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ノート:角川映画/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

書名の間違い等

>1980年代は『復活の日』、『魔界転生』、『里見八犬伝』、『キャバレー』ら大作路線の他に、スター・システムによる2本立て上映のアイドル映画を手がけ、これを主流としていく。

出典としている『「砂の器」と「日本沈没」』と『20世紀死語辞典』(『サブカルチャー世界遺産』は書名の間違い。ページ数は合致)ではこう書かれています。

さて、70年代後半、日本映画を席巻した角川映画は、『復活の日』(80)を最後に軌道修正を図る。中規模作品をコンスタントに製作し、バラエティ豊かなラインナップで安定的人気を集めた。 ひげじい「キネマの天地とハリウッドに見る20世紀の映画事情」『20世紀死語辞典』20世紀死語辞典編集委員会編、太田出版、2000年、p.276より

p.228 この両作(※引用者注 『復活の日』と『影武者』)によって大作志向にピリオドが打たれたとも言えるだろう。

p.229 この成功を踏まえ、八〇年代の角川映画は七〇年代のいたずらな大作志向とは打って変わって、(中略)言わばプログラム・ピクチャーの上質な復権を行ってみせたのだった。

p.230 ともすれば、七〇年代の大作主義のせいで邦画の質を空疎にしたと要約されがちな角川春樹だが、実は八〇年代の角川映画は自社スターによる良質なプログラム・ピクチャーを量産していた(後略)

樋口尚文『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』筑摩書房、2004年

このように1980年代の角川映画は『復活の日』を区切りに大作路線からの方向転換したことが明記されています。大作映画を作らなくなったわけではないものの、1970年代のようなそれ中心の路線ではなくなったというのです。にも関わらず「大作路線の他に」とまだ大作路線を継続しているかのような解説をこれらの出典に依拠して行うのは不適切と思われます。--124.241.162.232 2012年5月15日 (火) 10:25 (UTC)

出典を拝見しましたが、あなた自身もお認めになっているように大作は作られています。今の記事では大作は作られなくなったという風に捉えられてしまい、正確性に欠けていると思います。この出典を担保にするなら、「中心が2本立てになった」ということであり、「方向転換」を特筆すべきでないでしょう。ひげじいさんと樋口さんの主張云々関係なく、現実に大作は作られていたのですから。つきましては下記の文案でいかがでしょうか。
1980年代前半は、2本立て上映のプログラムピクチャーを中心としていく一方で[1][2]、合間に大作である『復活の日』、『魔界転生』、『幻魔大戦』、『里見八犬伝』などを製作した。自社スターをオーディションで選び、角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子渡辺典子原田知世の3人は“角川3人娘”と称され、薬師丸は『セーラー服と機関銃』、原田は『時をかける少女』がそれぞれ出世作となった。彼女らはテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した[2][3][4]また角川春樹自身がベストテン番組にかなりの敵対心を持っており[要出典]、角川3人娘がベストテン番組にランキングされても「事務所の方針」の名目で出演を辞退させた事も多かった。角川3人娘と角川映画の情報を誌面を飾る雑誌『バラエティ』も創刊して情報の発信に努めた[3]そして大作路線からの転換によって、
  1. ^ 樋口(2004)、pp.228-229
  2. ^ a b ひげじい「キネマの天地とハリウッドに見る20世紀の映画事情」『20世紀死語辞典』20世紀死語辞典編集委員会編、太田出版、2000年、p.276
  3. ^ a b 『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.98
  4. ^ 金澤誠「脱スター以降の個性派たち」『<日本製映画>の読み方 1980-1999』武藤起一、森直人、フィルムアート社編集部編集、フィルムアート社、1999年、p.155-156
--Oyuki 622会話2012年5月15日 (火) 13:19 (UTC)


>ひげじいさんと樋口さんの主張云々関係なく、現実に大作は作られていたのですから。
出典とは無関係に執筆者の見解を記述したいというなら、それは独自の研究にあたります。Wikipedia:独自研究は載せないによりWikipediaの方針で禁止されていてやっちゃダメです。
プログラムピクチャー路線の合間に「復活の日」を作ったというのは、「復活の日」で70年代大作路線を終えたとする樋口氏の見解に真っ向から反するものでしょう。なのに樋口氏を出典にそういうことを書いてはいけません。そもそもの疑問としてあなたは出典の2冊を読まれたのでしょうか? 出典の著者が言ってもいないことを編集によってあたかかも言ってるかのように改竄されてはたまりません。彼らはプログラムピクチャー路線の合間に「復活の日」「魔界転生」「幻魔大戦」「里見八犬伝」などの大作を角川映画が作っていたとは一言も書いていませんよ。そもそも「幻魔大戦」「魔界転生」が大作というのはピンと来ないし、「魔界転生」は角川春樹プロデュースではあるけど東映製作であって角川映画ではないはずです。少なくとも映連の作品紹介では東映の単独製作で著作権も東映です。角川映画予告編集のような類のDVDでも未収録の扱い。合間に「復活の日」「魔界転生」「幻魔大戦」「里見八犬伝」などの大作として作ったというのなら、それ相応の出典を出して下さい。そうでなければ先ほども書いたように「独自の研究」です。それと大作を作ったからといって、路線ではない単発的な作品をいちいち列挙していくと、「大作路線からの転換」という潮目が鮮明さを失います。あくまで角川映画の路線についてなのですから、節目となった作品以外を1作ごと書く必要はないと思われます。
Wikipediaの方針では「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は『真実であるかどうか』ではなく『検証可能かどうか』です」(Wikipedia:検証可能性)。編集に異論があるのならば、出典にない執筆者の見解を記すのではなく、別の出典に基づいて異論を書いて下さい。その場合も、一方的な見解だけを記すのではなく、Wikipedia:中立的な観点により別の見解とは両論併記となります。
ともかく出典元の原著をまず読んで下さい。そして出典を読まずに、出典と食い違う独自の研究に編集することは勘弁していただきたいです。 --124.241.162.232 2012年5月15日 (火) 16:00 (UTC)
文案には出典を担保とした箇所に、私の意見は一言も書いてませんので、今一度確認してください。では「合間に大作である『復活の日』、『魔界転生』、『幻魔大戦』、『里見八犬伝』などを製作した。」は出典を探しますので、一旦文案は取り下げます。--Oyuki 622会話2012年5月16日 (水) 05:49 (UTC)

