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ノート:藪 (蕎麦屋)

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蕎麦つゆについてNekosuki600さんが繰り返す落語云々の記述について

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Nekosuki600さんが記述を繰り返す、[1]

特に並木藪蕎麦のそばつゆはこの特徴が顕著である。「死ぬ前に一度、つゆをたっぷりつけて蕎麦を食べたかった」と言ってこときれる話が落語の十代目金原亭馬生の「そば清」の枕で使われて有名になったが、藪蕎麦のそばつゆでそれをやるとかなり塩辛い。蕎麦湯で割ってつゆを飲み干すためには、供されたそばつゆを全部椀に入れない方が良いくらいである。

という内容について、僭越ながらリバートいたしました。無意味なリバート合戦はしたくありませんので、ノートに歩み寄りの場を設けさせていただきます。 ご存知でないかもしれませんが、Wikipediaは「方針に同意し、一定の知識や筆力があるひとが、百科事典作りという目的の範囲内でのみ、執筆を許される百科事典」です。 「日本文化(=^_^;=)がわかっていないやつ」が執筆を許されないのかはよくわかりませんが(笑)。 ご自分の個人的な好みや知識披露欲にもとづいた余談や豆知識、話の脱線は残念ながら通例としてあまり歓迎されていません。 並木藪蕎麦の項目から金原亭馬生そば清の話に至る必要性はあるでしょうか? 金原亭馬生そば清の話は、並木藪蕎麦を基とする話なのでしょうか? 「あってもなくてもいいのなら、あってもいい」という考えがあるとしたら、私は「なくてもいい」と考えます。 ご自分で謙遜されるほど素晴らしい記述だとお思いなのであれば、せめて蕎麦の項目に記述の場を伺ってみてはいかがでしょうか? Nekosuki600さんがネット界でどの程度の経験をお持ちの方かは存じ上げませんが、一度、Wikipediaの方針をお読みになる事をおすすめいたします。 --Headinner 2008年3月17日 (月) 15:46 (UTC)[返信]

伺いたいのですが、この落語の話をご存知でしょうか。そして、それがどの程度にポピュラーであるかをご存知でしょうか。ご存知ないのだったら手出しは無用。
どうやらこのエピソードは、古典落語の中に含まれている話であるという誤認が広まっているようです。しかし古典落語の中には見出せないのですね。で、「本体にはいっている話ではなく枕に振られた話として広まったものである」ということを付け加えておくことはマイナスにはならんだろうと考えたわけですが。
金原亭馬生そば清の話は、金原亭馬生が並木藪蕎麦の蕎麦を食って思いついた話ではないでしょう。しかし、江戸蕎麦の伝統を引き継いで誕生した話であると言う分には問題ないと思います。というか、「江戸蕎麦」を起源として、「並木部蕎麦のそばつゆ」と「金原亭馬生の話の枕」が並立して誕生したのであり、「並木藪蕎麦が金原亭馬生の話の枕の起源になった」とあなたが解しておられるのであれば、それはあなたの読解力の問題かと存じます。ま、読解力に問題がある方にも正確に理解していただける文面を考えるということは重要な作業であると考えますが、それは後日じっくり考えた上で対処したいと思います。--Nekosuki600 2008年3月17日 (月) 16:03 (UTC)[返信]
項目は記述除去段階で保護されました。私の言っている事が少しでも理解できたのか不明なのですが、Wikipediaは書きたい事を書く場ではないという事を肝にしっかり銘じておいて下さい。--Headinner 2008年3月17日 (月) 16:07 (UTC)[返信]
書きたいこととかそういう話をしているつもりは全くないのだが。また、保護されたのがどの版であるのかというのは、どの内容が望ましいと管理者が判断したとかいう話とは全く関係がありません。--Nekosuki600 2008年3月17日 (月) 16:16 (UTC)[返信]
  • Headinner さまのご意見に反対)リバートの応酬は勧められませんし、毎度のことながら Nekosuki600 さまの要約欄のお言葉も問題なしとは言えない点もございますが(苦笑)、ここでは Nekosuki600 さまのご意見を支持せざるを得ません。本項目に明記されている通り、藪蕎麦の特徴が「江戸の風情を強く残す、からいそばつゆ」であることに異論はないはずです。とすると当然出てくるはずのこの小咄は、本項に的確な記述だと考えます。◆かんだやぶそばを本家とする暖簾会「薮睦会」公式ページの「蕎麦百話」は、その第1号[2]三つめの「そばのおいしい食べ方は?」でこの話題を取り上げています。 辛い蕎麦つゆという藪の特徴を記述せず、つゆに浸さないのはそばの本来の香りを味わうためだとし、「だから通は、ひと口分を箸でとったら、半分位だけつゆにつけてツツツっといく」と説明しています。ここに出てくる「通」というのは、「藪蕎麦の通」を指すものだと推認できますし、『並木藪』は東京一つゆの辛い店としても有名ですね。藪には少なくとも二百年以上の歴史が存在し、蕎麦の名店として古くから著名です。あまりにも有名なこの小咄を聞くたびに藪蕎麦を思い浮かべる人が多いのは自然です。 「つゆをちょっとだけつけて食べる」のは蕎麦の中でも、とりわけ江戸蕎麦の伝統を受け継いだ藪の、細く打った蕎麦と、その辛いつゆに当てはまる特徴ですから当然記述すべき話題です。◆藪と小咄を結びつける典拠は、いま手元にはございませんが、藪の特徴から考えるならば小咄の加筆を削除する Headinner のリバート行為は、なさるべきではなかったと思います。
    - Opponent 2008年3月17日 (月) 17:35 (UTC)[返信]

