ノート:西井菫斎
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メモ
[編集]西井菫斎、生年は『帝国絵画年鑑 現代之部』(大正2年7月第3版)777頁にあり、当文献は『日本人物情報大系第62巻 書画編2』所収。ただし月岡芳年の門人だった事には一切触れず。芳年の門人だった期間と寛斎の門人だった期間は不明。芳年の書状(芳年門人一覧)によれば明治19年頃、芳年の門人だったのは間違いないが、『帝国絵画年鑑 現代之部』には「天性画を好み夙に贄を森寛斎に執り」とある。
「現代関西書画名鑑」(大正10年1月 関西風雅会発行)に北画大家 大阪 西井菫斎、隣には京都 竹内栖鳳の名がある[1]、とあるが大正13年大阪風雅会刊行の『現代書画名鑑』の「南宗画老大家」では、竹内栖鳳の隣は寛斎門人の山元春挙となっており、当資料に西井菫斎の名は無し[2]。大正10年の『現代関西書画名鑑』については確認できていないが、三年ほどでその評価も変わったのか。同じ大正10年刊行の『大正十年帝国絵画番付』でも竹内栖鳳の隣はやはり山元春挙であり、西井菫斎の名は無い。--ものぐさたろう(会話) 2022年9月28日 (水) 00:55 (UTC) 訂正--ものぐさたろう(会話) 2022年9月28日 (水) 01:01 (UTC)