とはチューニングをすること自体がその楽器の音律を規定することになることを言うのではないかと思います。ヴァイオリンを調律といわないのは、調弦よりも左手の指によって音律が決まるからではないでしょうか。木管楽器の穴の調整を調律と呼ぶかどうかは定かでありませんが、調律と呼んでいいような気がします。そのことについて、オルガンを持ち出したわけです。一方でハンマーの調整は調律ではないと私は思いますがいかがでしょうか。--compUT/OSer 11:29 2004年2月12日 (UTC)
- 「調律」と「音律」の字面が似ていることから誤った判断をされている、あるいは誤った論の進め方をしていると想像します。「調弦」が名が体を表しているのは明白ですが、「調律」がそうとは言えないでしょう。誤解が傷を広げないうちに言っておきたいのですが、「調律」については私の編集における「調弦」とのバランスをとるために取りあえず書いたものです。その編集はあなたの記述を生かす方向で、私の提案(このページの最初)を示すためのものでした。今始まりかけている「調律」についての議論は、ピアノの調律(これをピアノのチューニングと題するべきと思うが取りあえず考えずにおきましょう)についての詳しい記事の中で生かされるべき内容で、私の提案から離れつつあります。--Enharmonion 16:16 2004年2月12日 (UTC)
Enharmonionさんのおっしゃることが大切なことだとは思うのですが、おっしゃり方が抽象的で、どうもよくわかりません。
私が思うに、確かに調弦とは特定の楽器(弦楽器)のチューニングのことですが、調律は、ピアノに限ることではないと思います。その点、オルガンのチューニングは調律と呼べると思うし、木管楽器の音孔の調整は調律と呼びうるものだと思います。一方で、ハンマーやアクションの調整は、音のピッチに関係ないのですから、調律ないしチューニングに含まれるものではないと思います。--compUT/OSer 22:30 2004年2月12日 (UTC)
- 字下げをしなかったということは、私の物言いが全体的に抽象的なため議論が噛み合ないので、仕切り直すということですね。気をつけます。いま不明な部分があれば、補足しますので指摘してください。
ピアノの調律に端を発した話題は、すでに私の提案したかった事柄から無関係な方向へ発展しているので、取りあえず打ち切りましょう。議論は記事の方向性を示すために行い、具体的な事柄は記事として書いた後で批判をした方が早道ですから(この考え方に基づいた私の論の進め方が抽象的だという印象を与える原因かもしれませんが、間違っているとは思いません)。それより私が最初に示した方向性については決着がついていると考えますが、コメントがありません。現在、上から5つめのパラグラフです。--Enharmonion 05:03 2004年2月13日 (UTC)
- いや、別に深い意味があったのではなく、字下げが深くなったので読みにくいかな、と。すみません。
- よくなったと思います。ありがとうございました。--以上の署名のないコメントは、CompUTOSer(会話・投稿記録)さんが 2004-02-13 14:00:13 (UTC) に投稿したものです。
- 情報 以上の当セクションの投稿は、2005年(平成17年)8月18日 05:44:53 (UTC)の版で主ページが「チューニング (音楽)」⇒「調律」へ改名移動される(差分/2754327)よりも以前の「ノート:チューニング (音楽)」への投稿となっています。(移動後の跡地はWikipedia:リダイレクトの削除依頼/2009年8月により2009年9月23日に主ページが[1]、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2009年9月により同年10月22日にノートページが[2]削除されました。)--Yumoriy(会話) 2024年7月30日 (火) 18:00 (UTC)
調律と音律調整
[編集]「調律」は tuning の訳語です。音律を決める作業は「調律」ではなくて「音律調整」と言います。--しまでん 2005年8月18日 (木) 05:49 (UTC)
「音律調整」
[編集]音律調整、などと言う言葉は演奏の現場で耳にしたことがありません。また、管弦楽器奏者が演奏途中に音程を合わせる行為を『調律』と呼ぶなどありえないことです。
既に他の方も指摘されていますが、ピッチを動かすことが出来ない楽器(鍵盤楽器やハープなど)のそれぞれの弦に、様々なに規則だてられ、その規則によって指定された間隔で音程を割り当てていくこと、
すなわち調律することと、演奏途中に今その時に鳴っている和音の構成などの諸条件に合わせて音程をリアルにコントロールすることは同一ではあり得ません。
"Tuning" が示す可能性のある言葉を「調律」で一まとめにした誤解ではないかと思われるのですが。--Maupon(会話) 2012年6月14日 (木) 12:17 (UTC)
- 私も演奏途中に楽器に変更を加えることなく音程を合わせる行為を「調律」に含めるとは考えられません。そのため主にその事だけを記述している「概要」節を一旦全削除させていただきます。--Kagefumimaru(会話) 2014年11月15日 (土) 10:49 (UTC)
調弦と、調律は異なる概念
[編集]調弦と、調律は異なる概念であると感じますが? いかがでしょう? どのような経緯で調弦と調律が一つのページになったのでしょう?
