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ノート:認識

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 人間にの「知覚・推論・記憶・行動の意思」をさして使うことが多い。
 人間にとって「認識と行動」は主体性・意思と同じ。  また、認識の表現には発話が使われる。 

↑これを削ってしまいました。記憶や意志が認識だというのには抵抗があります。認識の対象にはなりえるかもしれませんが。心理学かなにかの独特の用法だったら削ってしまってごめんなさい。(Setomanko 18:35 2004年2月18日 (UTC))

「知覚と記憶が推論により統合されて認識となり、それを用いて行動の為の意志が形成される。」なら解ります。Johncapistrano 18:46 2004年2月18日 (UTC)

そうですね。知覚・記憶・推論のセットで、認識になる。……と思います。
一つの試みですが、認識はそれだけではブラックボックスですから、行動・発話へ当然移行する概念だと書きたいのですが……。いかがでしょうか? Nashii
大事なのは、「意識される」という点ではないでしょうか?
私だったら「外界から得た情報が意味づけされた上で意識されることである」と説明します。で、意味づけの過程に記憶や推論が援用されると。それが行動へ移るかどうかは認識とは別次元ではありませんか?
閉じこめ症候群(四肢麻痺+頭頚部麻痺)の患者さんは何も行動できませんが、意識はしっかりしている(恐ろしい病態です・・・)ので外界の事物を認識できる(はず)ですし。Sampo 17:39 2004年2月19日 (UTC)

分野ごとで見出しを分けた方がいいかもしれませんね。情報工学の用法を書いた人がやったみたいに。私が以前書いていた版は認識論につなげようとして一般的説明というより哲学でよく使うっぽい使い方になってましたから(あんまり本格的に哲学勉強したわけではないので誤解も多いと思いますけど)。記憶や行動・発話を重視されるNashiiさんのは心理学とか教育学のつかいかたですかね?(Setomanko 00:02 2004年2月20日 (UTC))

そうそう、私はちょっと古臭いもの読んでいたので動物や機械が推論するっていうのも抵抗あるんですよね(笑)。推論(reasoning)するってことは理性(reason)を持つってことですから、動物・機械には意識はあっても理性を使用するような認識はないと考えます(人間至上主義だ・・・)。(Setomanko 00:16 2004年2月20日 (UTC))

そうですね。分野ごとに分けたほうがいいかもしれませんね。
認識論が出てくれば、哲学、とくに歴史的な意味付けは、そちらのほうにお任せ……かも知れませんね。
閉じ込め症候群……こわいですね。ゾクゾク……しますね。
行動・発話につなげる記述にしたいのは、カントの気持ちを考えてみると。いったいダレが問いかけをしたのか? という疑問になってきませんか? 
まるで独り言に答えるように「我思うゆえに我あり」確かにそうだけど、そんな必要のないことになぜいうの? 誰に質問されたの? といいたくなる。と考えたわけです。動機とか意思とかある訳です。……そこから疑問が、問いかけが……と考えたわけです。鶏が先か卵が先か? とよくにていますね。認識が先か? 因果関係が先か? でしょうか? ??? Nashii

Sampo さん、認識論は前に出しておいたほうがいいでしょう。
 歴史的に大きな意味のある認識論の見出しがあるのですから、
 認識は知覚・推論・記憶のセットで記述したほうがいいと思います。 Nashii  追伸
 それと、人間にとって「見ている」と「見えている」のちがいは無いと思います
無意識に「見る」でも対象が恋人であれば瞬時に意識されるわけで、その辺の仕組みが認識の大事なところだと思います。
それより先は、認識論なり、いまの「人間」研究の問題になるのではないでしょうか?

それは認知のはなしでしょう?Sampo 08:57 2004年2月25日 (UTC)

認知と認識の違い・境界線はどのあたりにあるのでしょうか? 
失認を調べてみました。空間失認で、人や物が見えないのにぶつからずに歩ける。
このとき「人間」というか、意識の中心は歩けるほうにはないのでしょうか? 
まあ、確かに見えているのに見えないのはその人にとっては、認識できないわけですが、
優しくするとか、保護するとか(動物の子育てのイメージで……)行動するなら、
触覚で意思疎通はできる可能性もあるのでは?
まあ、これは相手を認知できなくても、相手が喜んでいるとか、空腹とか認識できる…… 可能性は? ……と考えたのですが。見当はずれでしょうか??? Nashii

出典

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内容全般の出典がはっきりしません。--Onyx 2008年11月21日 (金) 13:42 (UTC)[返信]

宗教における認識の項目について

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「情報工学における認識」の次に、その他の項目を作成し、その中に、宗教における認識の項目を作成したいと思います。例を挙げると、プラトンは哲学者でありましたが、宗教的認識についても記しているためです。

その他  

宗教における認識

1、古代ギリシャにおける神認識

2、啓示宗教における認識

3、人為宗教(創唱宗教)における認識

4、自然宗教における認識--Tokinokawa会話2022年7月10日 (日) 20:59 (UTC)[返信]