1980年代後半以降

平成18年5月14日 (日) 22:51‎ Wing09さん追加
>1980年代後半以降は、角川映画からはかつてのイベント性やブーム性が失われ、薬師丸ら看板スターの人気に陰りが出るなど、

最新版の続き
>1985年には薬師丸ひろ子が角川春樹事務所を退社、翌1986年には同事務所自体が芸能部門から撤退して、所属する原田知世と原田貴和子、渡辺典子らが独立した。

ひろ子、知世、典子の人気に陰りが見えたことに異議を述べるつもりはありませんが、1985~1986年に独立したのなら、『1980年代後半以降』の角川映画の不振の原因にあげるのは、論理的に無理があるように思えます。
『1980年代後半以降』とは、いつ頃を想定しているのでしょうか。
--ワーナー成増会話2013年2月13日 (水) 02:58 (UTC)

映画の脚注の必要性

Oyuki 622さんの修正で脚注が復活しましたが、私は脚注は必要ないのではないかと思っています。

問題箇所

その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生[1][2]マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦[3][4]、『里見八犬伝[5][6]などを、封切り公開させている。

脚注

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  3. ^ 「作品情報」幻魔大戦”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  4. ^ 幻魔大戦”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。
  5. ^ 「作品情報」里見八犬伝 (1983年)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  6. ^ 里見八犬伝”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。

問題点

  1. なぜ各映画にはそれぞれウィキペディアのページがあるのに、わざわざ、キネマ旬報映画データベースや角川書店への外部リンクを出典とする必要があるのでしょうか?
    1. 『魔界転生』の2個目の脚注は「東映の雇われプロデューサー」の出典にはなっていません。単なる映画『魔界転生』の紹介・解説となっています。
    2. 『幻魔大戦』の1個目の脚注は「マッドハウス・東映動画と組んだ」の出典にはなっていません。単なる映画『幻魔大戦』の紹介・解説となっています。
    3. 『幻魔大戦』の2個目の脚注も同様です。
    4. 『幻魔大戦』のページには、「マッドハウス」の記述があるので、一部出典の機能を果たしています。「東映動画」に関する記述はないようです。
    5. 『里見八犬伝』の脚注は、当然、映画の紹介・解説となっています。
    6. 『魔界転生』の1個目の脚注の資料を私が所持していないので確認していません。そのため、「東映の雇われプロデューサー」の記述があることを期待して、残す方向になるのかと思っています。
  2. 角川映画#角川春樹時代の節では、『本陣殺人事件』、『八つ墓村』から『ルビー・カイロ』、『REX 恐竜物語』まで計18本の映画が文章中に登場しますが、キネマ旬報映画データベースや角川書店のページが出典となっているのは、『魔界転生』、『幻魔大戦』、『里見八犬伝』の3本のみです。他の15本の映画と同様に出典は必要ないと考えますが、いかがでしょうか。
  3. 仮に、『魔界転生』、『幻魔大戦』、『里見八犬伝』の脚注にキネマ旬報映画データベースへの外部リンクが必要だという結論になった場合、アーカイブを使用するのではなく、KINENOTEにリンクする方が良いのではないでしょうか。例えば、『魔界転生』ならば、魔界転生 - KINENOTEのように。もちろん、アーカイブにある重要な記述がKINENOTEで削除されているならば、アーカイブを使用する必要があると思います。

--ワーナー成増会話2014年4月21日 (月) 09:45 (UTC)