理由や会話経緯はわかりませんか? ピアノの調弦とは言いませんし、金管の調律とも言いません。--Muse7rock(会話) 2012年3月11日 (日) 04:07 (UTC)
- ちがう概念をひとつの「調律」の、ままにしておくのは辞典らしくない感じませんか? ここ調律のページはこのままでも
- 良いかもしれませんが、調弦からのリダイレクトは間違ったリンクだとおもいます。
- ギターの変則チューニングや、演奏の前のチューニングをやっている方、『調弦』のページを作ってください。--Muse7rock(会話) 2012年3月16日 (金) 02:00 (UTC)
- 調弦は弦楽器の調律を指す言葉です。--Kagefumimaru(会話) 2012年5月15日 (火) 00:17 (UTC)
「音律調整」について
[編集]調律、すなわち Tuning の記事において Temperament を同時に扱うことで記事内容が混乱しているように思えます。出典とされている Meffen, John 『調律法入門』 を私は読んでいないので、日本語の「音律調整」という用語の扱いの是非について強く主張することはできませんが、en:Musical tuningとen:Musical temperament のように Temperament に関する内容は音律で扱う方が妥当であると思います。また、音高が固定された楽器において「音律調整が必要」というのは誤りです。たとえば鍵盤楽器をピタゴラス音律で調律することは何ら違反ではありませんし、むしろ中世鍵盤音楽ではそれを意図していると考えられる例が見られます (Mark Lindley, "Pythagorean intonation," The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd ed. London: Macmillan, 2001)。以上を根拠に「音律調整を施すべき楽器」は存在しないと考えられるため、当該節を削除させていただきます。--Kagefumimaru(会話) 2014年11月15日 (土) 10:24 (UTC)
また同様にギターも「音律調整を施すべき楽器」ではありません。「ギターの正しい調弦法」が調整された音律に基づくものであるとは限りません。ギターを純正音程で調弦することは必ずしも間違いではありません。そのため、これに関する記述も削除させていただきます。--Kagefumimaru(会話) 2014年11月15日 (土) 10:32 (UTC)
小学館 日本大百科全書 『音律』項によれば、音律とは「音階中の各音の音程関係を規程する基準」であり「音律に応じて実際に楽器の音高を決定することを調律という」とされています。したがって「楽器を合わせ」る作業は調律であり、音律調整ではありません。ニューグローヴの "Temperaments" 項によれば Temperaments とは "Tunings of the scale in which some or all of the concords are made slightly impure in order that few or none will be left distastefully so." であり、調整されるのは音階であって楽器ではありません。これらから現在の「調律と音律調整」節の記述は誤りであると考え、これを削除します。--Kagefumimaru(会話) 2014年11月16日 (日) 07:18 (UTC)
- その本(Meffen, John 『調律法入門』)を読んでないのに、別の出典と整合が取れないからといって、出典付きの記述を削除をしてしまったらまずいのではないでしょうか? また、「調律をする」と表現されるほとんどの場面で、実際には「音律調整」がなされているのですから、この記事に入れるのはそれほど的外れではないと思います。 (厳密な意味での)「調律する(tune)」とは、純正に合わせることで、演奏の実用になるようにそこからずらす(調整する)ことを「音律調整する(temper)」または単に「調整する」と使い分けられています(この記事の元の記述とは少し違いますが)。音律調整(tempering)は音律(temperament)と切り離すことはできませんが、temperament を整えるためにする作業が temper(音律調整する)であり、これが俗に「調律する」と呼ばれているわけですから、むしろこの記事に入れた方が、調べ物をする人にとってはわかりやすい気がします。 --Puckottini(会話) 2014年12月9日 (火) 12:19 (UTC)
