コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:言葉狩り

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

関連項目にグイン・サーガ癩伯爵事件を追加しましたが、ちょっと意味合いが違う気がしてきました。不適当であるとのご意見が多ければ削除します。ご意見求む。Corwin 09:18 2004年3月23日 (UTC)

作品について知りませんので、病気が変えられているということで舞台が何処で描写がどうでというのは分かりませんが、不適切で修正したのなら言葉狩りと呼ぶのは不適当でしょうし、書き換えることで対応を省いたのであれば言葉狩りの典型かもしれない。経緯が分からなければ判断し難いです。ハンセン病患者から抗議されて変更のみで済ませて言葉狩りされたと著者が言っているのなら不当な例となるでしょう。Johncapistrano 09:37 2004年3月23日 (UTC)

段落の並べ方と「中立性」について

[編集]

19:41 2004年4月6日(日本時間)の版についてですが、 「と主張する者がいる」は必要ないと思います。そういう主張がなければ書かないわけですし、「という主張がある」という言い方より「者」という語が、反対の立場からの発言に感じられるので、シンプルに書くのがよいと思います。「ポリティカル=コレクトネス」の例は、最初のうちは用語言い換えの意図が広く理解されずに「言葉狩り」だと揶揄されながら、結局は男女平等につながった事実があるわけですから、性差の撤廃は社会的にマイナスだ、いう意見でなければシンプルに断定してよいのではないかと考えます。

「言葉狩り」は予め否定的な意味があるので本質を議論することにつながらないというのが最後にくるわけですから、「ポリティカル=コレクトネス」(言葉を代えると内実も変わる例)を先にして「小使いさん」(言葉を代えても内実は変わらない例)の段落を後にしても中立的な記述に代わるわけではないと思います。むしろ「小使いさん」が先で「ポリティカル=コレクトネス」が後の方が論理的につじつまが合うのではないかと思うのですが、全体を見てどう思われますか。 議論の前提として「言葉狩り」は予め否定的な意味があるので本質を議論することにつながらないという記述が真だということに同意いただけるならば 20:53 2004年4月6日の版がベターではないかと思います。
ブリキの太鼓叩き 12:27 2004年4月6日 (UTC)

ある立場からの見方をさも客観的な事実であるかのように記述するのは中立的とは言えまい。

ある立場からの見方ではなく論理のつながりの話なんですが、読んでもらえているのでしょうか?これ以上編集すると編集合戦になるので僕はしばらく編集しませんが、もう少し言葉の使い方に気をつけるべきでしょう。第三の編集者が適当な文面を考えてくれることを望みます。
ブリキの太鼓叩き 15:25 2004年4月6日 (UTC)

特定の立場からの記述と見られる場合に主語を明確にする事は中立的な観点から薦められている方法ですが、「レッテル貼り」などとして中傷する方も日本語版では多いようです。(不適切な決めつけになる場合もありますから。)間違いかもしれませんが私から見るとお二方は同じ立場で記述のし方で争っているようですが。Johncapistrano 15:35 2004年4月6日 (UTC)

争っているというのは穏やかでないですが、同じ立場で記述のし方でというの当たってますね。段落を並べ替えたくらいで結論は変わりませんが、19:41 2004年4月6日(日本時間)の版のように並べなおすと分かりにくくなると思うのです。並べ方としては

「言葉狩り」と言われながらも社会的にプラスの意味があった用語規制の例
→「言葉狩り」 という用語の主観性

と並べたほうが分かりやすいのに。

あと言葉遣いの問題ですかね。「~ではない」と書けばいいのに「~ではないと主張する者がいる」と書いたら主観的ではないですか?「者」という語は、「隠れて悪事を行う者がいる」とかそういう否定的な用法に使うほうが多いと思うのですがどうでしょう?ニュアンス程度の 違いかもしれませんが普通の百科事典だったら「~という主張もある」くらいのものでしょうか? まぁ、コップの中の嵐みたいな気もしますが、一週間くらい時間をおいたらまた考えてみようと思います。
ブリキの太鼓叩き 11:26 2004年4月7日 (UTC)

Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン  「というのは、「……と主張する」という語は、その主張が正しくなく、疑うべき理由があることをほのめかすからです。」
を読んで、やっぱりこっちのほうがいいと思ったので再び直してみました。
ブリキの太鼓叩き 15:11 2004年4月14日 (UTC)

人権侵害と糾弾叩き

[編集]