コメント ウィキペディア記事を出典として用いることはできません。詳しくはWP:CIRCULARをご確認ください。これら出典は当該記事前段落から「1980年代~、1本立てから2本立てに移行したが~、その一方で1本立ての製作を続け~、東映、マッドハウスらが角川映画に関わった(一部省略)」という内容と理解できます。したがって魔界転生が東映と、幻魔大戦がマッドマックスと組んだという担保に出典はなりえますので残すべきでしょう。里見八犬伝は東映と組んで製作しておらず、出典を確認した限りでは1本立てのことも触れてないようなので、必要ないかもしれませんね。KINENOTEで現在も検証可能であるなら、そちらに差し替えるのは賛成致します。ほかの角川作品にはKINENOTEを出典にしてないのだから必要ないというご主張には同意できず、当該記事の内容によって出典が必要なら付記するべきだと思いますがいかがでしょうか?--Oyuki 622会話2014年4月22日 (火) 04:45 (UTC)
コメント 利用者:ワーナー成増/下書き#返答(→当時の履歴[1])を覗いていいとのことなので拝見しました[2]。前回の説明ではお分かり頂けなかったのようなので掘り下げますが、KINENOTEの魔界転生は基本情報に製作会社:東映、スタッフに企画:角川春樹事務所、製作:角川春樹と掲載されてます。「雇われ」という文言はKINENOTEにありませんが、これを雇われと言わず何を言うのでしょうか?出典を担保に編集者が自身の文言で執筆するのがWikipediaの原則です。詳細はWP:DCPS, WP:Qをご確認ください。幻魔大戦はKINENOTEをArchieveと現在のHP見直したのですが、マッドハウスの記述ありませんね。勘違いしていたので出典を除去することには同意します。ちなみに魔界転生のもう1つの出典である本作パンフレットには、角川と原作者:山田風太郎の対談で角川が「東映に雇われた」という発言が掲載されています。--Oyuki 622会話2014年4月23日 (水) 05:16 (UTC)
コメントOyuki 622さん、回答ありがとうございました。ここまでを整理すると、3.のKINENOTEを使用する件に関しては合意形成ができました。1.と2.に関して、合意形成が出来ていない状態です。全部を一度にするのは難しいと考え、時間をかけて合意形成していきましょう。まず、
1. 『魔界転生』の2個目の脚注は「東映の雇われプロデューサー」の出典にはなっていません。単なる映画『魔界転生』の紹介・解説となっています。
に対して、回答いただけないでしょうか。
回答をいただくだけでは済まないので、手持ちの資料で「東映の雇われプロデューサー」に関する記述を探してみました。
東映の雇われプロデューサーに関すると思われる記述

前年(七八年)五月、(中略)角川春樹は東映のプロデューサーとして一作ごとに雇われ、東映作品の製作も担うことになった。その第一作として横溝正史原作『悪魔が来たりて笛を吹く』が決まり、(後略)。

(前略)第二が角川春樹個人が東映に雇われる形で、この体制で『悪魔が来たりて笛を吹く』と『白昼の死角』の二作が製作された。

(前略)山田風太郎原作、深作欣二監督の『魔界転生』だった。この映画は、『白昼の死角』等と同様に、角川春樹事務所製作ではなく、東映作品を角川がプロデュースしたもので、(後略)。

中川右介『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年。ISBN 4-047-31905-8 

残念ながら「マッドハウス・東映動画と組んだ」に関する記述はありませんでした。
「『マッドハウス』の記述があるので、一部出典の機能を果たしています。」に関してですが、私の書き方に拙い点があったようです。機能であって、脚注にした方が良いと言いたいわけではありません。お薦めいただいたWikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトには、ウィキペディアプロジェクトの記事を記事のソースとして用いることと、無検証で記事の出典にすることを禁じています。そのため、次の記述はアウトです。ここは同意します。また、私も薦めたつもりはありません。
(前提として『幻魔大戦』のページに出典ありでマッドハウス・東映動画と組んだとの記述ある場合)

×(前略)マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦[1]、(後略)。

脚注

  1. ^ 幻魔大戦

チェック (前略)マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦[1]、(後略)。

脚注

  1. ^ マッドハウス・東映動画と組んだ記述のある二次資料。
昨日までは、下記もOKなんじゃないかと思っていましたが、『幻魔大戦』のページでマッドハウス・東映動画と組んだ記述のある出典が記載されている筈なので、それを参考にして資料を入手するなりしてから、記載すれば良いだけと気付きました。だからアウトです。

×(前略)マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』、(後略)。

脚注

ここで、KINENOTEや角川書店の映画のページが、一次資料なのか、二次資料なのか?少なくとも二次資料ではないと思います。となると、一次資料ということになるでしょうか。
ウィキペディアでは、二次資料を使うことが奨励されています。(私見)それは、一次資料を引用する際に独自研究が入り込む余地があるからだと思います。
例えば、気象庁が昨日の温度と湿度(一次資料)だけを発表しているとします。それを「昨日は温度○○、湿度○○」とそのまま使う分には問題ないですが、「昨日は不快な天気だった」と記事を作成してはイケないということだと思います。いくら、この温度と湿度の組合せなら不快のはずと経験則で知っている場合で も。正しくても、独自研究は許されていないと思います。
気象予報士やテレビのアナウンサーが「昨日は不快でしたね。」と発言すれば、「気象予報士のAが昨日は不快でしたと発言した。」と記事にすることは可能だと思います。
Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料も参照のこと。
回答が遅くなり、済みませんでした。これまでに、合意形成できたもの、出来ていないものを整理して、じっくり合意形成をしていきたいと思います。
--ワーナー成増会話2014年4月24日 (木) 10:20 (UTC)

(インデント戻し) ワーナー成増さんは一次資料二次資料を勘違いなさってるようですね。当該記事(角川映画)では自社の角川映画HPは一次資料ですが、映画DBで他社でもあるKINENOTEは当該記事の二次資料になります。KINENOTEのHPを典拠にして自社KINENOTEのWikiepdia記事を執筆すれば、KINENOTEは一次資料になりますが。また一次資料を典拠にしていけないというわけではありません。たとえばAという人物のWikipedia記事を執筆するのにAの自叙伝のみを出典にしてはいけない、またはBという企業のWikipedia記事をBのHPのみを出典にしてはいけないという意味であり、一次資料が全て出典としてダメなわけではないのです。

映画やドラマのクレジットタイトル表記(出演者やスタッフなど)はこれら作品の一次資料でもあるわけですが、ワーナー成増さんの主張だと映画やドラマのキャストやスタッフを執筆する際にこれら作品の媒体(ブルーレイ、DVD)で検証できないと仰っているようなものです。一次資料と二次資料の違いや私のこれまでのコメントを今一度ご確認し直して頂けませんか?なぜ当該記事の魔界転生の件についてKINENOTEの典拠をこれだけ反対されるのか、あなたのお考えが全く理解致しかね、賛同できかねます。