- Meffen, John 『調律法入門』の内容を確認せずに、出典付きの記述を削除したことは、私も問題があると考えています。しかしながら「調律(tuning)」が厳密な意味において「純正な音程に楽器を合わせること」であるとする定義は相当に問題があると考えます。一般的な音楽事典等はそのような定義を示していません。ニューグローヴによれば "Tuning" とは "The adjustment, generally made before a musical performance, of the intervals or the overall pitch level of an instrument. "とされています。また「音律」は "temperament" とは同義ではなく、そして、"temper" が俗に「調律する」を意味することはありません(中世英語にそのような用法が見られることがニューグローヴでも指摘されていますが、現代ではそのようなことはありません)。「音律調整」は文字通り「音律を調整すること」という意味で問題無いと考えられますし、それは基準である「音律」に適用されるもので、楽器に適用されるものではありえません。いずれにせよ Meffen, John 『調律法入門』の内容を確認し、その原文をここに引用し示すことをなるべく早く行うことを考えています。--Kagefumimaru(会話) 2014年12月10日 (水) 09:40 (UTC)
- 「問題がある」とお考えなら、そもそも問題を起こすべきではないでしょう。 --Puckottini(会話) 2014年12月11日 (木) 13:37 (UTC)
ジョン・メッフェン著『調律法入門 : ピアノから金管楽器まで』の記述
[編集]以下に、ジョン・メッフェン著、奥田 恵二訳『調律法入門 : ピアノから金管楽器まで』音楽之友社、1985年、 8-9頁の全文を引用し示します。
p. 8が必要になりそうだ。しかし、これらの定義から察して何らかの整備作業が、調律のため、および音律調整のために必要だとしても、それら各々には異なった種類の作業が意図されていることは明瞭である。音律調整の場合に問題になっているのは、単に機器を操作することではなく、音程間隔の音楽的諸関係を調整するという、遥かに複雑な過程なのである。前述の諸定義は、こういった調整の種類や巾についての表示は一切していないし、それらを確認する指針になる原理を述べている訳でもない。定義の中に、こういった事柄についての意味の通った論議を求めるほうが無理というものであろうが、楽器を調律しようと望むものにとって、それは欠くべからざる重要性を持つ。
『調律すること(テューニング)と音律を整えること(テンパリング)』
これらの言葉を定義しようと試みるや否や、ひとつの事実が浮かび上がってくる。すなわち、調律と音律調整という2つの言葉は同義ではないということである。しかし、それらは密接な関連を持った言葉である。調律は常に音律調整を含むとは限らないが、音律調整は常に調律を含んでいる。だが調律という言葉が便宜上、両方の操作を含んだ意味合いで用いられているので、両者の間の本質的な相違が不明瞭になってしまっている。調律という言葉は、たがいに密接な関係にはあるが、2つの独立した意味をもちうる。第1の意味は、ある楽器に備えられた機械装置を操作してそれを演奏可能な状態に持っていくことで、ここでは、特定な音楽的要素は考慮の対象から外されている。第2の意味は、純正な(この言葉には説明の必要がある)音程に楽器を合わせることによって、それを演奏可能なものにする、という内容を含んでいる。しかし、音律調整をするというのは純正でも純粋でもない音程間隔に楽器を合わせ、それを演奏可能な状態に持っていくことである。 この点を明らかにするために、前に引き合いに出した2つの楽器をもう1度考えてみるとよかろう。ヴァイオリンという楽器は調律されいる楽器であり、調律という言葉のみが唯一の正しい言葉である。なぜなら、その楽器に付属する装置は、隣り合った弦の音程間隔を純正にするために操作されるからであ
p. 9
る。すなわち、調律の定義がここでは両方とも満たされているのである。しかしギターの場合を考えてみると、調律という言葉は糸巻きを動かす操作にしか適応されない。なぜなら、隣り合った弦の音程関係は、正しく調弦された場合純正なものではなく、あらかじめ決定された異種の関係に適合されるからである。それらの音程関係は音律調整されているのである。 当該の音程関係が純正であるときのみ調律という言葉を用い、そうでないときには音律調整という言葉を用いれば、実状をより明瞭かつ正確に記述できそうに思える。今の場合ならば、ヴァイオリンには依然として調律という言葉が用いられ得るけれど、ギターは音律調整されるといわねばならなくなる。しかし、用語法がこのように変わることはまずあり得ないだろうし、実際のところ、必ずしも常に理屈にかなったものとも思えない。「音律調整する」という言葉は、たとえ用法としては正しい状態にあっても、「調律する」という言葉ほど簡単に口をついて出てこないだろう(慣れの問題もあろうが)。調律と音律調整をとの間にこのような区別をつけてしまうと、昔ながらの慣用句も変更を大いに強いられることになる。