>Johncapistranoさん
人権侵害という言葉を復元されましたが、人権を侵害することは公共の福祉に反することに含まれるのではないですか?「人権侵害および公共の福祉に反していないかどうか」は重複した表現になると思います。人権侵害より意味の広い公共の福祉がこの場合適当ではないかと考えて編集したのですが。

それと規制が過剰であると考える立場からそのような用語規制という言葉がここでは 差別糾弾という意味なのでやはり重複ではないでしょうか?「揶揄して…呼ぶ」ということは「ネガティヴに表現」することと同じだと思うのですが。
べつにスペースが限られているわけでもないし、自分の表現にただ固執しているわけではないのですが、僕が行った編集の意味は汲んでいただければと思います。
ブリキの太鼓叩き 17:25 2004年4月14日 (UTC)

「こんなにひでぇ」と云う印象づけをしたいんではないですかね・・・中立的というか先入観を与える点でもどうなんでしょうか。

前半、公共の福祉(まあ利益でも)という言葉は行政や裁判所次第でどうとでも使われる事の多い・そういう意味に限って言えば人権を制限する為に使われる事の多い言葉なので寧ろ入れる必要が在ると思います。後半は書かれている意味がよく分かりません。商業メディアの自主規制と被差別者による糾弾は全く違うが意図的に混同される事も多いかと私は思いますが。何時もの如く匿名氏の書き込みは理解不能ですが。Johncapistrano 21:53 2004年4月14日 (UTC)

行政や裁判所次第でどうとでも使われる事の多い・そういう意味に限って言えば人権を制限する為に使われる事の多い言葉
「公共の福祉」がどうとでも使われる事が多いなら「人権」もそうだと思います。ここは公共の福祉という理由で人権の制限がどこまで許されるかを議論する場ではありませんが、どっちもどっちなのではないでしょうか。

商業メディアの自主規制と被差別者による糾弾は全く違うが意図的に混同される事も多いかと私は思いますが。’’
おっしゃる意味がよくわかりません。第一文で言葉狩りとは特定の言葉の使用を禁じる社会的規制と定義してありますが、メディアの自主規制も被差別者による差別用語の糾弾も社会的規制である点では同じです。 「揶揄して」いるかどうかは主観的な判断に基くと思うのであるいは差別糾弾を揶揄して言葉狩りと呼ぶ場合もある。は「糾弾」する側に立った記述だと考えられます。 ブリキの太鼓叩き 11:54 2004年4月16日 (UTC)

前半、どっちもどっちの意味が分かりません。正反対の用法に使われる言葉で一方が他方を含むと言われても・・・。 後半、纏めようとする意図は判りませんが、商業メディアと被差別者とで意図が違うものを無理に纏める必要性はないと私はおもいます。作家などと、メディアと、被差別者と、読者・視聴者とでそれぞれ視点が異なると思います。主語を明確にして記述する分にはそういった記述も必要かと思います。Johncapistrano 15:55 2004年4月16日 (UTC)

『ちびくろサンボ』について

[編集]

利用者:いぬ
事実誤認はどこからどこまでで何が正しいのですか?「ちびくろサンボ」が絶版になったことはないと主張されるのですか?間違っている部分を直してください。
ブリキの太鼓叩き 11:54 2004年4月16日 (UTC)

>ブリキの太鼓叩きさん
事実誤認は全体的なもので、短いスペースで訂正するのが困難なものでした。そこで、「絵本『ちびくろサンボ』が一斉に絶版になった事件(1988年)も一例として挙げることができる」と、少なくとも間違いではない記述に訂正したのですが、お読みにならずにもとに戻されたのでしょうか? 「事実誤認はどこからどこまでで何が正しいのですか?」と疑問を出されているにもかかわらず、このような編集をなさるのは早計だと思いますが。

ほかにも童話『ちびくろサンボ』が、その内容は黒人を貶めるものではなくむしろサンボの知恵を賞賛するものであるにも関わらず、タイトルの「ちび」も「くろ」も「サンボ」も内容も差別的だとする抗議によって一時全国で絶版になっていた事例を挙げることができる。とくに「サンボ」については事実誤認に基いた抗議であり、『ちびくろサンボ』は社内の徹底的な討論の末1999年径書房から再版されている。

という記述に関しての疑問点は以下の通りです。

  • 童話『ちびくろサンボ』というのは誰のいつ頃の著作なのか。また、どこの出版社からいつ頃出版されたものなのか?
  • サンボがリンク項目になっているが、「サンボ」とは何か?
  • “タイトルの「ちび」も「くろ」も「サンボ」も内容も差別的だとする抗議”とは、いつ頃、誰が誰に対して抗議したのか?
  • 「一時全国で絶版になっていた」の一時とはいつからいつまでか? また、全国で絶版とはどういう状態なのか?(地域を限った絶版というものがあるのか?)
  • “社内の徹底的な討論”とはどこの社内でか? また再版とは何か?