尚、私の前回の返答を読んだ上でお返事頂けますか? 幻魔大戦については前回の返答でとっくに取り下げてますが。--Oyuki 622会話2014年4月25日 (金) 10:17 (UTC)

コメントOyuki 622さん、大変遅くなってすみません。2周か3周遅れのようです。
東映アニメーションのホームページを確認すると、東映動画を記事に出すなら『幻魔大戦』じゃなくて『少年ケニヤ』になるみたいです。最初にお断りしますが、私はジブリも全部は見てないし、ファースト・ガンダムも途中で見るのを放棄した程度のアニメ知識です。
だから、「マッドハウス・東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』」です。

WEBアニメスタイル小黒祐一郎のコラムから引用

(前略)劇場版『銀河鉄道999』を手がけたりん・たろう監督による大作映画である事。時代の最先端であった大友克洋がキャラクターデザインを務めている事。アニメ誌等で、金田伊功が参加しているという情報も流れていた。(中略)「角川映画」+「りん・たろう」+「大友克洋」で、ハルマゲドンを描くのだ。期待しないわけがない。

WEBアニメスタイル アニメ様365日 第127回 『幻魔大戦』前夜” (2009年5月19日). 2014年4月25日閲覧。

「マッドハウス・東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』」と書くより、「りん・たろう、大友克洋と組んだアニメ映画『幻魔大戦』」だと思います。

(前略)この作品のために、プロジェクト チーム・アルゴスという新しいチームを結成し、凝った仕事を残してはいたが、まだ大手ではなかったマッドハウスと組んでいる。

WEBアニメスタイル アニメ様365日 第131回 『幻魔大戦』もう少しだけ” (2009年5月25日). 2014年4月25日閲覧。

マッドハウスの名前も出てきたから「りん・たろう、大友克洋、マッドハウスと組んだアニメ映画『幻魔大戦』」にしてもいいかなと思いましたが、
実際には、角川春樹が『幻魔大戦』の監督にりん・たろうを選び、そのりん・たろうがキャラクターデザイナーに大友克洋がいいと提案したわけで、誰かが1人で「角川映画+りん・たろう+大友克洋で『幻魔大戦』」という企画を立てたわけではない

WEBアニメスタイル アニメ様365日 第131回 『幻魔大戦』もう少しだけ” (2009年5月25日). 2014年4月25日閲覧。

角川春樹または角川春樹事務所が大友克洋をキャラクター・デザインに採用したわけじゃないし、もちろん、下請け(表現が正確じゃないかもしれないが)の「大手じゃなかったマッドハウス」と組んだ意識もなかっただろう。つまり、一番正確に書くなら、「りん・たろう、大友克洋、マッドハウスと組んだアニメ映画『幻魔大戦』」です。ただ、映画パンフレット、製作記者会見、完成披露記者会見には大友克洋も出てるだろう(未確認)から、「りん・たろう、大友克洋、マッドハウスと 組んだアニメ映画『幻魔大戦』」ぐらいなら問題ないかもしれません。閲覧者に多少のミスリードを誘いますが。2014年視点で「りん・たろう、大友克洋、 マッドハウスと組んだアニメ映画『幻魔大戦』」と書くのもありかも知れませんが、「角川春樹は凄いアニメファンだな、まだ大手じゃなかったマッドハウス に、ワザワザ『幻魔大戦』を作らせたんだから」「嘘つくなよ」「だって、ウィキに書いてあるよ」と新たな都市伝説を作ることになりそうです。りん・たろうを『角川映画』の本文で取り扱うのはアリだと思います。継続的に角川アニメと関わっているからです。マッドハウスは避けるべきかもしれません。『角川映画』より『幻魔大戦』のページに書くべきでしょう。もちろん、『角川映画』のトリビアを作るなら、書いても良いと思いますが。
回答が遅れてるのに、厚かましいですが、現在、ベストと思われる記述を提示していただけないでしょうか。--ワーナー成増会話2014年4月25日 (金) 13:48 (UTC)
コメントOyuki 622さん、連投すみません。現在、ベストと思われる記述を提示していただいて、暫定的な合意が成立するなら、それを公表しましょう。少なくとも、現在の明らかに誤りのある記述よりは、正確になると思うので。--ワーナー成増会話2014年4月25日 (金) 14:02 (UTC)
今までのコメントでとっくに私の考えは表明してるですが・・・。一向にご理解頂けてないようで残念です。端的に申し上げると、
  1. 魔界転生は現状のまま[3],[4]
  2. 幻魔大戦は出典除去に同意[5]
  3. 里見八犬伝も出典除去に同意[6]
以上です。新たにあなたが付記する出典やそれに伴う当該記事編集は魔界転生以外は反対してないということです。これでお分かり頂けましたでしょうか?--Oyuki 622会話2014年4月25日 (金) 14:55 (UTC)
Oyuki 622さん、話が通じなかったようなので、暫定案を作成してみました。
(修正前)
その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生[1][2]マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦[3][4]、『里見八犬伝[5][6]などを、封切り公開させている。

脚注

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  3. ^ 「作品情報」幻魔大戦”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  4. ^ 幻魔大戦”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。
  5. ^ 「作品情報」里見八犬伝 (1983年)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  6. ^ 里見八犬伝”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。


