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ノート:規範文法

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[PDF]規範的言語観と文法 - 日本英語英文学会。http://www.jaell.org/gakkaishi25th/shibusawa.pdf。「第一に、そして最も重要なことは、言語学は記述的であり、規範的ではないということである。言語学者は、現実に話されていることに興味を持ち、かく話されるべきだと考えられることには関心を抱いていない。言語をそのあらゆる側面から記述するが、正しさの規定を定めることはない。何か絶対的な規定が存在し、それを守るのが言語学者や学校の教師、そして文法書や辞書の義務であるといったような誤った考えが一般にある」。これが「独自研究」ですか?13歳のハローワークでもおもいっきり「語学と言語学は違う」と書いてありますが、こういったものも「独自研究」なんですか?お答えください。--TDKRKUJ会話2017年9月10日 (日) 14:47 (UTC)[返信]

「かく話されるべきだ」は連体形「べき」の後に用言「だ」が来ている時点で規範に反していたりします(笑)。正確には「かく話さるるべし」「かく話さるべし」「かく話されるべきものである」とかいった表現になるはずですが、この「規範」というものが、どこに依存しているかという話にはなります。
こと日本の人間関係においては、「ペルソナ(仮面)」において「規範」というものが成立するので、「ロン」「ヤス」のような場合の「規範」とは別枠なのですよ。今上天皇陛下に対しては、まず「陛下」と「臣下」という関係性があり、ペルソナを架け替えることによって「ナルちゃん」になるのはOKであっても、公式の場でいきなり「ナルちゃん」は親族においても NG でしょう。
たとえば『釣りバカ日誌』において、「鈴木社長」と「浜崎くん」と関係と「スーさん」「師匠」の関係は、双方に「ペルソナの架け替え」があることを前提としています。
こうした背景があって、「ペルソナとペルソナ」の関係性によって「規範」が成立するわけで、「おやっさん」「馬鹿野郎! 会社では『社長』と呼べ!」といったお約束の会話が成立します。
「いかなるペルソナの間に、いかなる規範が成立するか」については、議論の余地があると思います。--早朝の掃除屋会話2023年7月31日 (月) 11:49 (UTC)[返信]