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ノート:藤田卯一郎

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「昭和37年(1962年)夏ごろから、右翼児玉誉士夫は、「一朝有事に備えて、全国博徒の親睦と大同団結のもとに、反共の防波堤となる強固な組織を作る」という「東亜同友会」の構想を掲げ、錦政会(後の稲川会)・稲川裕芳(後の稲川聖城)会長、北星会岡村吾一会長、東声会町井久之会長らに根回しを始め、同意を取り付けた。昭和38年(1963年)2月11日、京都市の都ホテルに、稲川裕芳、岡村吾一、町井久之、三代目山口組田岡一雄組長らが集まり、児玉誉士夫の構想が披露された。関東の組長は稲川裕芳が、関西中国四国の組長を田岡一雄が、九州の組長を児玉誉士夫がまとめて、意思統一を図った。その後、東亜同友会構想はうやむやになった」と加筆しました。出典は山平重樹『一徹ヤクザ伝 高橋岩太郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2004年、ISBN 4-344-40596-XのP.223~P.224です。--竜造寺和英 2007年5月23日 (水) 14:57 (UTC)[返信]


「昭和38年(1963年)3月、警察庁は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会の5団体をを広域暴力団と指定し、25都道府県に実態の把握を命じた」、「昭和39年(1964年)1月、「暴力取締対策要綱」が作られた」、「同年3月26日、警察庁は改めて広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会、東京・住吉会、東京・日本国粋会、東京・東声会、川崎・日本義人党、東京・北星会だった」と加筆しましたが、検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.221~P.222です。--竜造寺和英 2007年6月10日 (日) 08:09 (UTC)[返信]


山平重樹『義侠ヤクザ伝・藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.7~P.30を出典として、加筆修正しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月11日 (月) 11:37 (UTC)[返信]


山平重樹『義侠ヤクザ伝・藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.30~P.52を出典として、加筆修正しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月12日 (火) 08:29 (UTC)[返信]


山平重樹『義侠ヤクザ伝・藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.52~P.124を出典として、加筆修正しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月13日 (水) 06:15 (UTC)[返信]


山平重樹『義侠ヤクザ伝・藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.124~P.153を出典として、加筆修正しています。ご了承ください。


溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社、2000年、ISBN 4-06-256445-9のP.139を出典として加筆しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月26日 (火) 02:17 (UTC)[返信]