(暫定案1)
その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生』、マッドハウス・東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』、『里見八犬伝』などを、封切り公開させている。
  • 1本立て映画は『魔界転生』・『幻魔大戦』・『里見八犬伝』
    さすがに、これを誤読する人はいない。
  • アニメ映画は『幻魔大戦』
    こう読めるのは角川映画を見ていた人。『里見八犬伝』が時代劇だと知ってる人。
  • アニメ映画は『幻魔大戦』・『里見八犬伝』
    21世紀生まれの人がこう読んでも仕方ない。
だったら、『里見八犬伝』の前に時代劇と付ければいいやと思ったが、
(暫定案2)
その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生』[1][2]マッドハウス・東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』、時代劇『里見八犬伝』などを、封切り公開させている。

脚注

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ キネノートへのリンク。合意形成が済んでいないところ。
  • 東映の雇われプロデューサーとして製作した映画は『魔界転生』
    こう読めるのは相当角川映画に詳しい人。
  • 東映の雇われプロデューサーとして製作した映画は『魔界転生』・アニメ映画『幻魔大戦』・時代劇『里見八犬伝』
    こう誤読されても仕方ない。
「"東映の雇われプロデューサーとして"の脚注が『魔界転生』にしか付いてないんだから、気付くはず。誤読した方が悪い。」と言い切れるでしょうか。
そこで、注釈に逃げる方法と「列挙は中点のルール」を適用すると、
(暫定案3)
その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、『魔界転生』[3]マッドハウス・東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦』・『里見八犬伝』などを封切り公開させている。

脚注

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ キネノートへのリンク。合意形成が済んでいないところ。
  3. ^ 東映の雇われプロデューサーとして製作した[1][2]
こんなかんじになるのでしょうか。
--ワーナー成増会話2014年4月26日 (土) 00:31 (UTC)

(インデント戻し) 全く歩み寄ろうとしないあなたの姿勢が残念でなりません。全ての暫定案に反対。下記案なら合意。

~、自社雑誌『バラエティ』を1977年に創刊して情報の発信をしていた[1]。 その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、1981年の『魔界転生』は東映の雇われプロデューサーとして参加した[2][3]。そのほかの1本立て作品として、~。
  1. ^ 『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.98
  2. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  3. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. KINENOTE. 2014年4月26日閲覧。

そのほかの1本立て作品として、~」以降に幻魔大戦なり里見八犬伝をワーナー成増さんがご随意に執筆されたらいかがですか?

既に申し上げてることですがいまだにご理解されてないようなので、3回目になりますが改めて記しておきます。

  1. 魔界転生のKINENOTE出典は除去する正当性が全くないため、賛同できません。
  2. 幻魔大戦と里見八犬伝の件はあなたの編集にお任せします。--Oyuki 622会話2014年4月26日 (土) 04:37 (UTC)
Oyuki 622さん、回答が遅くなってすみません。
問題点はありますが、暫定的に反映することを拒むものではありません。
問題点
  1. 『魔界転生』脚注の独自研究
  2. 雇われプロデューサーとして参加した映画が『魔界転生』1本しか無いように読める。(ミスリード)
  3. 「その一方で」の「その」が指し示す物(プログラムピクチャーを量産)から文から遠い。もっと近づけても良いのでは。(好みの問題かな。)
1980年代は、『復活の日』を最後に大作一辺倒の路線から転換して、スター・システムによる2本立て上映のアイドル映画を中心に、プログラムピクチャーを量産するようになる。一本立ての文をここに堂々と書いてしまう手もあるのでは)オーディションで選び、角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子・渡辺典子・原田知世の3人は角川3人娘と称され、(後略)
>「そのほかの1本立て作品として、~」以降に幻魔大戦なり里見八犬伝をワーナー成増さんがご随意に執筆されたらいかがですか?
とのことですが、
先輩A「1970年代に創業した『中華料理 角川』は、開業当初はフカヒレやツバメの巣の様な高級料理(大作映画)を出していましたが、1980年代からは安価なラーメンと餃子のセット(アイドル映画を中心にしたプログラムピクチャー)を主力とする方針に変更しました。」先輩B「中華丼やチャーハンのような単品料理(1本立て映画)もあったじゃないか。レバニラもカレーライスも。」後輩C「結局、なんでもある、特徴のない普通の中華料理店だったってことですか」先輩A「(ぼやき)店を特徴づける看板料理と、メニューに載っていただけの料理とは違うと思うんだけど(ぼやき終わり)」
124.241.162.232さんの
「復活の日」「魔界転生」「幻魔大戦」「里見八犬伝」などの大作として作ったというのなら、それ相応の出典を出して下さい。そうでなければ先ほども書いたように「独自の研究」です。それと大作を作ったからといって、路線ではない単発的な作品をいちいち列挙していくと、「大作路線からの転換」という潮目が鮮明さを失います。あくまで角川映画の路線についてなのですから、節目となった作品以外を1作ごと書く必要はないと思われます。
に8割9割賛成です。「脚注じゃダメかなぁ」とか、「シンプルな1行でも許されないかな」が、残りの1割、2割。
内容というか、記述の要不要に関しては、ほぼ完成してるかに見える『角川映画』のページの作成に直接関与していない私は部外者なので、発言権がないようにも思えるのです。明らかに、間違った記述の訂正・削除なら関与しますが、文章全体の意味の流れのような部分に関しては、皆さん程には熱心になれないのです。 事実、角川に関する本なんて、『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』しか持ってないし。そもそも、発端は脚注がリンク切れを起こしていたのを"リンク切れ"と指摘したところから始まっています。映画の脚注にキネマ旬報映画データベースへのリンクを使うなんて、かなりユニークだなと。映画が存在することの証明なのかなとか。
そろそろ第三者の方の参加をお願いする方がよいでしょうか?以上、よろしくお願いします。--ワーナー成増会話2014年4月27日 (日) 08:03 (UTC)

(インデント戻し) コメント依頼提出しました。恐れ入りますが、議論の焦点を絞ってもらえませんか?