わたしはこの本に関する差別問題は結論が出ていないと認識しています。上記記述は不十分で誤解を与えるものであり、中立性の点からも疑問があります。いぬ 15:23 2004年4月16日 (UTC)

ご質問の内容を見るといぬ氏はちびくろサンボ問題についてなにもご存知ないようですが、なぜ知らないことについて事実誤認だと分かるのですか?ちびくろサンボの絵本の話は日本における差別問題で必ず出てくる有名な事件なので、それを扱ったサイトも書籍もたくさんあります。自分で調べて間違っていると思った部分は書き直してください。せめて灘本昌久の『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』やJoseph Boskinの『Sambo : the rise & demise of an American jester』くらいは目をとおして、がんばって自分で問題点を見つけてくださいね。
ブリキの太鼓叩き 13:19 2004年4月18日 (UTC)

ぜんぜん話が通じませんね。現在の記述は、“径書房から出版されていた『ちびくろサンボ』という童話がタイトルや内容が差別的であるという抗議を受けたためいったん絶版になった”、としか読めませんよ。さらに、絶版になった時期は1974年以前だととれるし、“事実誤認に基づいた抗議だったので再版された”ということは抗議が取り下げられたように受けとられると思いますが。いぬ 00:29 2004年4月22日 (UTC)

よこから失礼します。話しを見ていると、ともにこの問題は認識され、言葉狩りの説明として取り上げるのは妥当というのまでは共通と見ます。さて、問題にしているのは「この件を語るにはあまりにも要約しすぎて、欠落してる箇所がある、あるいは誤った印象を受ける」事とだと思います。この点はいぬさんが2004年4月16日15:23に指摘している部分であり、私も同じ感想を持ちました。その部分を追記した上で書くか、ただ「言葉狩り」に乗せるのはスペースを取りすぎるために、一旦「絵本『ちびくろサンボ』が一斉に絶版になった事件」として別記事にされた方がいいのかと思います。Kawara 00:54 2004年4月22日 (UTC)

この件を語るにはあまりにも要約しすぎて、欠落してる箇所がある、あるいは誤った印象を受ける
>冷静な指摘だと思います。「言葉狩り」から離れない範囲で誰にでも分かる記事にするのは難しいかもしれません。
ブリキの太鼓叩き 05:31 2004年4月23日 (UTC)

ここで戦われている流れとはちょっと違うとは思いますが、お許しください。 「言葉狩り」に限定して言えば、それは「間違い」というよりは「意味がない」と思います。 なぜなら、言葉そのものには罪はないと思うからです。 「めくら」だろうが「びっこ」だろうが、ことばそのものは単に状態をあらわしているに過ぎないのであって、それに差別的意味をつけるのは(あるいは感じるのは)あくまでもその言葉を使う人の問題です。 これを「視覚障害者」とか「肢体不自由者」とか言い換えたところで何の意味があるでしょうか? 「ちび」でも「でぶ」でも同じです。 要はそういう「身体的特徴」(という言い方自体が言葉狩り的で嫌ですが、だからといって「身体的欠陥」とは言いたくない。)に対して差別感情を持つかどうか、対象者本人に対して気遣いがあるかどうかだけの問題ではないでしょうか? そのことを解決しない限りはどのように言い換えたところで、言い換えた言葉が次々と差別用語に変わっていき、差別と言い換えのインフレーションが進んで、終いには使う言葉がなくなってしまいます。 同和用語、反共用語、人権用語、一部の宗教用語等でも同じことです。 ところでちょっと本題からそれますが、身体障害者って一体なんでしょう。 今年はオリンピックの年です。そしてパラリンピックの年でもあります。 パラリンピックって一体何なんでしょう。 パラリンピックのトップアスリートたちは私などとても太刀打ちできないようなスピードで疾駆します。 健常者よりも速く走れる障害者を障害者と呼ぶことは適切でしょうか? また、障害者に負けてしまう健常者を健常者と呼ぶことは適切でしょうか? 一方で障害者のための特別ルールの下に「健気さ」を見せ付ける嫌らしさ。 障害者の参画、女性の参画、高齢者の活用、どれも正しいけれど、建前の幻想だけを振りまく無責任な陰謀に振り回されているような。 言葉狩りをする人もそれに反発する人もどこまで本気なんだか...