日常会話では、「to be in tune(和が保たれている)」と「to be in temper(不機嫌である)」では大いに意味合いが違おうというものである。 音の組み合わせについて述べる際に、調律と音律調整の区別をつけることは、理論的には可能ではあろうが、明瞭さを目標にしてのこの試みから生じる煩雑さは、事態を究極的にはいっそう混乱させるのみである。調律という言葉を無差別に用い、楽器によっては、音律調整も必要なのだという事実をそのまま受容するという今日風のやり方をそのままにしておいた方が、あるいは安全かもしれない。そうしておけば、調律を正しくするためには、時として音律調整を行わなければならないことが暗に了承されるのである。
『調律をするかしないか』
調律を施される楽器と、音律調整がそれに加えて必要な楽器とを分類することは容易なことのように思われようし、実際、ある程度までは簡単なことである。(引用終わり)
--Kagefumimaru(会話) 2014年12月13日 (土) 09:14 (UTC)
- 以上から「調律と音律調整」節における「厳密な」定義は本書の著者による試論にすぎないことがわかります。また著者が調律と音律調整の区別に関して非常にしつこく記述しているのは、英語には「音律」に相当する用語が存在しないためではないかと私は推測します。音律は、しいて英語で言えば "tuning system" に当たりますが、これはニューグローヴによると広義の "tuning" に含まれるとされるため、楽器を操作する「調律」とその基準である「音律」が混同される恐れが相当にあります。しかし日本語では音律と調律はもとより明確に区別された語であるため、混同する心配は無いものと考えます。参考として日本の音楽事典の『調律』の定義の例をあげます。
-
- 新訂 標準音楽辞典(音楽之友社)『調律』:楽器の音の高さを、前もって目的の音律に整えること。
- 音楽大事典(平凡社)『調律』:楽器の音の高さpitch[英]を演奏の目的にふさわしい状態に整えること。各音の高さの関係は基本的には一定の音律に従い(→音律)、その中の特定の音を特定の高さに合わせて調律の基準とする。
- これらから冒頭文に音律に関する言及が必要だと考えられるため、そのように編集を行うことを予定しています。--Kagefumimaru(会話) 2014年12月13日 (土) 09:34 (UTC)
- 調査と引用、ありがとうございます。2点確認したいことがあります。1つは、専門家しか知らない定義が、入門書で念入りに説明されるのはよくよくあることです。(試論とありますが私論のことでしょうか。いずれの意味にしろ)説明がしつこいことは、記述が筆者の私論または試論であることの根拠にはなりません。「調律と音律調整」節における「厳密な」定義が、その本の著者による試論にすぎないということは、具体的にどの文で判断されましたでしょうか。2つめは、一般的に言って、ふつうの辞書より音楽辞典が詳しく、音楽辞典より専門書の方がさらに正確で厳密に書かれる傾向があります。広い範囲をカバーするものほど、専門性や厳密さを欠いてでも、あまり知識のない読者にもわかりやすいように記述されるということです。ですから、専門書の入り口である入門書と音楽辞典で齟齬がある場合は、優先すべきは専門書の方であると考えます。併記することはあっても、記述削除までするのは乱暴だと思います。この点、いかがお考えでしょうか。--Puckottini(会話) 2014年12月16日 (火) 10:37 (UTC)
- 議論がされている中、編集が進んでいますが、合意が形成されるまで編集しないでください。私が議論に加わったのは、2014年12月9日 (火) 12:19 (UTC) です。その後、2014年12月13日 (土) 10:16 以降、合意形成もされていないのに、Kagefumimaru さんが編集を進めています。今後、合意が形成されるまで、どなたもこれ以上の編集はしないでください。--Puckottini(会話) 2014年12月16日 (火) 11:46 (UTC)
- 試論は試論です。試論であることの根拠は、筆者が「しかし、用語法がこのように変わることはまずあり得ないだろうし、実際のところ、必ずしも常に理屈にかなったものとも思えない。」と記述しているから、これが一般的に認められていない定義であること、未来においても認められないであろうことを筆者自身が自認していることからです。そして筆者がこのような試論を行ったのは「指針になる原理」が"tuning"の定義に含まれていないためであり、まさしくその原理であるところのものが「音律」として日本語の「調律」の定義には含まれています。したがってメッフェンの『調律すること(テューニング)と音律を整えること(テンパリング)』の内容は日本語の調律の説明には全く不要の内容であり、「事態を究極的にはいっそう混乱させる」ことにしかなりません。--Kagefumimaru(会話) 2014年12月17日 (水) 09:49 (UTC)