  1. 本件では大作云々のことは議論されてこなかったのに闇雲に何の話ですか?そして本件の1本立てと70年代後半の大作路線は全く関係ないのに何を仰りたいのですか?別節で過去行われた議論と本件は全く関係なく、過去の議論を持ち出して何がいいたいのでしょうか?
  2. あなたが幻魔大戦と里見八犬伝については新たな出典で執筆したいのでしょう?あなたが言い出したことで熱心になれないとはどういうことでしょうか?
  3. 中華料理店のメニューの例えも意味不明、論点をごちゃ混ぜにしすぎです。魔界転生のKINENOTE出典をどうするかでしょう、論点は?
  • ワーナー成増の主張
「東映の雇われプロデューサー」の出典にはなっていない、当該作品の記事のlkでいい[7][8]
  • Oyuki 622の主張
ウィキペディア記事は出典不可→WP:CIRCULARを参照[9]。KINENOTE出典の魔界転生は基本情報に製作会社:東映、スタッフに企画:角川春樹事務所、製作:角川春樹と掲載され、「雇われ」という文言はKINENOTEにないが、雇われて参加していたことを示している。出典を担保に編集者が自身の文言で執筆するのがWikipediaの原則。詳細はWP:DCPS, WP:Qを参照[10]
  • ワーナー成増の主張
KINENOTEは当該記事の一次資料で不適切[11]
  • Oyuki 622の主張
映画DBで他社でもあるKINENOTEは当該記事の二次資料[12]
  • ワーナー成増の主張
映画DBを典拠にするのはユニーク[13]

と、ワーナー成増さんの今迄の主張は以上のように二転三転して何が仰りたいのか全く分かりかねるのですが?

これから5/6迄は回答に日数を頂くときありますのであらかじめご了承ください。--Oyuki 622会話2014年4月27日 (日) 09:46 (UTC)

Oyuki 622さん、回答が遅くなってすみません。コメント依頼、ありがとうございます。
分かりづらいということなので、3点に絞りました。
これが修正前の問題のある文と脚注です。
その一方で角川春樹は1本立ての製作も続けており、東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生[1][2]マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦[3][4]、『里見八犬伝[5][6]などを、封切り公開させている。

脚注

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川映画 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  3. ^ 「作品情報」幻魔大戦”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  4. ^ 幻魔大戦”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。
  5. ^ 「作品情報」里見八犬伝 (1983年)”. キネマ旬報映画データベース. 2012年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月16日閲覧。
  6. ^ 里見八犬伝”. 角川映画. 2012年5月16日閲覧。


マッドハウス東映動画と組んだアニメ映画『幻魔大戦
1. これは、既に脚注も「マッドハウス」・「東映動画」も削除することで合意形成ましたが、(理由は、東映動画は『幻魔大戦』に関係していないし、角川側が マッドハウス組んだ意識もなかっただろうからです。もちろん、出典はめちゃくちゃです。)なぜ、このような間違いを記述することになったのか、理由を聞きたいのですが?適切な二次資料を使わずに記事を書いたからではないでしょうか?
現状、間違った情報が記載されたページが公開されていることを、どの様に思いますか?
2.独自研究
東映の雇われプロデューサーとして『魔界転生』

KINENOTE の魔界転生は基本情報に製作会社:東映、スタッフに企画:角川春樹事務所、製作:角川春樹と掲載されてます。「雇われ」という文言は KINENOTEにありませんが、これを雇われと言わず何を言うのでしょうか?出典を担保に編集者が自身の文言で執筆するのがWikipediaの原則で す。
— User:Oyuki 622さん

基本情報
製作会社:東映
企画:角川春樹事務所
製作:角川春樹
この情報で分かるのは、「製作会社:東映」、「企画:角川春樹事務所」、「製作:角川春樹」という事実以上でも、以下でもありません。「雇われプロデューサー」というのは、Oyuki 622さんの独自の研究意見です。なぜ、雇用関係が分かるのでしょうか。それは、「空が青い」と同じように説明がいらないものでしょうか?
検証可能性は保たれているでしょうか?映画関係の方が、「製作会社:東映」、「企画:角川春樹事務所」、「製作:角川春樹」ならば、「雇われプロデューサー」になるという二次資料が、何処かに存在しているのでしょうか?出典を提示していただけないでしょうか?
3.(これは今回追加したものです。)1980 年代に公開された『スローなブギにしてくれ』(1981年)、『化石の荒野』(1982年)、『オイディプスの刃』(1982年)、『花の降る午後』 (1989年)も1本立てなのに、なぜ落とされているのででしょうか?Oyuki 622さん個人の意見で映画を選択しているのではないですか?映画の選択基準を明らかにして下さい。出典があるのでしょうか?
私が今出来るアドバイスは、一旦、該当行を削除することです。出典となる二次資料を入手したら、堂々と復活させれば良いのではないでしょうか。GW明けに、またお願いします。--ワーナー成増会話2014年4月29日 (火) 01:25 (UTC)
Oyuki 622さん、連投すみません。該当行を一旦削除します。問題がある場合は、ロールバックして下さい。以上、よろしく、お願いします。--ワーナー成増会話2014年4月29日 (火) 01:32 (UTC)