「正常化」について

[編集]

 「イデオロギーによる言葉狩り」で,少し気になった箇所があったので投稿します.
 以前から感じていたのですが,日本と中華人民共和国(以下共産中国)との国交については「樹立」と称すべきではないでしょうか.「正常化」も「回復」も,あくまで共産中国の立場に立った表現であり,第三国である日本まで拘束されるべきものではありません.
 確かに現在日本政府が承認しているのは共産中国政府であり,台湾(中華民国)政府ではありませんが,だからと言って共産中国寄りの表現を日本も使わなくてはならない,ということにはなりません.国交を結んだ,という事実のみを示す「樹立」という言葉が,客観的で望ましいと思います.

表現の自主規制」への移動について

[編集]

表現において規制された事例を記載する場合「放送禁止用語」と「言葉狩り」があり、どちらにも当てはまる場合、あるいは表現自体が問題とされた可能性がある場合などを単語による規制の意味が強い「言葉狩り」「放送禁止用語」のどちらにも当てはまるらない場合があります。また批判的意味が含まれた「言葉狩り」で具体的事例を挙げるのはどうかということもあり、表現の自主規制に事例を挙げたほうが客観的であると思われたため一部移動しました。Scoot 2005年4月28日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

言葉狩りの一覧

[編集]

言葉狩りになった用語の一覧がないと、いまいち感じがつかめません。問題でもあるのでしょうか?--idea 2006年9月4日 (月) 22:55 (UTC)[返信]

同意する--119.105.234.42 2010年6月28日 (月) 05:25 (UTC)[返信]

朝鮮民主主義人民共和国

[編集]

朝鮮民主主義人民共和国を指して「北朝鮮」と呼ぶことがあたかもイデオロギーによるものでないかのように記述されていますが、「北朝鮮」というのは明らかな蔑称であり、「ソ連占領地域」と違いありません。異議がなければ書き換えます。JK Dünamo Tallinn 2006年9月16日 (土) 09:33 (UTC)[返信]

北朝鮮マスコミ、日本国民一般に使われている通称であり、アメリカ合衆国米国中華人民共和国中国と呼ぶのと同様です。蔑称というのは、あなた自身の中に差別意識のあることの証明に他なりません。それこそが言葉狩りです。北朝鮮のどこが蔑視に当たるのか合理的説明を願います。--じごくの鎌田 2008年9月26日 (金) 04:48 (UTC)[返信]

未検証テンプレートについて

[編集]

これだけ揉めそうな記事に出典が一つもないというのはあんまりだと思い、未検証テンプレートを貼りました。できれば「もっと言い換えるべき」という立場と、「言葉狩りはやめるべき」という立場の両方の出典が欲しいところですが、もし良い資料をお持ちの方がいらっしゃったらよろしくお願いします。--チャボ 2008年6月18日 (水) 20:19 (UTC)[返信]

ウィキペディアにおける言葉狩りについて

[編集]

IDを『地獄の鎌田』にしようとしたところ、地獄という語句はIDには使えないようですね。こんな馬鹿な言葉狩りをしているようではウィキペディアの明日はない様に思えます。仕方なく『じごくの鎌田』にしましたが、不本意です。同様に『おじさん』も使用できません。その理由は、こういうIDはあらしが使いたがるなどという馬鹿馬鹿しい主観的な理由のようです。一体誰がそのような基準を決めるのですか?このことによるマイナス効果のほうが明らかに大きいのが理解できないのでしょうか。明らかな表現の自由の侵害憲法違反、個人の権利の侵害です。馬鹿馬鹿しさにあきれ返るばかりです。ウィキペディアは中国共産党ですか?--じごくの鎌田 2008年9月26日 (金) 03:28 (UTC)[返信]

あ、それは中国共産党に対してあまりに失礼です。日本語版ウィキペディアの管理者はそれ以下だということです。--別冊 宝山 2008年9月26日 (金) 18:21 (UTC)[返信]
それは言葉狩りでもなんでもない、当然の措置だ。そしてその基準を決めるのは管理者だ。納得できないなら立ち去ればいい。表現の自由の侵害でも憲法違反でもないし、中国共産党とも関係ない。--Herohero2 2010年4月26日 (月) 03:20 (UTC)[返信]