Headinnerさんは、自分の意見に全く同意がついていないにもかかわらず(まあおれの意見にも賛同は1件しかついていませんがね(ふっ))、まだリバート合戦をやろうというのですね。なるほど、そういう方であると認識いたしました。迷惑だな。--Nekosuki600 2008年4月19日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

◆くだらないのだが、さらにHeadinner氏が編集合戦をするようならば、おれはまだ戻して巻き添えブロックをくらってもいっかという気分なんで(というか、他の人が戻して巻き込まれるのを見るのはしのびないという感じ)、先にこっちに書いておくわけですが。

藪蕎麦のそばつゆのからさに関して説明をする必要があるかどうかとか、当該落語を持ち出すのが適切かどうかとか、そういう論点でまっとうに議論をするなら、それはそれでありだと思うんですよ。しかし、数えるほどの編集回数しかない方が(つまり、どういう考え方をしているのかも明らかになっていない方が)、思い出したように説明もしないままにもめごとを起すのは、歓迎できないってのが、おれの率直な感想です。

まじめに話をするんだったら、ある程度まではつきあいますぜ。単に意地になっているだけなんだったら、そういう意地っていらないから、あきらめてもらえるとありがたいと思います。--Nekosuki600 2008年10月1日 (水) 16:03 (UTC)[返信]

◆メモ。池波正太郎『江戸の味』。--Nekosuki600 2010年10月13日 (水) 14:42 (UTC)[返信]

●「藪」の記事内に「蕎麦清」のエピソードを入れるのは蛇足だと思います。理由は「蕎麦精」の小咄がすなわち「藪」を指していると読者に誤認させるのは好ましくないからです。第一に、「爺が蕎麦」の記録を最古とする「藪」という屋号の起源自体は古くとも、「江戸の風情を残した辛いつゆ」が「藪」に共通した特徴となったのはそれよりかなり後と考えられています。第二に、南新二が江戸期の説話からこのエピソードを取り上げ、それを十代目金原亭馬生が小咄の元ネタとしたのが後代だったとしても、「蕎麦のつゆは少しだけつけて食べるのが粋で、全部を浸すのは野暮」といった記述は蕎麦切りの誕生当初、「藪」ブランドの成立以前の文書にも残っています。第三に、これがそもそもの要点ですが、たとえ現代の多くの人がこの小咄を聞いて「藪蕎麦を思い浮かべる」のが客観的事実だとしても、出典の元となった当時の蕎麦のつゆの配合は現在とは大きく異なっており、それを「つゆを少しだけつける」江戸風の食べ方に合わせて甘辛くした「藪」のつゆに「たっぷりつけたかった」といったのではおかしさの意味合いが違ってくるからです。

初めに現在の藪蕎麦のつゆがあって「死ぬ前にたっぷりつけたかった」という発想が生まれたのか、「たっぷりつけるのは野暮」といった食べ方に合わせて現在の藪のつゆが形成されていったのか。資料等の書かれた立場(藪の伝統を称賛する立場か、食物史の研究者であるかなど)によっても意見が分かれる部分はあるでしょうが、いたずらに一方の観点を推し進めるようなエピソードが、(過不足無い説明を加えるなら別ですが)現在の体裁のまま「藪」の記事内に記述してある点は修正すべきでないかと思います。--220.8.222.14 2013年5月6日 (月) 07:51 (UTC)[返信]

WP:3RRを確認したため

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利用者:Headinner会話 / 投稿記録 / 記録利用者:Nekosuki600会話 / 投稿記録 / 記録(Alphabet順)の両者に24時間のブロックを行いました。後者に関しては過去にも丁子屋においてゆるやかな編集合戦を行っており、前回今回ともに要約欄における文章表現にも留意すべきです。編集歴が長い利用者は、編集経験の少ない利用者のよき手本となる行動をとっていただかねば示しがつきません。--Lonicera 2008年3月17日 (月) 23:33 (UTC)[返信]