(インデント戻し) コメント 議論中に本文を除去してしまう行動に正直驚きました。WP:DRにもある通り、論争が起きている最中にご自身の主張を一方的通そうとする編集行為は強引すぎでしょう?おまけにあなたのほうが第三者に仲介してもらいたいと言い出し、コメント依頼も提出してるのにその行為はまずくないですか? 加えて本件で論点となっている出典以外の典拠もあるのに除去行為は理解に苦しみます。コメント依頼してるので1週間は様子見ますが、魔界転生の部分は別の典拠がある以上、その後復帰しますことはあらかじめお断りしておきます。

さて、議論がどんどんずれていき、ワーナー成増さんの見当違いなご質問でありますが、一通りお返事します。

1については、既に勘違いしてたと認めて出典を除去することに4/23に同意してるのですが[14]、これ以上何を追及したいのでしょうか? おまけに幻魔大戦以降の編集はあなたにお任せすると何度も申し上げてるのに[15][16]、「なぜ、このような間違いを記述することになったのか、理由を聞きたいのですが?適切な二次資料を使わずに記事を書いたからではないでしょうか?」と、まるで間違いは許さずいつまでも追及されるというならWP:POINTにも抵触するので、あなたの議論姿勢を別途コメント依頼します。これ以降このような発言は慎んでください。

2の「KINENOTEの出典だけでは雇用関係が分からない」と仰ってますが、魔界転生の製作会社は角川春樹事務所でなく東映であり、スタッフも言うに及ばす俳優もみな製作会社に雇われてると考えるのが自然ですが。ここを見て雇用関係がわからないというご主張には理解に苦しみます…。製作会社が東映と角川春樹事務所(角川映画)となってれば角川も出資してるといえますが、調べてみたらスローなブギにしてくれが該当しますね[17]。KINENOTEは検証可能な二次資料であり、百歩譲ってKINENOTE出典を使わないにしても、魔界転生のパンフレットにも掲載されている山田風太郎と角川春樹の対談で角川が「東映に雇われた」と発言し1本立ての公開についても掲載されています。ワーナー成増さんが何をそんなにKINENOTE出典を拒まれてるのか分かりかねます。これまでワーナー成増さんのご発言は「KINENOTEの出典は必要ない」→「雇われという文言がない」→「二次資料じゃない」→「映画DBを出典に使うのはユニーク」と変転し、しまいには「独自研究」ですか(苦笑)?問題あるなら、始めから指摘すれば済むことでしょう?ご主張に一貫性が感じられません。

当該記事は角川春樹が映画プロデューサーとして関わった歴史を記している以上、他社と組んだことは(雇われるという形も含めて)十分特筆すべきことだと思います。1980年代に角川春樹が大作路線から2本立てやアイドル路線で映画製作したのは典拠がある通り一向にかまいませんが、1本立てや他社と組んで映画製作を並行して行っている以上、件を除去するのはWP:NPOVWP:SUBSTANTIATE)に反しています。一方の視点(2本立てとアイドル路線)のみから執筆するのでなく、もう一方の観点からも編集するのが中立的でしょう。ちなみに幻魔大戦はマッドハウスのHPには製作協力と掲載されてるのがありましたworks→1983~1986年公開作品。これまで幻魔大戦はKINENOTEと角川映画HPの出典ではマッドマックスと組んでいることがわからなかったため、出典を除去して構わないと申し上げてきました。しかし出典がみつかったので「マッドハウスに製作協力してもらい(ここの表現は他にもいろいろあるでしょうが)」、魔界転生と合わせて1週間後に復帰させます(別案が出てくれば、検討には応じます)。

2の「1980 年代に公開された『スローなブギにしてくれ』(1981年)、『化石の荒野』(1982年)、『オイディプスの刃』(1982年)、『花の降る午後』 (1989年)も1本立てなのに、なぜ落とされているのででしょうか?Oyuki 622さん個人の意見で映画を選択しているのではないですか?映画の選択基準を明らかにして下さい。出典があるのでしょうか?」ですが、単にこれらの作品に気付かなかっただけのことです。私が執筆しないと何か問題があるのでしょうか?特筆すべきならそう思ってる方が加筆すべきであって、これまでこれら作品を加えられた時に私は除去していません。そしてこれらを加筆することに賛成も反対も何の意思表明を私はしてないにも関わらず、「(作為的)に落とした」と見当違いな難癖をつけるのはやめてくれませんか?内容に漏れがあったり間違いがあれば、訂正していくのがWikipediaでの編集者としての姿勢だと思いますが。

以上ですが、少し落ち着いて議論してくれませんか?しばらく回答されないということなのでWP:DRWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことWP:NOT#ORWP:NORWP:NPOVや、既にアドバイスしてますが一次資料と二次資料の違いなど、これらをよく理解したうえでお返事お願いします。--Oyuki 622会話2014年4月29日 (火) 07:19 (UTC)

Oyuki 622さん、毎度、回答が遅くなってすみません。気分を害されているようで、非常に残念です。私の書き方にも問題があったようです、すみませんでした。詳細な回答は、ゴールデンウィーク明けにでも、書かせていただきます。良いゴールデンウィークを。--ワーナー成増会話2014年4月30日 (水) 22:05 (UTC)

(インデント戻し) コメント 一週間以上経過し、第三者のコメントもつかなかったので前回申し上げた通り、ワーナー成増さんが除去された内容を表現と出典を変えて以下のように復帰しました。