- さしあたり、それぞれの出典としての適切さについてや、記述すべき内容についての、Kagefumimaru さんや私の判断の妥当性についての議論は後回しにしましょう。次の 2 点の方が編集内容よりも重要です。第 1 に、「Meffen, John 『調律法入門』の内容を確認せずに、出典付きの記述を削除したことは、私も問題があると考えています。」としておきながら、出典のある記述を削除したこと、第 2 に、合意形成のプロセスが始まったのに、結論が出ないうちにどんどん編集を進めてしまったこと、これについてどうお考えでしょうか。このような強引な方法で進めた記述は、出典のある記述を取り除く直前までいったん差し戻し、必要なら私たち以外の参加者を募って合意形成を計るべきだと思います。--Puckottini(会話) 2014年12月17日 (水) 12:45 (UTC)
- 1)現在は出典を確認した上で当該既述を削除した状態になっています。2)合意できない点があれば述べてください。無ければ合意が形成されたものと見なされます。もし差し戻しをしても私は現在と同じ内容に編集を行うでしょう、意味がありません。--Kagefumimaru(会話) 2014年12月17日 (水) 13:44 (UTC)
- ■重要点1. 問題行動をしたと自分でも認めつつ、合意形成が始まったのにそれを無視して強引に編集を続けたことについてどうお考えかということです。それは編集内容に依存しません。Kagefumimaru さんはそれに答えていませんね。■重要点2. 合意できない点はすでに示してありまが、言葉を換えて再度示します。●主張の趣旨: 検証可能性を満たした記述だったのに、別の出典があると言うだけで、削除してしまうのはまずい。併記ならともかく、削除をしてしまったのは、中立的な観点を損なう行為です。そう述べる理由は次の疑問点からです: ●疑問点1: 音楽辞典という広く浅くカバーした図書の記述が、専門書を出典とする記述を削除(併記ではなく)できるくらい圧倒的に優越した情報だとみなしていい理由は何か。●疑問点2: まるまる削除という大胆な行為をされた Kagefumimaru さんに、その行為が正しかったと言える十分な知識的バックグラウンドはあるのか。●: 一般的に知られた定義以外に、専門分野におけるもっと厳密な定義があることがありますが、その可能性が根拠なく排除されています。『調律法入門』の記述がまったく不十分だというためには、広くて浅くカバーする『音楽大事典』よりも『新訂標準音楽辞典』よりも、当該の専門書である『調律法入門』よりも、もっと専門性の高い文献が必要となりますが、なぜそれが示されていないのか。●問題と思える一例: 『調律法入門』に、「試論である」とは書かれていないのに、Kagefumimaru さんは意図的にそう読み取っています。暗にそう書いてあるように思えたとしても、確実にそうと言い切るには弱いです。なぜなら、(1) その書籍の記述を「試論である」と指摘した、当該著者や別の調律専門家による発言が確認できないこと、(2) Kagefumimaru さんにそれを言い切るまでに判断できる専門性を持ち合わせているかどうかが確認できないことからです。全部の項目について、お答えください。 --Puckottini(会話) 2014年12月19日 (金) 08:45 (UTC)
- 重要点1:2014年12月11日 (木) 13:37の地点であなたの指摘している問題点は、私が「出典を確認していない」ということのみです。私はその後出典を確認しました。
- 重要点2:併記することは無用かつ有害であることを既に私は述べました。2014年12月17日 (水) 09:49 (UTC)の発言を参照ください
- 疑問点1:私は「音楽辞典という広く浅くカバーした図書の記述が、専門書を出典とする記述を削除(併記ではなく)できるくらい圧倒的に優越した情報だとみなして」いません。
- 疑問点2:Wikipedia:論争の解決を読んでください。個人攻撃は有効な議論の方法ではありません。
- 疑問点3:私は「『調律法入門』の記述がまったく不十分だと」いうことは何一つ述べていません。
- 問題と思える一例:1)資料の検証は誰もが行えるべきであり当該著者や別の調律専門家による発言を必要としません。2)資料の検証は誰もが行えます。その為の検証可能性です。専門性を持っていない限り検証を行えないという意見はウィペディアの基本方針に反しています。
--Kagefumimaru(会話) 2014年12月19日 (金) 10:14 (UTC)
- 異議無く一ヶ月が経過しましたので、合意が形成され議論が終了したと判断し、記事本文の議論に関する告知を除去します。--Kagefumimaru(会話) 2015年1月20日 (火) 04:45 (UTC)