ノート:西原博史
下記の項目は編集と削除が繰り返されているので、ノートで合意を形成するべきだと思われます。
2001年の「サークル部室撤去問題」
[編集]なお、西原博史に関して有名なのが、2001年の「サークル部室撤去問題」である。早稲田大学では、2001年の新学生会館建設に際して、既存のサークル部室のほとんどを強制撤去する事態となり、学生らと大学当局との間で衝突が見られた。そして、この当時、西原博史は、社会科学部学生担当教務主任および新学生会館利用等検討委員として、大学当局サイドで主導的な役割を担っており、反対派の学生たちから「学生弾圧の手先」「ファシスト」として厳しい非難を受けた。彼の中心的な研究テーマが「良心の自由」であることも考慮すれば、大学教員のモラルの問題として非常に興味深い事例だろう。ただ、こうした彼への非難に対しては「大学の先生といっても、しょせんは宮仕えのサラリーマンに過ぎない。教壇の上で言っていることと、実際にやっていることとが違っていても、それは仕方のないことだ」「組織の一員なのだから、学内行政の面で、大学に貢献するのは当たり前だ。学生の権利など、イチイチ尊重する必要はない」といった反論もある。
125.201.169.81さん、218.226.246.251 さんを初め、書き込んでいる人、削除している人両者の参加を期待します。--Einsicht 2006年11月7日 (火) 06:24 (UTC)
私見を述べるなら、現在の記述のままではウィキペディアの基本方針である中立的な観点、検証可能性、独自の調査の禁止を満たしていないように思えるので、この3方針を満たすように書き換えるか、満たせない場合は削除する方がいいと思えます。以下、当該書き込みをしている人に具体的に問題点と疑問を述べてみたいと思います。
- 反対派の学生たちから「学生弾圧の手先」「ファシスト」として厳しい非難…「大学の先生といっても、しょせんは宮仕えのサラリーマンに過ぎない。教壇の上で言っていることと、実際にやっていることとが違っていても、それは仕方のないことだ」「組織の一員なのだから、学内行政の面で、大学に貢献するのは当たり前だ。学生の権利など、イチイチ尊重する必要はない」といった反論…
と書いてますが、上記の記述は何に基づいて書いておられますか?出典を教えてください。信頼できる典拠がない場合は、書かれている記事は検証可能性を有するべきであるという方針から逸脱しています。また、上記の記述を書かれた方が、当時の実体験を元に書いているとしても、独自の調査の禁止という方針に違反することになります。ということなので、出典を提示することができないならば、上記の記述は削除すべきだと思います。また中立的な観点とは、対立する意見がある際には両者に好意的に書くという内容を含みます。上記の文章の後半は、「…といった反論もある」と書いていますが、これはどうみても反論というより揶揄にしか見えません。少なくとも好意的に書いているようには見えません。
部室撤去問題の記述を書き込んでいる方にポジティブな提案もあります。「早稲田大学の2001年のサークル部室撤去問題」を百科事典に残したいのであれば、新規項目を作り、公開されている資料を元にして、中立的な観点を留意しながら、書き直されてはいかかでしょうか?この問題は一人の教員の問題というよりは、早稲田大学の学内行政全体に関わるものみたいですし、もし関係者を明示したいなら、「部室撤去問題」の項目を新たに作り、そこから内部リンクをはる方が一般的だと思います。東大安田講堂事件の項目でもそうなっています。 この問題を多少調べてみたところ、週刊誌報道などはあったようですし、「レフトアローン」という映画でも少し取り上げられているみたいです。このように公開されている資料もあるのですから、そういうものを集めたみては?もし2001年の早大の問題を百科事典に残すほどの意義があると考えているのであれば、資料集めくらいの労力を使うべきだと思います。
以上、①出典を提示して下さい、②項目を分けてみては?について、部室撤去問題を書き込んでいる人はお答えください。また削除されている人も意見があればお聞かせください。--Einsicht 2006年11月7日 (火) 07:27 (UTC)