~の発信をしていた[1]

その一方で角川春樹は1本立ての製作を80年代以降も続けており、東映の雇われプロデューサーとして参加した1981年の『魔界転生』と[2][3][4]マッドハウスを製作協力に迎えた1983年の『幻魔大戦』は[5][6]、それぞれ配給収入で10億円以上を記録し[5][4]、同年末の『里見八犬伝』は1984年の配給収入で邦画1位の23億2千万円を計上している[7]

こうして~。
  1. ^ 『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.98
  2. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川春樹事務所 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  3. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. KINENOTE. 2014年4月26日閲覧。
  4. ^ a b 1981年(1月〜12月)”. 過去配給収入上位作品(配給収入10億円以上番組). 日本映画製作者連盟. 2014年5月10日閲覧。
  5. ^ a b 1983年(1月~12月)”. 過去配給収入上位作品(配給収入10億円以上番組). 日本映画製作者連盟. 2014年5月10日閲覧。
  6. ^ 幻魔大戦”. works→1983~1986年公開作品. マッドハウス. 2014年5月10日閲覧。
  7. ^ 1984年(1月〜12月)”. 過去配給収入上位作品(配給収入10億円以上番組). 日本映画製作者連盟. 2014年5月10日閲覧。

『里見八犬伝』はこれまで除去しても構わないと言ってきましたが、1984年の邦画1位だったことは特筆性があると思い、やはり復帰させることにしました。ワーナー成増さんからご提案があった80年代の1本立て作品も加えることも検討しましたが、日本映画製作者連盟のHPの各年配給収入一覧にないので特筆するべきことでもないと思い、入れるのをやめました。ちなみにワーナー成増さんのご提案作品は、新たな出典で書き加えることに反対しているわけではございませんので、念のため。ただしその加筆された内容が特筆すべきことでもなければ疑義を示すかもしれませんけど。前回の繰り返しになりますが、復帰させた内容は一方の観点からでなく、逆方向からの観点を執筆したものでその内容はWP:NPOVWP:SUBSTANTIATE)に基づいて書きました。まずはお知らせまで。議論が必要なら引き続き対応はします。--Oyuki 622会話2014年5月10日 (土) 08:44 (UTC)

Oyuki 622さん、遅くなりました。すみません。第3者の方に入っていただけると大変良かったのですが。
一応参考の調査として、映画会社脚注調査の表を作ってみました。
映画会社脚注調査
映画会社 脚注総数 注釈 出典 映画データベースが出典
東宝映画 (企業) 2 0 2 0
東宝 2 1 1 0
東映 49 2 47 0
松竹 0 0 0 0
キネノートに限らず、映画データベースを脚注(出典)としているケースはありませんでした。
何か誤解されているようですが、私の意見など参考にする必要はないんです。あくまで、出典の資料に「角川春樹(または、角川春樹事務所)が『幻魔大戦』の製作協力にマッドハウスを迎えた」と書いてあれば、そう書いていただければ良いだけです。独自研究でも自分の意見でもない文を書けば良いだけの話です。私が独自研究?と疑いを掛けたら、「この出典の資料に書いてあるんですけど。」と反論してくれれば、「変な疑いをかけて、すみません。」と私は退散します。ただ、それだけの話なのです。
言い方を変えると、出典を丸写しではなく(著作権の絡みかな)、それでいて、出典の内容を歪曲せず、独自研究や書き手のウィキペディアンの意見を入れずに書くことだけの話なんですが。
つまり、出典ありきの記述に徹することだと思います。
--ワーナー成増会話2014年5月11日 (日) 07:01 (UTC)
Oyuki 622さん、連投になります。キネノートが脚注の出典なら、おかしくないかもしれません。
その一方で角川春樹は1本立ての製作を80年代以降も続けており、東映の雇われプロデューサーとして参加した1981年の『魔界転生[1][注 1]

脚注

  1. ^ 雇われプロデューサーだった証拠に、企画:角川春樹事務所、製作:角川春樹、製作会社:東映となっている[2]

出典

  1. ^ 「あなたは魔界を信じますか? 角川春樹 山田風太郎 特別対談」『パンフレット魔界転生』、角川春樹事務所 / 東映、1981年6月6日、21頁。 
  2. ^ 「作品情報」魔界転生 (1981)”. KINENOTE. 2014年4月26日閲覧。
以上、よろしくお願いします。
--ワーナー成増会話2014年5月11日 (日) 11:52 (UTC)
コメント 何の調査かわかりませんが、Wikipedia日本語版で映画DBを出典にしてはいけないというルールがあるのでしょうか?これまで繰り返し申し上げてきましたが、映画DBは当該記事において立派な二次資料です。それに今度は脚注ならいいというご主張に変更ですか?もう滅茶苦茶ですね、あなたの論理は…。そもそも脚注が良くて、本文ではいけないという具体的な説明がまったくないのですが?ワーナー成増さんは今までのご自分の発言を今一度見直したほうがいいですよ。あまりにもご主張がころころ変わりまくりで私は唖然としています…。--Oyuki 622会話2014年5月11日 (日) 12:52 (UTC)
報告 基本情報の製作会社とスタッフの企画・製作をスクロールしないと表示されないのでKINENOTE出典にworkフラグを追加しました[18]。スクロールボタンが表示されておりここまで丁寧に表記するのも如何なものかと思いましたが、これなら誰でも容易に検証可能でしょう。--Oyuki 622会話2014年5月12日 (月) 01:34 (UTC)